※お詫びと訂正※
当該記事において小山田圭吾氏に関連し、一部、著しく配慮に欠ける表記の存在を確認しました。
意図したものでは断じてありませんが、陳謝の上、訂正させていただきます。
大変、失礼致しました。
2023年4月15日 ヤマタカシ
※注:一部事件名等、伏せて引用をおこなっています※
※この記事は、炎上当時を思い出しながら書いた連載過去記事1-1を加筆修正再編捏造したものです※
1.再起動
「小山田圭吾」が世界的に炎上した21年の夏、「2021年因果の旅」だの「因果航路航海月誌」だのと副題をつけたくなるほど複雑に絡み合ったその因果因業は、根本敬が謂う所の因果系宇宙の実在を声高に謳った。
結論から言えば「小山田圭吾」は、「オリンピック・パラリンピック」の場において、過去の「インタビュー記事」を問題視され、「上級国民」への正義の鉄槌という形をとりながら、「コロナ禍」において苛ついていた世論により、様々な「思惑」のもとに業火へとくべられた、という事になるのだが、そこには、そこに至る様々な原因とそれらに伴う結果の積み重ねがあった。
「小山田圭吾」へのバッシングを生んだ当時の「世情」、「90年代」の文脈において生まれた記事の「正体」、それにまつわる「残酷」、「小山田圭吾炎上事件」という大因果物語を追いかけた「ある一般人」は、そこに如何なる「答え」、そして如何なる「救い」を見出したのか。
イソターネット老人会所属陰謀論者ヤマタカシによる渾身の云万字、炎上当時を振り返りながら書きなぐった徹頭徹尾真偽不明の超絶コタツ記事「狡知」シリーズを、○○○だの○○○○だのといった特殊表現を廃しつつ現代語訳しながらまたしてもあらゆるファクト不在で送る越境の大怪文書「チ…、もとい「シン・狡知」、…開陳!
2.潜在熱量
※21年10月掲載、狡知 02 「7月」を再編※
私が「小山田圭吾炎上」を知ったのは、「小山田圭吾が東京2020クリエイティブチームを辞した」というニュースにおいてであったように思う。
7月の炎上当時、私が持っていた「小山田圭吾」への印象というものは、まあまあ模範的な一般人が持っていた「小山田圭吾」への印象とかなりの部分において似通っていた。
「○○○バックドロップの男」
後にそれはデマとして本人により訂正されるが、小山田圭吾に関連するあらゆる事前知識は全て吹き飛び、その痛烈な印象だけが残った。
「いじめを武勇伝の如くに語るインタビュー記事が存在するらしい」
ミーム的にそういう醜聞があることこそ知ってはいたが、なんとまあ強烈なと思いも新たに人並みに誤解し憤慨し、「小山田圭吾」に関連する様々な記事を「お勧めされるまま」に、「より残酷な描写」を無意識に求めながら、真実はとかそういう冷静さなど持ち得るはずもなく読み漁り、義憤を溜めに溜めた。
「批判が集まっている」等の「含み」を持たせることで「小山田圭吾がやった」と明言することを避けた記事が多く目に止まり、まあ何十年前かの話だしそうせざるを得ないよなと、妙に納得できた事を覚えている。
そういう「保険」を必要としたことに加えて、それらを「本当に小山田圭吾がやっていたとすれば」明確なスキャンダルであり、社会的に制裁され尽くしているはずだろうと、話半分までは行かないにしても少し間引いて読んでいたように思う。
しかし結局は、いじめを娯楽として消費していたことに変わりはなく、いじめや五輪に関係した社会問題であると言えなくもないなどと、もっともらしい理由をつけたとしても、(「いじめ紀行」から言葉を借りれば)恥ずべきことに「いじめってエンターテイメント」であったのだ。
「あの内容を」「嬉々として語っていた」「らしい」
そのあまりに衝撃的な内容がもたらした当時の印象は、「全方位に向けてどうしようも無く完璧な悪」、どこからどう叩いてもなんとなく良いことを言っているように聞こえてしまう。
「何を言ってもいい」
「小山田圭吾」を絶対悪とし(正義の行いとして)無条件に批判することが横行し、当時の「小山田圭吾」を批判しないこと自体が批判の材料となりかねない空気すら醸成されていたように思う。
何しろこの炎上、世論の合意があり、小賢しい輩は政府公認のガス抜きだろうなとすら思っていた(私です
さらには五輪と絡め、国益だなんだと騒いでいたやつもいる(私です
「海外の目」だったのだろうか、「取り敢えず全否定しなければ」という焦りが国全体を覆い、(今思えば)異様な熱気に包まれていた。
「日本」は昭和から更新されていないのではという危機感がまずあり、恥を忍んであえて言わせて貰えば、当時、「同じ日本人として見られたくない」という気持ちは確かにあった。
改めて冷静に考えれば、失笑物の稚拙なお気持ち表明でしかないのだが、当時の「熱狂」と「混沌」はただ事ではなかった。
こういう心理は当時、珍しいものではなかったはずだ。
因果応報の見本市、人権を侵害した者に対しては人権を侵害してもいい程度の短慮、かくして「小山田圭吾」は焼き尽くされ、その周囲までもが焼け野原と化してもなお、燃やされ続けていた。
踏み絵的に脊髄反射的に、または何らかの思惑のもと、あるいは何かしらの背景や当事者性を伴いながらバッシングへ加担し、世論を構成した市民にとってそれは「正義の行い」として行われていた。
…「これで儲けている奴ら」もいるんだな、悪は断罪されたとか幼稚な達成感に酔いながらも、どこか煮え切らない「正義」が残った。
しかしてその「正義」は、あのような「世界的炎上」を巻き起こすほどの原動力足り得たのだろうか。
担当を辞し声明にて反省を示したにも関わらず、それ以降も、関わるもの全てを業火に巻き込み続けた「小山田圭吾」の炎上、その潜在的な「熱量」はどこから来ていたのか、炎上前夜のあの当時を思い出してみたい。
自粛の闇に膿むネット
東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会は、コロナ禍による4回目の緊急事態宣言下にあった2021年の7月、強行開催された。
不要不急の外出や三密を避けるなどの「自粛」を強いられる市民を尻目に、東京2020スポンサー企業の真紅の宣伝車は絶叫を伴い聖火ランナーを先導し、ブルーインパルスは空に五輪を描いた。
ニュースを見れば、森喜朗そして佐々木宏の失言、ハンコ、FAX、満員電車、令和の時代にどうしようもなく昭和くさくてうんざりするようなトピックが延々と並び、遅々として進まない新型コロナワクチン接種と病床逼迫、その混沌と矛盾に市民は苛ついていた。
そして、コロナ禍における変化の中で「ネット社会」はその存在感を増し、テレワーク等の施策により増えた可処分時間を「ネット」に当てることを選んだ市民は多く、「苛ついた市民」たちが「ネット」の大海原で暇を持て余しながら燻り、「苛ついたネット市民」と化していた。
当然、「苛ついたネット市民」たちはネットに、「憂さ晴らし」を求めていた。
持続「不」可能戦争
21年夏の「病床逼迫」とはどういうものだったのか。
連日、病床使用率とその逼迫が報じられ、自粛を促すという名目のもとに「不安を煽る」論調が支配的であり、遅々として進展の見られない新型コロナワクチン接種率の推移に、このままでコロナ禍に打ち勝つことが出来るのか、共存すら出来ないのではないか、という漠然とした不安が蔓延していた。
さらに東京都が自宅療養を推進するに至り、医療崩壊が現実味を帯び始めると、「見捨てられた」とか「しわ寄せ」といった行政への不信感を伴う市民感情が噴出した。
「市民が軽視されるのはなぜか」
自助努力は限界を超え、コロナ禍に立ち向かうという大義名分において許されていた全体主義的な政策により生じた不満を向ける具体的な相手を市民は切望し始めた、といえば聞こえはいいが、市民がキレ始め「悪者探し」が始まったという話でしかない。
そして不幸なことに、そこには「五輪」(とそれに関わる利害関係者)という都合の良い潜在的「悪役」がいた。
3.五輪崇拝
※21年10月掲載、狡知 03 「東京2020」を再編※
東京2020オリンピック競技大会(とうきょうニーゼロニーゼロオリンピックきょうぎたいかい[注釈 1]、英: TOKYO 2020)は、2021年(令和3年)7月23日から8月8日までの17日間、日本の東京都などで開催された第32回オリンピック競技大会[2]。
--- 2020年東京オリンピック - Wikipedia
