因果航路にうってつけの日
2023-03-03「小山田圭吾炎上事件」という大因果物語を追いかけた「ある一般人」はそこに、如何なる「答え」、そして「救い」を見出したか
「小山田圭吾炎上事件」という大因果物語を追いかけた「ある一般人」はそこに、如何なる「答え」、そして「救い」を見出したか
小山田圭吾問題を書籍で表すならという意図で、しばらく前からTwitterのバナーを三島由紀夫「不道徳教育講座」とレーモン・ルーセル「ロクス・ソルス」にしている。
意味もなく岩井志麻子の著書を挟んでもよかったかなと思うが、それは悪ノリだろう。
まず必要なのは小山田圭吾の本意だろう
猿はいつしか人となりそして死ぬ
※この記事は、「小山田圭吾における残酷の研究 | 敬称略雑記」の要約版です※
そう言ってみたところで、そう「読みたい」人物はやはりそう読むだろうし、そうとしか「読めない」人物もまたそう読むだろう
でなければ、「孤立無援のブログ」からの問いに答える事は出来ないだろう
「ヤマタカシ」が何をするかしでかすか
小山田圭吾への悪感情と小山田圭吾擁護派への悪感情を切り分けながら、小山田圭吾問題への冷静さを取り戻すための仕組みが、「ヤマタカシ」だ
ちなみに当然、あらゆる謝罪、発言の撤回やそれに類するもの、一切無かったと言っておこう
この記事は「なぜ山崎洋一郎を擁護する動きがあるのか|ヤマタカシ|note」の続きです。
5月初週のJAPAN JAM 2022開催から約一週間超が過ぎ、フェス由来新規感染の報もなくまずは成功裏に終えたと言っていいはずだ。事業としての持続可能性といった側面での課題は山積みだろう。しかしこれを皮切りあるいはモデルケースとしてポストコロナにおけるフェス文化存続の礎を築くことが出来れば、赤字を覚悟しフェス開催を試みてきた数年と共に、山崎洋一郎そしてロッキンオンジャパンによる贖罪のひとつとなるだろう。
まさかあの面子がジャーナリズムにでも目覚め学園の実体を告発する使命感にでも駆られたか
渋カジのその後は不明だ
太田出版にとってあれは黒歴史扱いなのだろうか
私としては調布のヘンなショッピングセンターみたいな超万引場所とやらにも向き合うべきなのではないかと思うのだが
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」まだ何かあるんじゃあないのか
どうやら「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」というものの根底にある何かしらが垣間見えているようではないか
この記事は「小山田圭吾擁護の「有様」|ヤマタカシ|note」の続きです。
小山田圭吾擁護派界隈において興味深い動きが観測された。真偽不明ながらどうも昨年末から訴訟の準備を勧めているという話しが出ているのだ。
これを見て私が盛大に噴いたのは言うまでもないだろう。
むしろ私のモニター清掃に掛かる精神的苦痛に関し損害賠償請求したいくらいだと往年を思わせる文言でも垂れ流しておこう。…まあそれはいい。
「改めて読み直した」というのは、そういう色眼鏡をかけた上で読み直した、という意味でもある
俺も知らん
…なかなか考えさせられる動きじゃあないか
21年7月、小山田圭吾は五輪の場に○○○○○○○○○プ(デマです)を持ち込み炎上した。と言ってもいまいちピンとこないだろうから、炎上当時、問題視されたインタビュー記事を朗読でもしてやろうかと一瞬考えたが内容的に秒でバンされるのは目に見えているので考えるのを秒でやめるほどにマズイ内容であり炎上は当然だ。しかも、ロッキン掲載「小山田圭吾2万字インタビュー」と、QuickJapan掲載「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」の豪華2本立て。そういえば「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」の(北尾修一がばらまいた)誌面スクショ、最終ページ見開きに謎の漫画が1ページだけ掲載されていたのを覚えておいでだろうか。どうもあれが自費出版されるそうだ(「東京五輪の〝小山田騒動〟でチラ見漫画が初書籍化 まどの一哉「夜の集い」 (よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース」)。おめでとう。株式会社百万年書房から出るのではと睨んでいたが、流石にそれはなかったようだ。
