まずもう背景とかはいいだろう。
こんなサイトを見ている人間は小山田圭吾問題について大変詳しいに違いない。
そういえば「さんさ踊り」、「盛岡さんさ踊り2022」が開催したそうだ。
おめでとう。
ここで「さんさ踊りって?」となった人は、私のこの北尾修一非公式ファンクラブ公式サイトを参考に問題への理解を深めて欲しい。
さて、ここから盛大な煽り数万字を書いてスキップリンクでも置いておけばいいかな、と…
…も、思ったけど、どうもテンションが上がらないので、それはまたの機会に。
今回、すっごい基本的な事を書くことになるので、いまいちこう…。
「犬のウンコについての思い出」はどう語られたのか、陰謀論者ヤマタカシが胡散臭く迫る感動巨編がいま始まる…!
…やっぱいまいち
事実と異なる見出し
まずは小山田圭吾の声明を当たる。
『ROCKIN’ON JAPAN』については、発売前の原稿確認ができなかったため、自分が語った内容がどのようにピックアップされて誌面になっているかを知ったのは、発売された後でした。それを目にしたときに、事実と異なる見出しや、一連の行為を全て私が行ったとの誤解を招く誌面にショックを受けましたが、暴力行為を目にした現場で傍観者になってしまったことも加担と言えますし、その目撃談を語ってしまったことは自分にも責任があると感じ、当時は誌面の訂正を求めず、静観するという判断に至ってしまいました。
--- 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】
小山田圭吾は、発売されたロッキンを読み、「自分が語った内容がどのようにピックアップされて誌面になっているか」を知り、「事実と異なる見出し」や「一連の行為の実行犯であるとの誤解を招く誌面」にショックを受けている。
まずは「事実と異なる見出し」について詳細をあたろう。
全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップして……ごめんなさい
---「小山田圭吾2万字インタビュー」 (山崎洋一郎、『ROCKIN’ON JAPAN vol.80』1994年 ロッキンオンジャパン)
…オナニーが無いのは単に文字数の都合だろう。 オナニーを削ってまで「ごめんなさい」を入れたロッキンの意思決定は、優しさと言って良いのだろうか、大変悩ましい事例だ。
これを訂正してこなかった関係者全てにまずは、自業自得だろという言葉を送りたい。
そして、この強烈な見出しが独り歩きした点に関しては、関係者全てにとって不幸だったとしか言いようがないという言葉もまた送ろう。
その上で、本文を当たる。
小山田圭吾2万字インタビュー
「あとやっぱうちはいじめがほんとすごかったな」
●でも、いじめた方だって言ってたじゃん。
「うん、いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドいことをしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)。だって、けっこうほんとキツいことしてたよ」
●やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反していること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。
ウンコを喰わしたりさ。ウンコを喰わした上にバックドロップしたりさ」
●(大笑)いや、こないだカエルの死体云々っつってたけど(以下略)
---「小山田圭吾2万字インタビュー」 (山崎洋一郎、『ROCKIN’ON JAPAN vol.80』1994年 ロッキンオンジャパン)
では改めて、「自分が語った内容がどのようにピックアップされて誌面になっているか」を知り、「一連の行為の実行犯であるとの誤解を招く誌面」にショックを受けたとは、どういう意味なのだろうか。
犬のウンコ
小山田圭吾はその声明や文春記事において、「ウンコを喰わしたり」という食糞の描写を、「犬のウンコの思い出を語った」と説明した。
「排泄物に関しては別の話です。小学校の頃、何でも落ちているものを口にしてしまう同級生がいました。枯葉とか蟻んことか。その彼が下校している時に、道に落ちていた犬のウンコを食べて、ぺっと吐き出して、それをみんなで見て笑っていたという話をしたんです」
--- 週刊文春 9月23日号 133p