紆余曲折を経た東京2020オリンピック競技大会の開催に向けた動きは、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」だの「オリンピッグ」だのといった余りに昭和な失言により、落胆とか失望とかをはるか超越し、文化とか文明とかいったレベルでの「どうしてこうなった」的な絶望を撒き散らしながら、ハンコやFAXといった昭和の残滓にただでさえ苛つき疲弊していた市民の神経を真っ向から逆撫でした。
そして、東京2020オリンピック競技大会閉会式が(まるでバッハの日とでも言いたげな)8月8日に行われたという度し難い現実もまた、市民への容赦ない追い打ちとして機能していた。
…仮にこれが本当に「バッハの日」を意味していたとして、「バッハッハ」などと大笑いしながらバッハ本人の前でその「親父ギャグ」を解説するという地獄の如き絵面と共に、ある人物が脳裏に浮かび心底うんざりするが、はんつ遠藤のおじさん構文を突きつけられた我々がかろうじて耐えることが出来たのはこの経験を積んでいたからこそと思えば、そこに一抹の救いがあるような気がしないでもない。
様々な自粛を強いられる中での強行開催という矛盾や、大会組織委員会から漂う不穏な昭和の残り香に、デシタル化の前に立ちはだかる昭和の残滓を重ねながら、政治的な立ち位置や思想を超えて生じた「実情を踏まえて開催に反対する」という世論は、日毎にその存在を大きくしていった。
何しろ苛ついた市民の耳目を集めていた森喜朗からして、「イット革命」だの「電気がなくてもiモードは使える」だのといった目を覆いたくなるような(名)失言の張本人であり、そのトラウマを未だ抱える市民にとっては不倶戴天の敵であるとすら言って良いほどの存在なのだ。
かくの如き陰徳を積むことにより、立案の段階から賛否両論あったとはいえ概ね好意的に受け止められ、経済効果等の面でもそれなりに期待され、復興五輪やポストコロナといった「希望の象徴」という役割をも背負わされた東京2020という「太陽」はいつしか「昭和の象徴」として、愛憎入り混じった視線を浴びることになる。
厳しい見方ではあるが、かつての東京五輪を体験した「昭和世代」が、そのキャリアの締めくくりを飾ろうと、血税を湯水の如くに浪費しながら現役世代をも犠牲にし、昭和讃歌の一大感動ポルノとしての東京2020を画策しているのではないかという疑念が持たれていた。
…ところで私は、小池百合子と大会組織委員会が会見にて連座し、東京湾の生水を飲むくらいのパフォーマンスは必要だったと「今でも」思っているほどの五輪反対派だったりする。
そして、東京2020競技大会が開催されるに至り、五輪反対派として朝な夕なに反五輪ツイデモへ参加し、延々と五輪・政権批判を繰り返し、シャドウバン数ヶ月を喰らった、というような心底しょうもない夏の過ごし方をしてしまったとあるネット民について、大変詳しかったりもする。
今回、「五輪批判派」と「五輪中止派」の微妙な線引、「反五輪」という文脈において「小山田圭吾」はどう扱われていたのか、そして結局「小山田圭吾」を苦々しく思っていたのは誰か、「五輪反対派」当事者という視点から見てきたことを書き残して置こうと思う。
狂想は五輪の調べ
そもそも「五輪反対」という声は、五輪招致から東京2020への気運が高まりを見せる中で、その影として台頭してきたものであり、「五輪反対派」は「コロナ禍以前」から存在していた。
「コロナ禍以降」、メディアによる不断の努力のもとに市民は、新型コロナウィルス感染症に関しそれぞれ「一家言」もつほどの知識を蓄え、コロナ禍という非日常がもたらした「熱量」と「苛つき」を伴った様々な「声」を発しながらネット上に巨大な「痰壺」を形成していたが、プラットフォームにとってそれは(大手メディアへのカウンターとして)むしろ好ましいものであった。
そのような状況下において、東京2020競技大会開催に向けた巨大な「うねり」は、東京2020に関連し続く不祥事を背景に、行政のコロナ関連施策に対する不信や不満に起因する「熱量」や「苛つき」こそ根底にあれど、どこか牧歌的に発せられていた(五輪に関するとは限らない)様々な「声」に「反五輪」という方向性を与え、「苛ついた市民」たちを「五輪反対派」へと変貌させてしまった。
これを極論すれば、疑わしいところのある相手(政府)が、何か(五輪)をゴリ押ししようとして、(政府や五輪への)反発以外の何が生じ得るのかという、あらゆる知性の介在を拒絶するほど単純な話になってしまうので、やはり小難しく書いておいたほうが波風立たずよろしかろう。
21年5月、某新聞社が東京2020オフィシャルパートナーでありながらも大会の中止を訴えるという珍事に、開催に向け加速度的にその混迷を深めていく「東京2020」の姿を見ることが出来る。
東京2020競技大会開催を巡るこの狂想は、政権批判を日常とする人達にとって言わば「稼ぎ時」、何しろ「五輪反対」と叫ぶだけで、「苛ついた市民」たちが熱心に耳を傾けている所へ露出することが出来た。
「反五輪」という方向性を与えられた「熱量」が、「ツイデモ(ハッシュタグ・アクティヴィズム)」及びその類型として発散されるようになるまで、そう時間はかからなかった。
模倣者は語る
五輪への「反対の声」を上げる際、当時の「小山田圭吾」は大変「便利」であった。
「反対の声」というのは案外難しく、正義の側に立っているように見せながら、社会的な意義があるよう、読みやすく、法的なお叱りを受けないようにと、あれはあれで実は結構気を使っていたりする。
しかし結局は「難癖」の親類みたいなのしか出来上がらないのが常ではあるのだが、いずれにせよ、「悪」がないと「正義」になれず、「正義」になれないと「難癖」が何かしらの「意見」になれない。
(バッシングの渦中にあった)当時の「小山田圭吾」という存在は、この「正義」とか「社会的な意義」の確保に大変都合が良く、身も蓋もない言い方をすれば「いじめ」という3文字で事は済んでしまっていた。
特に「ツイデモ」においてはその発言の内容以上に、如何に意味がありそうなことをテンポよく発言できるかが重要になる。
「五輪反対!レガシーなどと虚像を作り回る歯車、いじめ対策を徹底しろ!」
何を言いたいのか自分でも良く分からない。
…が、(困ったことに)なんだかもっともらしい事を言ってるように聞こえてしまう。
「小山田圭吾を軽率にも起用した組織委員会は責任をとり即刻解散しろ」
組織委員会解散しろとしか言ってないんだけど、当時の「小山田圭吾」へ言及するだけで、人権問題とかの深い所にまで踏み込んでいるように見えて、すごく正義っぽい(個人の感想です
どれほど適当かつ中身の無い文章であろうとも、「いじめ」「小山田圭吾」という数文字だけで、様々な問題に対し正義の側から社会的な意義を装いつつ声をあげているような雰囲気を醸し出すことが出来てしまっていたのだ。
文字数が制限されたTwitterでの発言、さらに「ツイデモ」においては「ハッシュタグ」を大量につける事を踏まえると、本文は可能な限り短いほうが望ましい。
この「使いやすい」という感覚、お分かりいただけただろうか。
つまりは「五輪反対派」として声を上げた市民にとって、「小山田圭吾」への増悪以前の段階でまず「道具」としての「小山田圭吾」があり、「道具」としてよりうまく使うための「懲罰的な関心」とでも言うべき物が蔓延っていたように思う。
…言語化するとタチの悪さが際立って我ながら恐れ入る。
「小山田圭吾」が「小山田圭吾が関わる五輪はけしからん」とこう使われるたび、「小山田圭吾」は何も変わっていないにも関わらず、「小山田圭吾」は悪であると断罪され、その見せかけの「悪性」は深まっていった。
かく言う私も当時、何回か「小山田圭吾」をそう使ってしまった。
…その節は、大変失礼致しました。
動機あるひとたち
「小山田圭吾」が因果因業の果てに苦海の水底へと沈み塗仏の如くになり果てた21年7月のあの当時、市民から見た「小山田圭吾」は間違いなく「大会組織委員会」側の人物であり、「小山田圭吾」を批判することは「森喜朗」や「佐々木宏」を批判することの延長線上にあった。
「(祭りとしての)東京2020」という非日常が、「コロナ禍」という非日常と重なってしまったことも災いしたか、「小山田圭吾」を批判するという行為は当時、圧倒的な「正義」であり、批判をしなければどう思われるかという無言の「圧力」が、五輪への賛否や政治的な立ち位置などあらゆる背景を超え、老若男女津々浦々、三千世界を通して行われたある種の「踏み絵」を生んでしまった。