22年1月現在、小山田圭吾問題は、21年末のDOMMUNEにて少し動いた。某界隈でまことしやかに囁かれている○みつお金玉事件は、その延長線上にあるようにみえて実は別件だ。まあそれはいい。
小山田圭吾は、大会組織委員会と官邸の間で板挟みになっていたのではないか
この記事は「小山田圭吾「擁護」の有様|ヤマタカシ|note」の続きです。
さて21年の12月、「法的手続きを取られる」とかで小山田圭吾擁護派は盛り上がっていたようだ。これは前々回記事「小山田圭吾擁護の有様|ヤマタカシ|note」でも書いた。
その契機となった発言をまず把握しておこう。
この記事は、「小山田圭吾擁護の有様|ヤマタカシ|note」の続編です。
22年1月7日、新年早々、小山田圭吾擁護派がちょっとした揉め事を起こす。それに関し引っかかる点は個人的に多々ある。しかし私が今回言及したい事は、その揉め事に関してではない。
そもそもなぜ外山恒一がいきなり出張ってきたか
ところでこの友情、誰が言い出した事だったか
語るべきは「友情」だ
「黒板消しをパタパタした」と記号化して語られてるヤツだ
私は小山田圭吾に対し、良い感情を持っていない、が。
小山田圭吾擁護派の言う通り小山田圭吾が人格的に優れた人物であると仮定した場合、彼は、訴えられる危険を冒してまで彼のファンが彼を擁護することを望むのだろうか。法的にどうとかの話しになっている横で、平然と旗が振り続けられている現実をよく考えるべきだ。
12月10日、小山田圭吾擁護界隈はどうも法的手続きを食らうだとかそういう話しで盛り上がっていたようだ。まあ開示請求からの云々という事だろう。原因は、小山田圭吾擁護派が7月当時の記事や発言を掘り起こして集団で修正を迫るという例のヤツだ。まあ開示請求なんかを本当にやるやつは黙ってやるだろうと慢心せず、法的に対応するという発言をきちんと警告として受け止め、誠意をもって真摯に対応したほうが良い、と形式的に言っておこう。小山田圭吾ファンがどうなろうと心底どうでもいいというのが本音だ。ちなみに「法的な手続き」の目的の半分以上はおそらく開示請求という行為自体にある。開示されたか否かという事実が、そのまま善悪や勝ち負けと見られがちなのは言うまでもない。そしてこれも言うまでもないことだが時流は開示を簡易かつ迅速に行う方向へ流れている。それを踏まえてちょっとご想像いただきたい。
小山田圭吾問題、言うまでも無く、五輪開催の迫った2021年7月中旬の炎上に端を発する一連の問題の事である。過去のいじめ加害、差別的発言等が問題視され、小山田圭吾は東京2020オリンピック・パラリンピックへの楽曲制作参加を辞任する。
表層だけを見れば、数日の炎上後の辞任にて決着が付いたように見える。しかしその背景には様々な思惑が蠢いていた。そしてその蠢動は今でも続いている。
北尾修一という人物がいる。小山田圭吾問題におけるソースのひとつに『Quick Japan Vol.3』にて掲載された小山田圭吾と村上清の対談記事『いじめ紀行 小山田圭吾の巻』がある。そのインタビューに同席していた人物だ。
今回の問題と、両誌面と、つまりは過去と真正面から向き合うという小山田圭吾の強い覚悟は最早、感じられなかった
この声明と同じく真摯に問題と向き合い続ければ、許されるはずだ
しかしそれが「小山田圭吾のため」となれば、話は全く違ってくる
そこに小山田圭吾は含まれているだろうか
まあ間違っちゃあいないな、うん
僕はこういうの、けっこう好きですよ
少なくとも極悪人ではないかもしらんな程度の春風が吹いた瞬間であった
上級国民に対し声を上げれば、世の中は少し良くなるかもしれない
塵も積もればなんとやら、こういう効果は確かにあったと思う
かくして小山田圭吾は焼き尽くされ、その周囲までをも焼け野原とした
ある一般人は、小山田圭吾の問題をどう追いかけたか
ヤマタカシ
「小山田圭吾問題に関心があります」
Twitter, y