「排泄物を食べさせた」ということについては、小学校の帰り道に、クラスメイトの一人がふざけて道端の犬の糞を食べられると言い出し、拾って口に入れてすぐに吐き出したという出来事があり、彼本人も含めその場にいた皆で笑っていたという話が事実です。
--- 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】
文春と9月17日付けの声明(経緯説明)では、ニュアンスが微妙に違っている。
私は基本的には、9月17日付けの声明をあまり評価していない。
このニュアンスの違いもその一因だ。
が、今回はそれをどうこう言う記事ではないので割愛する。
…きちんと反省して欲しい、この思いだけは記そう。
文春と声明での共通項を要約すれば、「小学生時代の下校時に犬のウンコを食べて、ぺっと吐き出した同級生を皆で笑っていた」ということになるか。
どう語られたか
「うん。もう人の道に反していること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。
ウンコを喰わしたりさ。ウンコを喰わした上にバックドロップしたりさ」
---「小山田圭吾2万字インタビュー」 (山崎洋一郎、『ROCKIN’ON JAPAN vol.80』1994年 ロッキンオンジャパン)
まずこれは、「小山田圭吾2万字インタビュー」の「いじめパート」にて語られている、という前提がある。
ここでは小山田圭吾も山崎洋一郎も、「いじめ」について語っているのだ。
その上で、「小学生時代の下校時に犬のウンコを食べて、ぺっと吐き出した同級生を皆で笑っていた」と要約出来る「犬のウンコの思い出」が、「どう語られたか」を考えて見て欲しい。
「小学生時代の下校時に犬のウンコを食べて、ぺっと吐き出した同級生を皆で笑っていた」と、人の道に反しているいじめの一例として語る場合、どうなるだろうか。
「小学生時代の下校時に犬のウンコを喰わせて、皆で笑っていた」
つまりは、食糞強要といういじめとして語られたのではないか。
そしてこれをインタビューに当てはめてみよう。
●やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反していること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。
小学生時代の下校時に犬のウンコを喰わせて、皆で笑ったりさ。ウンコを喰わした上にバックドロップしたりさ」
そう、「犬のウンコの思い出」を、いじめを語るという文脈から語る場合、「食べさせた」という食糞の強要を伴う形にならざるをえないのだ。
犬のウンコを自主的に口へ入れ、ぺっと吐き出した事をみんなで笑い合うというのは、いじめではない。
これがいじめであれば、小山田圭吾は文春や声明にて、新たないじめを告白していることになる。
食糞の「強要」を伴ってそれは初めて、いじめとなるのだ。
ピックアップ
では小山田圭吾の言う「ピックアップ」とは、どういう事だろうか。 そして、「一連の行為の実行犯であるとの誤解を招く誌面」。
「ピックアップ」することで、「一連の行為の実行犯であるとの誤解を招く誌面」になる「発言」とは。
恐らく小山田圭吾は、誰が喰わせたのかを濁しながら犬のウンコの思い出を語ったのではないだろうか。
●やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反していること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。
小学生時代の下校時に犬のウンコを皆で喰わせて、皆で笑ったりさ。ウンコを喰わした上にバックドロップしたりさ」
これが、こうなったのではないか。
●やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反していること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。
(小学生時代の下校時に犬の)ウンコを(皆で)喰わせて(、皆で笑ったり)さ。ウンコを喰わした上にバックドロップしたりさ」
仮に「犬のウンコを皆で喰わせて」を、小山田圭吾が実行犯であると読めるよう編集し、「ウンコを喰わした」としたまま話が終われば、それは確かに問題だ。
しかし、この実行犯という虚像は直後、崩れる事になる。
アイディア提供という立場
「(中略)~バックドロップしたりさ」
●(大笑)いや、こないだカエルの死体云々っつってたけど「こんなもんじゃねぇだろうなあ」と俺は思ってたよ。