ところで、「反五輪」として大雑把に扱われがちな「五輪反対派」にも実は、「消極的五輪反対派」「五輪批判派」「五輪中止派」といった棲み分けがあることをご存知だろうか。
まず「消極的五輪反対派」とは、反対意見等を積極的に出すことはせず、開催を否定こそしないが自身は関与しないという一派だ。
そして、「五輪批判派」とは(便宜上)「五輪の中止を求める」(が本当に中止になってしまっては困る)一派であり、「五輪中止派」とは(心の底から)「五輪の中止を求める」(し本当に中止になって欲しい)と望んでいる一派ということになる。
このような機微を踏まえ、東京2020開催を前にその数を増やした「五輪反対派」を振り返れば、「五輪批判派」か「五輪中止派」どちらだったのだろうか。
…そもそもそういう区別があることに、当の「五輪反対派」自身は、気づいていたのだろうか。
いつの間にか「反五輪」という文脈に絡め取られ、「森喜朗」や「佐々木宏」と同列に「小山田圭吾」を批判した「苛ついた市民」たちの「熱量」に「熱源」があったとしてそれは、「反五輪」や「小山田圭吾」だったのだろうか。
あの当時の「五輪反対派」にとって、「小山田圭吾」は便利に使える「道具」でしかなく、特段の思い入れなど大して無いし、なんなら(どうなっても良いという意味での)無関心にすら近かった、という辺りが実情であったように思う。
その上で、「五輪反対派」による「小山田圭吾」批判が、東京2020が終わった後も続き得るか。
東京2020に関連する話題は急速に陳腐化し、「小山田圭吾」を批判して得られる善性などはとうの昔に枯れ果て、プルト君の時報でもRTしていたほうがよほどマシだと言える。
あるいは「反五輪」という文脈から離れれば、こういう見方も出来る。
猪瀬直樹は五輪招致の段階から皇室を積極的に利用し、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会名誉総裁とは誰だったかなどと語るまでもなく、皇室と東京2020は密接に結びついていた。
結果として皇室を、23年3月現在も話題に事欠かない私利私欲の万魔殿にて「○○○バックドロップ」だの「○○トライアスロン」だのへと巻き込んでしまった事を看過しかねる市民は相当数いたはずで、かくいう私も「なるべくしてなったな」としたり顔で思いつつも「さすがに○○○バックドロップは無いだろ」と呆然としたものだ。
とはいっても、これはあくまでレッテル貼りに依存した極めて限定的な話でしかなく、ツイッターにおける保守だのリベラルだのは数%のユーザーによるものだなんていう分析もある。
…あの「バッシング」に加担した市民のうち、何割が「リベラル」で、何割が「保守」であったのか。
東京2020終了後も続いた「小山田圭吾」への「バッシング」を支えた「熱量」はどこから来ていたのか、その答えはどうも、五輪への賛否や政治的立ち位置などからは離れたところにもありそうだ。
4.恵まれしひとたち
※21年10月掲載、狡知 04 「上級国民」を再編※
血税が用いられた東京2020競技大会を前に「森喜朗」や「佐々木宏」と同列に「小山田圭吾」を批判する市民感情が生まれたとしても不思議は無いとはいえ、「小山田圭吾」が東京2020クリエイティブチームを辞し声明にて後悔と反省を示した後も続いたバッシングの中には、「さらなる懲罰」を望む声が少なくなかった。
市民はある意味で被害者であると言えなくもなく、ならば加害者はという話にも当然なってくるのだが、事業規模的にいっても責任を追求する先は大会組織委員会辺りがまず妥当だろう。
…仮に大会組織委員会への損害賠償請求が(誰に対し支払うのか定かならぬところではあるが)何らかの形でうかつにも奇跡的に認められたとして、その財源もまた血税になるであろうことは想像に難くなく、心の平穏を求め朝な夕なに痰壺に向かいマントラを唱えるにしても、その祈りが巡り巡って我が身へと降り掛からぬよう細心の注意を払いたいものだ。
実利を求め「小山田圭吾」へ「さらなる懲罰」を求めることに理はない。
しかし現実には「○○○ドロップされるべき」だの「○○○食って謝罪しろ」だの「カーステ窃盗証拠隠滅失敗便所連座事件」だのといった、「個人への懲罰」をもって責任追及とする「憂さ晴らし」的バッシングが横行し、遊び半分のふざけた禊で溜飲を下げる○○も確かにいるのだなという証左になった。
…ところで私は、小池百合子と大会組織委員会が会見にて連座し、東京湾の生水を飲むくらいのパフォーマンスは必要だったと「今でも」思っているほどの上級国民批判派だったりする。
妙な既視感のある文言はまあいいとして、上級国民批判派の視点からかなり高い確度を確信しつつ、残念ながら当時、「小山田圭吾は上級国民と目されていた」であろう事、そして、東京2020終了後も続いた「小山田圭吾」へのバッシングを支えた「熱量」のひとつに「上級国民批判」という背景があったのではないかという事を指摘したい。
上級の混迷
上級国民(じょうきゅうこくみん)とは、一般国民とは異なる上級の国民を表す、インターネット(ネット)上などで用いられている俗語(インターネットスラング)である。2015年および2019年に、新語・流行語大賞の候補になった。
--- 上級国民 - Wikipedia
「昭和の象徴」として賛否両論を集め散らかしていた東京2020競技大会は、東京で開催される「復興五輪」とはとか、自粛中に開催される五輪の「経済効果」とはといった、「何のための五輪」なのかを問う類の批判にさらされながら、次第に、「誰のための五輪」なのかという批判にもさらされることになる。
2015年9月1日にオリンピック大会組織委員は、エンブレムの白紙撤回を表明した上で、「著作権侵害ではないが一般の国民から理解を得られない」「専門家にはわかるが、一般国民は残念だが理解しない」や「専門家でのあいだではじゅうぶんわかり合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね」と述べた。この発言を受け、報道やネット上では「一般の人の感覚や理解を超えたもの」として反発が広まった。
--- 上級国民 - Wikipedia
「上級国民」という言葉は、東京2020の文脈において生まれ、東京2020に連なる不祥事を批判する手段として、格差社会とか搾取構造への批判や問題提起といった意味合いのもと用いられ、「上級国民のための五輪」というイメージの構築に一役買ってしまった。
繰り返しになるが、炎上当時の「小山田圭吾」は市民にとって「大会組織委員会」側の人物であり、「森喜朗」や「佐々木宏」といった「上級国民」と同列に評される人物でもあった。
市民にとっては「上級国民っぽい」というだけで「上級国民」たるに足り、「小山田圭吾」が「上級国民」たるに足るか否かと議論を尽くすのは的外れですらあるのだが、あえて当時の「小山田圭吾」の上級国民性について語るとすれば、まず東京2020に関わった経緯が不透明であった点、そして、「小山田圭吾」という「名前」の知名度が国民的とは言い難かった点が災いしたと言っていいだろう。
つまり、「誰だっけ?」という人物が経緯も不透明なままに東京2020へ参加するからには何らかの「力学」が働いているに違いない、そしてその「力学」とは上級国民同士の横の繋がりから生じた「上級国民の力学」に違いないと、そう見られてしまっていたように思う。
続く21年8月、小山田圭吾の「はとこ」に当たる伊藤穰一のデジタル庁における人事は、ジェフリー・エプスタインから(ラボへ)の資金提供を問題視されたことを蒸し返す結果となり、なんとも間の悪いとそう言わざるを得ないタイミングで「ああやっぱり上級国民だったのだ」という答えらしきものとなり、「小山田圭吾」そして「伊藤穰一」の上級国民性を相互に補強してしまった。
…というか上級国民が「○○○バックドロップ」なんてするわけがないし、なんなら「○○○バックドロップ」には泥臭くて血生臭くて上級国民とは真逆のプロレタリア文学的リアルすら感じられるわけだが、そういう冷静な判断すら出来なかった辺りも上級国民という言葉自体に宿る魔力ゆえのものだろう。実際デマだったし。恐ろしいことです。
正義の隙間
既存のシステムを掻い潜り私腹を肥やす富裕層とでも言うべきか、「上級国民」という言葉に関し、「金」「悪」「裁けない」といったキーワードは概ね共通して付随していると思う。
「裁けない」と言えば通常、「(裁く必要がないので)裁けない」とか「(法整備が追いつかず)裁けない」といった意味合いも含まれるはずだが、上級国民という文脈における「裁けない」には、「(特権があるので)裁けない」とか「(法整備をさせないので)裁けない」といった意味への偏りが生じる(個人の感想です)。
そして、上級国民と名指しされる事は半ば公人となるに等しく、「懲罰的な関心」のもとに「悪」を求める「正義」を背景に「バッシング」などが伴えば、(それを目にした人達から)当人に対する人権意識は大変希薄になるであろうことは言うまでもない。
また、上級国民という「言葉」が持つ「機能」は様々にあるが、ワイドショーで語られる程度の、社会的な問題などと到底言えない(このような)駄文にすら「社会的意義」があるかのように盛れる点や、格差社会とそれを是正できない政権への批判を背景とした「正義」、「有名税」とでも言うべき叩かれて当然という空気をもたったの「4文字」で醸し出すことが出来る点は特筆されておくべきだろう。
「使いやすい」という感覚、お分かりいただけただろうか。
妙な既視感のある文言はまあいいとして、正義に隙間があるのなら、その隙間を誰かが埋めなければならず、批判が行き過ぎたとしてもそれは必要悪であり、巨悪を懲らしめ正義を成すためには致し方なし、ということでしかないのだが、それが単なる「私刑」になりがちであろう事は言うまでもない。
全てが正義になる。
21年夏における「上級国民問題」を語る場合、東池袋自動車暴走死傷事故の飯塚幸三について言及する必要がある。
飯塚幸三が上級国民であるか否かという点は置いておくとして、「上級国民といえば」という扱いを(当時)受けていたことに関して異論はないはずだ。
19年の夏から秋にかけて、東池袋自動車暴走死傷事故に関し署名活動が行われ、「東池袋自動車暴走死傷事故に関し、加害者である飯塚幸三運転手に対し、出来るだけ重い罪での起訴、厳罰を強く要望いたします。」という内容に、39万筆もの署名が集まった。
署名の内容が、非常に「強い文面」であることに驚きを覚えないだろうか。
そして、その「強い文面」が39万筆もの支持を集めたという現実に、世論の怒りをうかがい知ることが出来る。
不起訴かとすら噂されていた当時、この署名活動を経て飯塚幸三へ実刑を伴う判決が下されたという事実は、署名活動が量刑に影響を与えた「かもしれない」という印象を市井の人々へ植え付けた。
実際に影響を与えたのか、社会的制裁として考慮されむしろ量刑は軽くなったのでは等、見解は様々にあるが、世論にとっては、市民の声で正義を為す事が出来る(かも)という成功体験らしき物になってしまった。
私は正直、上級国民に対し声を上げれば世の中は少し良くなるかもしれないとそう願う人の心情が、分からないでもない。
「小山田圭吾」に関連する「いじめ」は数十年前の話であり(刑事責任など問えず)「裁けない」のならば、市民が声を上げ市民の手で裁くしかない、というその是非はともかくとして、そう思い至る感情自体は(私にとって)決して理解しがたいものではなかった。
しかし「上級国民全体」への怒りに絡め取られ、「小山田圭吾」へ「上級国民批判」を重ね、怒りにまかせ(相手は)どうなってもいいと「さらなる懲罰」を望めば、それは最早「私刑」である。
やっかいな事に、これらの根底にあるものは「正義」だ。
…21年夏の「小山田圭吾」炎上前夜、東京2020にまつわる潜在的な「熱量」を振り返れば、先の見えない「コロナ禍」における不安や不満、五輪という両極端の「非日常」、そして「悪しき昭和」や「上級国民」への苛立ちといったものが一緒くたになり、痰壺の内にてくそみそに煮えたぎり、煮詰まり、痰壺の外へ迸る機会を伺っていた。
それは、因果を巡るに、あまりに完璧な日であった。
5.因果航路にうってつけの日
「因果の日」(日本記念日協会未登録)と呼ぶに相応しいであろう「2021年7月14日」、東京2020公式サイトにてクリエーティブチームへの「小山田圭吾」の参加が発表される。
※炎上過程に関し後日大幅加筆予定?!※
結果として「小山田圭吾」は世界規模でのお叱りを受け、7月16日の声明にて反省と後悔を示し、続く7月19日の声明にてクリエーティブチームを辞する。
小山田圭吾にとって不運であった点は、東京2020開会式「直前」という「あまりに出来すぎたタイミング」で炎上してしまったことだろう。
身も蓋もない言い方をすれば、「東京2020」を「○○○バックドロップ」された市民が怒り狂い、「小山田圭吾」を「○○○バックドロップ」しかえしたという話なのかもしれないが、凡そ最悪の場にて、最悪の燃え方をした「小山田圭吾」の最悪の炎上を、因果応報だの自業自得だの因果宇宙だの○○○だの○○○○だのと安易に片付けて良いものか、
…でもやるんだよ魂とやらでもう少しだけ追いかけてみよう。
炎上に至る必然
炎上当時「小山田圭吾」は主として、「小山田圭吾2万字インタビュー(『ROCKIN’ON JAPAN vol.80』 山崎洋一郎 1994年 ロッキンオンジャパン)」と、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻(『Quick Japan 第3号』 村上清 1995年 太田出版)」における、商業的な「いじめ語り」を問題視されていた。
「食糞強要」や「自慰強要」といった特に広く喧伝された描写に関し(小山田圭吾による声明での訂正等不在のままに)「厳しい見方」をすれば、ほぼ報道された通りの事が両記事には書かれており、特に「いじめ紀行」における様々な差別的描写はあらゆる業界からのあらゆるお叱りを受けかねない代物、「いじめ問題」を「障がい者いじめ問題」としてしまうに足る内容であった。
約30年前に掲載された両記事は電子書籍化等されておらず、正確な内容を知るためには古書として入手するか国会図書館に頼るかする必要があり、広く読まれているとは言い難かった事が脇の甘さを生んだか、両記事に対する小山田圭吾の応答も炎上以前の段階では(限られた聴衆に向けた)否定や訂正に留まり、両記事は実質的に30年近くも放置されてしまっていた。
放置されてしまったこと自体が、両記事と「その周辺」へ一定の信憑性を与えてしまったと言っていいだろう。
小山田圭吾が昭和を語った両記事は平成を超え、約30年の時を経た令和においてその因果の精算を小山田圭吾自身へ迫った。
正義たちの時間
大会組織委員会に関連した逮捕などを受け、「みなし公務員」という制度が周知された。
厳密には大会組織委員会「理事」が「みなし公務員」であるとされるが、本来「みなし公務員」ですらない大会組織委員会関係者をも「みなし公務員」と勝手に「みなし」てしまうような、「みなし公人」とでもいうべき懲罰的な視線があったように思う。
この「みなし公人」に向けられた視線はあきらかに、「個人」へ向けるには過ぎた厳しさを伴っていたように思う。
メディアにとっても、いじめ問題とか上級国民問題、五輪利権に絡んだ不正などの「正義」を問うという体を成してさえいれば、(「みなし公人」への批判は)世論の合意と支持を容易に得られ、(公益性があるのだから)多少の(名誉毀損や)強引さには目を瞑れという免罪符として機能していた。
業炎落日
「小山田圭吾」へのバッシングを伴った「炎上」は、段階的に落ち着きを取り戻していった。
まず、脊髄反射的にまたは踏み絵的に、とりあえず「小山田圭吾」を批判したいだけの層が「小山田圭吾」批判から離脱していった。
次に、21年7月15日の飯塚幸三関連ニュースを受けて「上級国民批判派」が、(上級国民批判としての)「小山田圭吾」批判から離脱していった。
さらに、東京2020が開催されるに至り「五輪中止派」が、(五輪中止のための)「小山田圭吾」批判から離脱していった。
また、政権批判のために五輪を批判していた「五輪批判派」が(「反対なら応援するな、ではない」などとぶつくさ言いながら)、(政権批判のための)「小山田圭吾」批判から離脱していった。
そして、東京2020競技大会終了を迎え「五輪批判派」が、(五輪批判のための)「小山田圭吾」批判から離脱していった。
…東京2020や何かしらの熱狂に絡め取られた「『小山田圭吾』批判」は次第に消え、何らかの「当事者性」や「背景」あるいは「動機」を伴った上での「小山田圭吾批判」が残った。
思惑の二重奏