「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイディアを提供するだけで(笑)」
---「小山田圭吾2万字インタビュー」 (山崎洋一郎、『ROCKIN’ON JAPAN vol.80』1994年 ロッキンオンジャパン)
ウンコ喰わした実行犯は小山田圭吾ではないと、「素直に読めば」、直後に否定されているのだ。
そして「素直に読まなければ」、「ウンコを喰わしたと口がすべり、慌ててアイディア提供という立場にあったと言い訳をした」と、いじめの実行犯である事を誤魔化しているとも読めるのだ。
これは実は、いじめ被害者へ最大限配慮しながら「小山田圭吾2万字インタビュー」を読んだ場合の読み方に近い。
いじめ問題という正義から読んだ場合の読み方と言ってもいいだろう。
そして同時に、最も「話題性のある」読み方(読ませ方)でもある。
…なんとも厄介な物を残したものだ。
そう読める物が、そう読まれた時に、そう読むほうが悪いと言っているだけ、私が現状の小山田圭吾擁護に対し持っている印象というのはこの程度だ。
しかしこの、「かもしれない」という「含み」がより魅力的な誌面を作り上げている事は言うまでもない。
そしてこの読者もまた、そう深読みしたりしなかったりしながら、今日まで来たのだろう。
30年近くも放置したことが逆に、この「かもしれない」という天秤の片側へと、何かしらを乗せた事もまた言うまでもない。
バックドロップ
ここまでの話は、全裸緊縛自慰強要、そしてバックドロップにも等しく適用できる。
緊縛しといてどうやって自慰させんだよという、至極単純な矛盾すらをも指摘されぬままに30年近くもそのままであり続けた「小山田圭吾2万字インタビュー」。
…まあこれは、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」もそうなのだが。
山崎洋一郎に問えるもの
山崎洋一郎の文責を問うにはまず、この「含み」を持たせた「編集」を意図的に行っていたかを考えなければならない。
その上で、そこにどこまで悪意があったか、という話になる。
山崎洋一郎へ問えるものは、確かにあるだろう。
しかし、それは極めて限定的なものではないか。
小山田圭吾は山崎洋一郎に語らせられた被害者であり、山崎洋一郎は小山田圭吾に語らせた加害者であるという論法の元、「小山田圭吾のために」山崎洋一郎を悪魔化しようとする動きが一部にある。
これを小山田圭吾が望むだろうか。
そして、小山田圭吾は、山崎洋一郎の断罪を望むのか。
仮に小山田圭吾が断罪を望むと明言したとしてもその上で、断罪してもいいのかと悩むべき話なのではないか。
結局、小山田圭吾は?
そもそもなぜ、食糞強要は「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」で説明されなかったのか。
「見出し」を訂正したかったのだとしても、「見出し」にはウンコが含まれている。
「小学生時代の下校時に犬のウンコを食べて、ぺっと吐き出した同級生を皆で笑っていた」というエピソード自体は、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」で語られていてもおかしくない内容だ。
誌面にショックを受けたというのは確かだろう。
しかし、この食糞強要という描写というか「ノリ」自体に関しては、「当時の」小山田圭吾自身が案外、気に入ってたのではないだろうか。
稲中単行本2巻には「その21 柴ちゃんの部員更生計画」という話が収録されている。
内容としては、稲豊市立稲豊中学校男子卓球部のテコ入れをその顧問・柴崎が画策し、部員へ校外でのゴミ拾いなどを指示するが、自身の点数稼ぎのためだったと誤解され計画が頓挫するというものだ。
その中に、「ウンコ食わせるぞ」と部員に詰められ、柴崎の過去のトラウマがフラッシュバックするシーンが存在する。
--- 小山田圭吾における残酷の研究 | 敬称略雑記
そしてこれは、白黒付けてしまってはマズイ問題なのではないか。
ヘタにつついて制御不能になり、録音などが出てくる事体にでもなれば、どちらかは大きなダメージを負うだろう。
「乗せられた部分もあったし、自分からそういう露悪的なことを話してしまった」
--- なぜ小山田圭吾はイジメ発言をしたのか? 加害性の否定と無意識のサービス精神 検証ルポ「小山田圭吾事件」#4
まず必要なのは小山田圭吾の本意だろう。
小山田圭吾の本意不在のまま突き進み、取り返しのつかない所へ至り何が起こるか。
ま、読者の皆様の想像力で補っていただければと思います。