そもそも「小山田圭吾2万字インタビュー」と「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」が存在しなければ、「小山田圭吾」は炎上しなかっただろうという点に関して、広い同意が得られると思う。
そして、東京2020開会式は当初、「AKIRA」や「マリオ」で話題となった「MIKIKO案」の採用が予定されていたことを覚えておいでだろうか。
つまり、当初予定されていた「MIKIKO案」に沿った開会式(に小山田圭吾が参加しないか参加が公表されないの)であれば、「小山田圭吾」は炎上しなかっただろうという点に関しても、広い同意が得られると思いたい。
…ところで私は、小池百合子と大会組織委員会が会見にて連座し、東京湾の生水を飲むくらいのパフォーマンスは必要だったと「今でも」思っているほどの大会組織委員会批判派だったりする。
妙な既視感のある文言はまあいいとして、大会組織委員会批判派として個人的に怒り狂っている、「なぜMIKIKO案は潰されたのか」という点に関するちょっとした心当たりに言及したい。
当時、組織委員会会長だった森氏が取材に応じたのは、2020年初春のこと。森氏は「講談社だけは絶対、私は相容れないんですよ」とし、講談社への不満をひとしきり述べたうえで、以下のように語っていた(音声は「週刊文春」 電子版↑で公開)。
「私がこの間、組織委員会になってから、ある会社が契約のアレをしたいと言うので、何をやるのかと思ったら、相手が講談社だった。私は『絶対認めない』と言った。何かって、『俺はこんなものを認めるなら辞めようと思う』と言ったら、みんなビックリして」
--- 森喜朗・組織委会長が「講談社は絶対認めない」 KADOKAWAのライバル社を排除《音声》 | 文春オンライン
しかし男性は「全部ウソ」と明かす。実際には昨年夏の時点で「緊急リーダー」という名目で佐々木氏がトップとなり、準備を再開させていた。一方、それまでトップだったMIKIKO氏に対して、組織委はその連絡をしなかった。
--- 「天の声」に翻弄された開会式…組織委関係者が語る「五輪の闇」 :東京新聞 TOKYO Web
製作・著作 - アキラ製作委員会(講談社・毎日放送・バンダイ・博報堂・東宝・レーザーディスク・住友商事・東京ムービー新社)
--- AKIRA (漫画) - Wikipedia
…とはいえ講談社がスポンサーを降りたのは2019年とかの話だろうし、こうこじつけるこれは陰謀論と言っていいだろう。
大学を卒業後、1998年に株式会社博報堂に入社[1]。
~
2020年東京オリンピックの開会式と閉会式では、エグゼクティブプロデューサーを務めた。
--- 日置貴之 (プロデューサー) - Wikipedia
…ほうほう。
卒業後は博報堂に勤めたが、19年に退社し、一族の支援を得てファミリーオフィスを立ち上げた。
--- 任天堂創業家の資産管理会社の代表は弱冠28歳 | ブルームバーグ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
……ふむふむ。
一方で、マリオシリーズや「ゼルダの伝説」、「ポケットモンスター」など任天堂のゲーム音楽は使用されない。
--- 「ドラクエすげぇ」ゲーマーら歓喜、選手団入場曲にFF・モンハンも「そして伝説へ」 : 読売新聞
………お、おう。
「アベマリオが世界を驚かせました」と呼応し「ゲームの世界ではマリオにはヨッシーという頼れる仲間がいました。私の名前は喜朗でありまして、ヨッシーであります」
「これからも安倍マリオと森ヨッシーが助け合いながら、東京大会の成功に向けて、力を尽くしていきたいと思います」
--- 〝安倍マリオ〟が〝森ヨッシー〟から祝福「これからも助け合って」 | 東スポWEB
…………。
「MIKIKO案」が潰された背景に透けてみえる「思惑」、そういえば何かしらの「思惑」を持っていそうなところがまだあったような気がする。
6.≠キャンセルカルチャー
※22年1月掲載、狡知 16 「キャンセルカルチャー」を再編※
私個人は、「小山田圭吾」がキャンセルされた「小山田圭吾炎上事件」を、通常の「キャンセルカルチャー」であったとは考えていない。
炎上の当時、「Change.org」において「東京2020」と「小山田圭吾」に関連する「オンライン署名活動」が行われていた。
「人々の命と暮らしを守るために、東京五輪の開催中止を求めます」という「オンライン署名活動」は最終的に46万筆を集めるが、東京2020競技大会は開催されたし当然のことながら失敗扱いになるのかと思いきや、今も絶察募集中だったりする。
過半数が東京2020競技大会の開催へ反対していたという世論を背景とすれば、46万筆は少ないのではと感じるかもしれないが、そもそもの署名率や五輪反対派の全てが中止を望んでいたわけではないという事を考慮すれば、意外と現実的な数字のようにも思える。
そして、「東京五輪・パラリンピック組織委員会: 東京オリパラ開閉会式制作メンバーから小山田圭吾氏の除外を求めます」というオンライン署名は、およそ3万筆を集めた。
先述した19年の夏から秋にかけての「東池袋自動車暴走死傷事故に関し、加害者である飯塚幸三運転手に対し、出来るだけ重い罪での起訴、厳罰を強く要望いたします。」という「署名活動(自筆)」は、「小山田圭吾の除外を求める」「オンライン署名活動」と比較し10倍以上にもなる39万筆を集めている。
署名活動期間の問題だろうかと思えば、「東京2020開催中止を求める」オンライン署名活動は21年5月5日から21年5月9日の数日で約30万筆を集めており、「小山田圭吾の除外を求める」オンライン署名活動が数日で約3万筆を集めたことは確かに一面の事実ではあるが、前者の熱量には遠く及ばず、「飯塚幸三に厳罰を求める」(オンラインではない)署名活動の39万筆と比較すれば「世論の総意」には遠く、批判はするが(オンライン)署名するほどの熱意までは伴わないという、脊髄反射的あるいは踏み絵的バッシングが横行していた証左ともいえる。
…「小山田圭吾」の「キャンセル」はどこまで望まれていたのかも定かならぬまま、「小山田圭吾」は21年7月19日、クリエイティブチームを辞する。
置き去りの契約
時系列が少し前後してしまうが、ある衝撃的な事実が後の週刊文春にて小山田圭吾により語られる。
「一ヶ月前のオファーということもあり、正式に契約書にサインすらしておらず、その前に辞任になってしまいました。契約書のやりとりは電通経由だったと思います。もちろん自分の意思で辞任を申し出ましたのでギャラも発生していません」
--- 週刊文春9月23日号 135p 小山田圭吾懺悔告白120分「障がい者イジメ、開会式すべて話します」中原一歩
小山田圭吾は太鼓クラブで太鼓すら叩きゃしなかった6-1が、大会組織委員会は東京2020で契約書すら作りゃしなかったわけだ。
そしてなぜか「正式に契約書にサインすらしていない」にも関わらず、東京2020クリエイティブチームとして小山田圭吾の名前が発表された。
「小山田さんが謝罪をされて、私どもも十分理解しました。彼は今、現時点において十分謝罪をして、反省をして、倫理観を持って行動したいと言っておられます。当初、そういうことを知らなかったことは事実ではありますけれども、現時点においては、小山田さんの弁明というものをおうかがいして、引き続き、この(開幕直前という)タイミングでありますので、彼には支えていただきたい、貢献していただきたいと考えています」
--- 組織委が小山田圭吾氏の留任明言 武藤氏「謝罪され、十分理解」 - 東京オリンピック2020 : 日刊スポーツ
結果的に小山田氏に引導を渡したのは、加藤官房長官だった。19日午前の会見で「イジメや虐待はあってはならない行為」と批判し「大会組織委員会が適切に対応してほしい」と、組織委に迫っていた。組織委は昼時点では小山田氏留任の意向を表明していたが、さすがにこれ以上世論を敵に回せなかった。
--- 【東京五輪】「イジメ自慢」小山田圭吾の急転辞任に菅官邸“介入” 五輪開幕直前スキャンダルに場当たり対応|日刊ゲンダイDIGITAL
大会組織委員会は官邸に介入されるまで小山田圭吾の続投を願っていたと言えば聞こえはいいが、未契約の状態で「支えていただきたい」だの「貢献していただきたい」だのと言う前に、まずは正式な契約の締結を急ぐべきなのではないか。
――組織委員会から「辞めて欲しい」という相談などはあったのでしょうか。
「自分の判断です。最後まで組織委員会や政府関係者と話す機会はありませんでした。(中略)」
--- 週刊文春9月23日号 135p 小山田圭吾懺悔告白120分「障がい者イジメ、開会式すべて話します」中原一歩
つまり大会組織委員会は、契約も曖昧なままに小山田圭吾を矢面に立たせ続け、小山田圭吾が辞するのを待っていた、ということなのだろうか。
2017年の東京都庁プロジェクションマッピング(コーネリアス×「AKIRA」金田がバイクで疾走!!:東京都庁プロジェクションマッピング - YouTube)にコーネリアス(小山田圭吾)が関わっていた事を思い返せば、「当初、そういうことを知らなかったことは事実ではあります」という大会組織委員会の弁明も、どこか上滑りしているようにも見えてくる。
私は、「小山田圭吾」の「いじめ」と、その「いじめ」が掲載された「誌面」と、その「誌面」をオリ・パラ(東京2020競技大会)に「持ちこんでしまった事」は本来、別々に考えるべきだと思っている。
数十年前の(当事者間の問題である)「いじめ」に「出版社」と「大会組織委員会」を連座させても意味がないように、商業誌における「誌面」に「大会組織委員会」を連座させても、「誌面」をオリ・パラに「持ちこんでしまった事」に「出版社」を連座させても意味がない。
同時に、事業規模的な側面からも商業誌における「誌面」の問題には「出版社」が連座するべきであり、「誌面」をオリ・パラに「持ちこんでしまった事」には「大会組織委員会」が連座するべきだろう。
そういう意味でも、(仮に正式な契約がなかったとしても)大会組織委員会には一定の道義的責任が小山田圭吾に対してあるにもかかわらず、小山田圭吾を守ることすら出来なかったという点は指摘しておきたい。
しかしそもそも、大会組織委員会の人事へ介入した官邸の狙いが支持率であったとして、世論のおよそ半数が東京2020の開催に関し積極的ではなかった当時、それが功を奏したとしても内閣支持率が何かしらの意味を持つほど改善するだろうか。
…あるいは官邸と大会組織委員会、そして小山田圭吾は、そういう物を抜きにしても三者それぞれに「そうせざるを得なかった状況」に追い込まれていたのではないか。
仮に、官邸と大会組織委員会にとって「小山田圭吾の解任か辞任」は絶対条件であり、小山田圭吾は大会組織委員会と世論の板挟みの中において辞任以外の道は残されていなかったとして、「そうせざるを得なかった状況」とは一体何だったのだろうか。
ファイザーよりの使者
菅義偉首相は23日、米製薬大手ファイザー社のブーラ最高経営責任者(CEO)と東京・迎賓館で会談した。両氏はワクチンの「安定的な供給」などについて意見交換したという。
--- 首相、ファイザーCEOと会談 ワクチン安定供給協議
ファイザー社と言えば「新型コロナワクチン供給元」で間違いは無いのだが、あまり知られていない「別の顔」について少し語りたい。
このような不平等な状況がもたらす危険性は、変異株オミクロン株の出現によってより明確となった。オミクロン株がどう変異、発生したのかはまだ明らかになっていない。しかし科学者たちは以前から、世界の大部分の地域でワクチンが接種されなければ新たな変異株が発生すると警告してきた。
--- 自社利益を最優先したファイザーは新型コロナワクチンでどれだけ儲けたのか | 儲けを重視して貧困国を無視、止まらないウイルス変異 | クーリエ・ジャポン
トランプ政権下でワクチン開発と確保の責任者を務めていたモンセフ・スラウイは、かつてグラクソ・スミスクラインに勤務し、ワクチン開発のリスクも理解していた。
しかし、そんな内情を知る彼でさえ、ファイザーが高額をワクチンに要求してきたことには大きな衝撃を受けた。感情が高ぶったスラウイは、交渉の場でブーラに対し、「100年に一度のパンデミック」から利益を得ようとしているようだと警告したという。
--- “100年に1度のパンデミック”でワクチンを手にした企業が「儲けを優先」するのは不道徳か | 誰もがワクチンを欲しいという状況につけこんだ | クーリエ・ジャポン
国連合同エイズ計画(UNAIDS)トップのウィニー・ビャニーマは、そのインタビューを読んで身震いしたという。「彼は世界を救っていません。救うことができたはずなのにそうしなかったのです」と、アフリカでのワクチン接種率が非常に低いことを指摘した。
南アフリカ政府の高官は、ファイザーに関して具体的なコメントはしなかったが、こう述べる。「人類全体にとって重大な危機からこれほど利益を得るのは、それが誰であっても不道徳だと思います」
また2021年9月、ブーラは、ワクチン接種忌避によって接種率が一定に限られることから、翌年にはワクチンの備えが充分な状況になるだろうと発言し、多くの人々の怒りを買った。この発言はブーラがワクチン未接種国の現実とは無縁であるという印象をさらに強めるものだった。
--- ファイザーはワクチンを確保したい途上国から、国家財産を担保に差し出させようとした | 人類の危機に際しても、優位な立場を使って利益を巻き上げ | クーリエ・ジャポン
「新型コロナワクチン供給元」としてのファイザー社が、一般的に思われているような牧歌的な組織かと言えばどうやら少し違うらしく、少なくとも交渉に際し万全の体制で望むべき油断のならない相手であると言ってよさそうだ。
(アルバート・ブーラは)その数週間後には、東京オリンピック開会式出席のために日本を訪れ、当時の菅義偉首相から歓迎を受けた。迎賓館赤坂離宮に企業のトップとして迎え入れられたのは、彼が初めてだった。
--- 自社利益を最優先したファイザーは新型コロナワクチンでどれだけ儲けたのか | 儲けを重視して貧困国を無視、止まらないウイルス変異 | クーリエ・ジャポン
まさにVIP待遇、官邸の腐心が透けてみえるようだ。
私の人生にとって、両親から聞かされたホロコースト時代の経験は、私の世界観にとてもインパクトを与えてくれました。今回、初めて両親のホロコースト時代の経験を公の場所で話しました。
ファイザーCEOアルバート・ブーラ氏、ホロコーストを生き延びた両親の経験を初めて語る(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース
そして、これもあまり知られていないように思うが、新型コロナワクチン供給元であるファイザー社CEOであるアルバート・ブーラの両親は「ホロコーストサバイバー」だ。
第三節 組織委員会への国の職員の派遣等(組織委員会による派遣の要請)第十六条 組織委員会は、大会の準備及び運営に関する業務のうち、スポーツに関する外国の行政機関その他の関係機関との連絡調整、大会の会場その他の施設の警備に関する計画及び選手その他の関係者の輸送に関する計画の作成、海外からの賓客の接遇その他国の事務又は事業との密接な連携の下で実施する必要があるもの(以下「特定業務」という。)を円滑かつ効果的に行うため…(略)
--- 令和三年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法 | e-Gov法令検索
…大会組織委員会と官邸は当然、菅義偉とアルバート・ブーラの会談を事前に知っていたはずだし、アルバート・ブーラの両親がホロコーストサバイバーであることもまた知っていて然るべきであるはずだ。
ポリコレに気をつけろ
ホロコーストとは、ナチス政権とその協力者による約600万人のユダヤ人の組織的、官僚的、国家的な迫害および殺戮を意味します。 「ホロコースト」は「焼かれたいけにえ」という意味のギリシャ語を語源とする言葉です。 1933年1月にドイツで政権を握ったナチスは、ドイツ人を「優れた人種」であると信じる一方、ユダヤ人を「劣った人種」であると見なし、いわゆるゲルマン民族のコミュニティに対する他民族による脅威であると考えました。
--- 「ホロコーストについて | ホロコースト百科事典」
(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会による小林賢太郎氏の解任について)
御指摘の件につきましては、言語道断、全く受け入れることはできません。
(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会による小林賢太郎氏の解任について(再))
このことは、あってはならないことですから、そこのことについては秘書官を通じて、これは受け入れられない、そういう対応をしました。
--- 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会による小林賢太郎氏の解任等についての会見
東京2020競技大会開会式が翌々日に迫る21年7月21日、小林賢太郎がコントの中で「ホロコースト」を扱っていた事が問題視されると官邸は、「これは受け入れられない」と大会組織委員会の人事へと再び介入したか、小林賢太郎が解任される。
これらの絶滅収容所では、化学的に製造された純粋な一酸化炭素ガスが使用されました。
--- ガス室の使用 | ホロコースト百科事典
これを踏まえ「小山田圭吾炎上事件」へ目を向けてみれば、問題とされた誌面のなかに「ある描写」を見出すことが出来る。
そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタってやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 067p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
「密室ものとして。あと黒板消しはやっぱ必需品として。〝毒ガスもの〟として(笑)」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 062p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
20分後、『夕刊フジ』の地下鉄サリン事件増刊号を小脇にかかえながら、コーネリアスはいきなり目の前に現れた。
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 055p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
しかしこの「毒ガスもの」は、誌面を注意深く読み込めば「地下鉄サリン事件」の文脈にあるとわかるのだが、こういう問題に関し性善説を取るほど私は呑気ではないし、世間一般もまたそうだろう、つまり「ホロコースト」に関連すると「そう読める」ならやはり「そう読てしまう」だろうし、「そう読むほうが悪い」と言って簡単に納得するのなら最初から「そうは読まない」だろうという話になる。
…官邸主導による「小山田圭吾と小林賢太郎のキャンセル」を「対外的に示すこと」は、ブーラとの会談を控えた官邸にとって前提であったのではないか。
「小山田圭吾」と「小林賢太郎」をキャンセルしたのは本当に世論だったのだろうか、それとも…。
ガースー、再び
官邸は決して無能ではない。
首相官邸から国会図書館まではおよそ700メートル、極めて早期に誌面を入手し検証したはずだ。
…そう、極めて早期に「あの誌面」を入手してしまい、そして「あの誌面」をガー…、もとい「第99代内閣総理大臣 菅 義偉」も読んでしまったに違いない。
菅首相は『辞めさせろ!』と激怒したといいます。
--- 「イジメ自慢」小山田圭吾の急転辞任に菅官邸“介入” 五輪開幕直前スキャンダルに場当たり対応
そうですか(ニッコリ)
キャンセルの向こうへ
21年の夏、新型コロナワクチンは国家間での争奪戦の様相を呈していたように思う。
仮に官邸が「小山田圭吾」や「小林賢太郎」の人事へと介入せずに23日のブーラとの会談に臨んだ場合、とてつもなく気まずいことになるのは目に見えており、将来の新型コロナワクチンの安定供給もどうなっていたか分からない。
「小山田圭吾」と「小林賢太郎」の尊い犠牲の背景には、新型コロナワクチンの獲得に絡んだ官邸の思惑があったかというその真偽はともかく、その犠牲は結果として、誰かの命を救ったのかもしれない。
もしかすると後に美談として語られるのかもしれない…、のだが話はそう簡単に終わらない。
…炎上の当時、「小山田圭吾」に関連し様々な声明や記事が乱発されたが、それらには当然、何かしらの「思い」や「思惑」が込められていた。
7.声明の森で
炎上当時、「小山田圭吾」は世論に「余罪」を問われていた。
既に何十年かが経過した話であり、良くも悪くも「あらゆる証明が出来ない」ことは世論も理解していたはずだ。
その上で世論は、「けしからん!」と怒ると同時に批判的な疑いの目を、五輪批判や上級国民批判といった色眼鏡越しに「小山田圭吾」へと懲罰的に向けていた。
「小山田圭吾を信用していいのか」
当時の「小山田圭吾」は、世論からの抽象的なこの問いに答えなければならなかった。
炎上の渦中という極限状態で小山田圭吾は何を思ったのか、まずはあらゆる先入観を廃し、改めてその声明を読んでみたい。
東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして pic.twitter.com/WWedM9CJwK
— Cornelius (@corneliusjapan) July 16, 2021
…小山田圭吾のこの声明が出されてから約2年、今改めて読んでみても、様々な背景からの広い支持が得られるであろう「真摯な反省」という印象は変わらない。
的確な現状把握は声明に誠実さを与え、何が問題なのか、何に配慮しながら、どう反省するべきなのかが端的に説明されていたことは、小山田圭吾自身がこの問題に関し、長く思い悩んでいたであろう事を間接的に証明した。
この声明は、炎上を鎮火する力こそ持ち得なかったが、届くべきところへ小山田圭吾の声を届け、世論が(一瞬ではあるが)冷静さを取り戻す契機にもなり、「社会運動としてのキャンセル」へ「小山田圭吾」を追い立てることへの防波堤として機能した。
この声明を少し恣意的に要約すれば、小山田圭吾はこの声明において、二次被害へも配慮しながら「誌面を問題視」し、「事実と異なる内容も多く記載されている」ことを示した。
小山田圭吾による7月16日の声明を受け、7月18日に「小山田圭吾2万字インタビュー」を掲載した株式会社ロッキング・オン・ジャパンが、7月19日には「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を掲載した株式会社太田出版が、小山田圭吾に追従する形で声明を出した。
しかし21年7月19日、ここまで書いてきたような経緯や背景があったかは分からないが、小山田圭吾は東京2020クリエイティブチームを辞する。
東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして pic.twitter.com/p91zE94s1t
— Cornelius (@corneliusjapan) July 19, 2021
その際の声明は、炎上による疲弊を感じさせるものであった。
…「両誌面」をそのままにしておけば、いつかまた同じことになりかねない。
21年夏、ロッキンと太田出版が共同した山崎洋一郎主導による問題解決が始まり、「両誌面は総括される」のだろうと誰もが予感していた。
過去からの贈り物
続く21年7月末辺りという小山田圭吾炎上事件の極めて早い段階で北尾修一は、「いじめ紀行を再読して考えたこと」を連載し、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」(太田出版)に関わった当事者として声をあげ、「いじめ被害者と小山田圭吾の間には交流があったこと」や、「炎上時点で多く参照されたブログには悪意による切り貼りがあったこと」を指摘し、「(いじめ紀行の)誌面キャプチャー」を公開した。
特に「(いじめ紀行の)誌面キャプチャー」が添付されていた意味は大きく、炎上の渦中、実際の誌面や文字起こし不在のままに独り歩きしていた「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」の全容がようやく明らかになった。
「いじめ紀行を再読して考えたこと」は話題となり、少なくとも極悪人ではないかも知らんな程度の春風を、燃やし尽くされた「小山田圭吾」のその残り火へと吹き込んだ。
春風とはいえ風は風、「小山田圭吾には被害者としての側面もある」という新たな視点が与えられたと同時に、「原文を読んでも印象は変わらない」とか「友情があったと言えばいいのか」という類の批判もまた噴出し、火に油を注ぐ図式にもなってしまっていた。
その主張を私がどう受け止めたかという意味で要約させてもらえば、「誌面は切り貼りの結果として露悪的に見えるだけ」であり「小山田圭吾は悪くない」し「誌面も悪くない」、「障がい者との交流」は「むしろ美談」となるだろうか。
実際に「切り貼り」らしきものはあったのだし、不完全なものが独り歩きした結果でもあり、北尾修一の言うような読み方も出来ないわけではない、一定の反感を買いはするものの「応急処置」とか「緊急回避策」としては十分なものであった。
同時に、「そう読むほうが悪い」とするその論法は、当時の不十分な検証の元では、「そう読みたい」人たちや「そう読まざるをえない」人たち、「そう読まなければならない」人たちを取りこぼしてしまう、未完成なものでもあった。
そして21年7月30日、赤田祐一が「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」に関わった当事者として、北尾修一と論調を共にしながら声明を出す。
さらに21年8月始め、外山恒一が、北尾修一や赤田祐一の論調を引き継ぐ「小山田圭吾問題の最終的解決|外山恒一|note」を公開する。
続く21年9月、週刊文春における中原一歩による小山田圭吾へのインタビュー記事「小山田圭吾懺悔告白120分『障がい者イジメ、開会式すべて話します』」の掲載にあわせ、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」に関わった最後の当事者である村上清が「1995年執筆記事「いじめ紀行」に関しまして」という声明をだし、小山田圭吾自身による「経緯説明」に向けて周辺環境を整えた。
Webサイトへが繋がりにくくなっているため、画像にてこちらへ再掲します pic.twitter.com/3Ii0fsdNPm
— Cornelius Info (@cornelius_news) September 18, 2021
週刊文春の記事は基本的には有料であり、入手性も次第に悪くなっていく事に配慮したと思われるこの声明は、約30年の時を経た「いじめ加害」の「実像」を小山田圭吾自身が説明したものであった。
…当時、私自身はこの声明を、「小山田圭吾は赦される必要がある」と頭では分かっていながらも、やはりかなり厳しく見てしまっていたし、特に「なぜあの『誌面』は生まれたのか」とか「なぜそのままにしてしまっていたのか」という部分に関し、煮えきらない思いをしばらくは抱いていたように思う。
しかしどちらにせよ7月16日の声明で示された苦悩や葛藤、そして後悔や反省も本物だろうし、文春記事と9月16日の声明で基本路線らしきものも示された、後は「多様な意見や見解」が出るなかで「どう説明すればいいのか」という部分も洗練され「世に響く擁護論」へと育っていくだろうし、様々な業界や有識者からの追い風を受け復帰に向けて順風満帆だとそうなれば良かったが、そううまく事は運ばなかった。
8.消されたクスリ
小山田圭吾炎上事件を受けて小山田圭吾ファンダムの小沢健二よりなところから、「擁護派」と呼ばれる一派が生じた。
こういう事を言うと、どうせお前は昼夜問わず擁護派の投稿を監視し思想信条すら忘れ去り形振り構わず如何に難癖をつけられるかという点にのみ執着し顔を真っ赤にしながらプラットフォームへ報告しまくっているんだろうとか思われがちだが、私はそこまで暇人ではないし、私はそこまで擁護派を嫌っているわけでもない、私が言っていることと、擁護派が言っていることもそうかけ離れているわけでもない。
空回りしてしまったところは確かにあったが、小山田圭吾の復帰を擁護派が後押ししたところも確かにあっただろうし、心の支えになりもしただろう、小山田圭吾擁護派が小山田圭吾を擁護すること自体に不思議は無く、誰も擁護すること自体を本気で問題視なんてしていなかった。
しかし一方で、一定の批判に晒されたのはなぜなのかと言えば、擁護の「やり方」に問題があった。
小山田圭吾のために何か出来ることはないのかという焦りもあったのだろうとはいえ、一時期、「小山田圭吾」に対する批判的な発言を意見を探し、訂正や撤回を高圧的に求めるという余りに力技な手段に訴えてしまっていた。
一定の効果は確かにあっただろうがしかし成功率はあまり伸びず、逆に相手と論争になり、相手の意見が硬直してしまうことも度々あった。
私は、少し違った所から、少し違ったやり方で、少し違った所に向けて、小山田圭吾炎上事件を説明し続けて来たつもりだが、今とは比較にならないほど怒る人は「本気で怒っていた」し、そういう怒る人が「怒りを鎮める仕組み」も無かった。
そういう全体が殺伐としていた時期に擁護派は、ある禍根を残してしまう。
壁が隔てたもの
…まあ私は当事者ではないし、むしろ「豆みつお○玉事件」は誰かに総括されておかなければいけないのではないかという妙な焦燥感しかない程度の部外者でしかないので、詳しいことは語れないし、語るべきでもないのだが、擁護派はロマン優光と対立してしまった。
「90年代サブカルの呪い」において炎上以前から「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」へと言及していたロマン優光や、香山リカとの対立は、サブカルチャー的な文脈からの小山田圭吾炎上事件に関する考察や助力を拒絶し、極論すれば「私情」が、擁護派自身の「擁護論の更新を阻む」ことになり、「小山田圭吾の声を届けなければならない層との断絶」を生んでしまった。
フジロック22の直前というタイミングでの、(本来は擁護派と合流出来たはずの)かがりはるきとの対立を見れば、ある種の縄張り争いにも似た政争だろうかということになるが、そこで協調路線を歩めなかったことはファンダム全体にとっての損失だったといっていいだろう。
そういう排他性は後に、擁護派自身を苦しめることになる。
「段ボールとかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)。そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタってやって、しばらく放っといたりして〔…〕」
「本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。ゴロゴロ転がしたりしたら『ヤメロヨ―』とか言ったけど」
--- 片岡大右「小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える」118p
引用一行目の「〔…〕」では、何が省略されているのかと誌面を当たれば、いかにも「90年代の特殊な文化」を背景として書かれていそうな描写がある。
単純に「そういう描写を避けたかった」のかと思えば塩味だの潮風だのと「律儀にもあらゆる省略をせず」に引用し、懇切丁寧に国会図書館へ「片岡大右の業」を刻み込んだ。
…意外と体張ったなという私の感想はともかく、小山田圭吾炎上事件という大因果物語に関わった人物として、先人から学んでおくべきことがあるのではないのだろうかという点は指摘しておきたい。
この「いじめの矮小化」とも取られかねない不完全さを残してしまった背景に、ロマン優光との対立があったりはしないだろうか。
正確な引用をという誠実さが裏目に出たか、あるいはもしかすると人格プロデュースの一環なのかもしれず、意外とそういう特殊な表現に長けているのかもしれない。
…という軽口はおいといて。
小山田圭吾炎上事件において問題視された両記事から(サブカルチャー的な意味での)「露悪」という文脈を廃すれば、あの両記事は一体、何なのだろうか。
つまり書かれている事は全てが真実と言うことなのか。
9.Ghost Whispers
…いや、まさか。
- 21年10月(狡知 01 「はじめに」)連載開始、北尾修一非公式ファンクラブ公式サイトだの○○だの○○○○だのといった誹りや幾度かの「F5」といった凡そ文化的とは言い難い数々の業を背負いネットの苦海の果ての果てに鎮座するなんだかんだ↩
- 「それで太鼓クラブに入ったんですけど、(略)太鼓なんか叩きゃしなくって、ただずっと遊んでるだけなんだけど。(略)」(いじめ紀行 小山田圭吾の巻 056-057p 村上清『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)↩