北尾修一。2021年夏、小山田圭吾は過去のインタビュー記事「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を問題視され東京2020における楽曲参加を辞任した。そのインタビューに同席していた人物だ。
以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 064p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
この連載の目的のひとつは、北尾修一が小山田圭吾問題においてどういう役割を果たしたか、それを記録に留める事だ。
「いじめ紀行を再読して考えたこと」
小山田圭吾が炎上している。 出版側の当事者であった北尾修一は、かなり早い段階でそれに気づいただろう。 同時に、迅速に行動したはずだ。
7月中旬の小山田圭吾炎上を受け、北尾修一は7月20日、彼が代表を務める株式会社百万年書房の公式ブログ「百万年書房LIVE!」にて「いじめ紀行を再読して考えたこと」(現在有料、以下北尾文書)の連載を開始する。この連載記事は、小山田圭吾の問題の初期において「ある方向性」を形作った重要な記事であったと私は確信する。
具体的に何が書いてあったのかについては前回(「狡知 05 「夜明け」 | 敬称略雑記」)、簡単に書いたので参照していただきたい。
推測の域を出ないが北尾修一は、この構想自体は以前から持っていたのではないだろうか。 そう思わせる程度には完成度が高い。
個人的にはこの北尾文書に関し、言いたいことが色々ある。 しかし、まずは北尾文書が、果たして本当に、一般的に思われているような物なのか、それを確かめる必要がある。 今回この記事を読んで、北尾文書に対し少しでも疑念を持っていただければ幸いである。
そして当時、私が北尾文書を読んで感じた違和感を共有できればと思う。
それは感動ポルノか?
北尾文書への賛否はまず置いておいて、これを感動ポルノとかそれに類する物と感じた当時の読者は少なくないのではないか。
または、「ちょっとイイ話」程度に感じただろうか。
一見すると、そんな、軽い読み物のような雰囲気をまとっているのだ。
そして実際、そういう軽い読み物として読まれていた。
それを「ただの」感動ポルノとか、「ただの」ちょっとイイ話として扱って良いのだろうか。そう簡単に決めつけてはいけないと、強く言わせていただこう。 結果を先に言ってしまえば、少なくとも「ただの」感動ポルノではないし、「ただの」ちょっとイイ話でもない、という事になるわけだが。
少し、恣意的な検証をしてみよう。
あくまで私の解釈であるという前提を常々忘れずに読んで頂きたい。
攻撃性
北尾文書は攻撃性が高いのではないか。
感動ポルノの攻撃性、意外に聞こえるかもしれない。 私にとってそれは「いじめ紀行を再読して考えたこと 02 - 90年代には許されていた?」において鮮明で、一読した時点でその攻撃性を感じていた。
元記事のテキストそのものは改変していないのですが、マーカーでチェックしながら読むと、意図的にエピソードの順番を入れ替えたり、小山田さんの発言の一部を削除したり、記事本文の途中で注釈内のエピソード挿入し、それに続けてまた別の場所の記事本文につなげたり……よく言えば「繊細な編集が施されている」ですが、悪く言えば「元記事の文脈を恣意的に歪めている」。
ただ、それらのカットアップとつなぎがあまりに巧く、スムーズに読めるので、普通に読んだらまったく気にならない(私みたいにマーカーを引きながら照合しないと気付かない)。
このブログ運営者、素人じゃない。
--- 北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?」
北尾文書は株式会社百万年書房の公式ブログで公開された。 そして株式会社百万年書房の代表は北尾修一だ。
それらを踏まえ、北尾文書を要約してみよう。
株式会社の代表がその公式ブログから、個人のブログをプロの編集者が恣意的な切り貼りを拡散しているブログと糾弾している。
もう一回。
株式会社の代表がその公式ブログから、個人のブログをプロの編集者が恣意的な切り貼りを拡散しているブログと糾弾している。
はっきり言おう。
私には、「悪意あるプロがデマで小山田圭吾を炎上させたブログがこれだ」というふうにしか聞こえなかった。 むしろそれ以外をどう汲み取れというのか。
正直目を疑った。株式会社百万年書房、たしかに法人(法人番号割愛)だ。 株式会社の代表が株式会社の公式ブログから個人のブログを直接攻撃? しかもウンコバックドロップ(デマです)絡み。地獄か。
さすがに絶句。
なぜか
本来であれば、修正あるいは削除等を小山田圭吾の事務所等から「個人のブログ」に対し働きかけるべきだろう。 その働きかけも、妥当な方法で行われたか等、慎重さが問われる。
小山田圭吾のいじめ問題は何年もの間くすぶり続けていた。当時の誌面ではなく、「個人のブログ」や掲示板等がその元凶とされている。 北尾修一を含めた当時の関係者と小山田圭吾が、この個人のブログの存在に気づかなかったとは到底思えない。 苦虫を噛み潰したような顔で見ていたか、さては鼻でもほじりながら見ていたか、または有ったほうが都合が良かったか、それとも本当に自分たちが書いた記事を忘れさり完璧に無関心であったのか。
いくらでもやり方はあったはずだ。
なぜ、株式会社の代表が株式会社の公式ブログから個人のブログを糾弾するという乱暴な手段を取らざるを得なかったのか。
拳の振り下ろし先
北尾文書へ言及した発言を見ると少なくない数の「(炎上中の)小山田圭吾に対する見方が変わった」という声がある。 小山田圭吾に対し好ましくない印象を持っていたが、北尾文書を読みそれが変わったという事だろう。 北尾文書が公開された当時、小山田圭吾に対する増悪の連環、それはそれはひどいものであった。 当然、北尾文書は、小山田圭吾に対する強い怒りを伴って読まれた。 同時に、小山田圭吾の辞任を受け世論は、一瞬、わずかに冷静になっていた。
7月中旬のあの当時「熱心なネット民」は、拳の「次の」振り下ろし先を求め北尾文書を読んでいた。 「なぜこうなったか」という意味での拳を振り上げつつあった、とも言える。
あの当時、五輪とコロナ禍が重なった熱狂があり、世論は小山田圭吾へと拳を振り下ろしたが、それだけでは到底収まらなかったのだろう。 この雰囲気が醸成された背景には様々な要因が有ったと思う。
仮に、小山田圭吾を擁護するという目的のみで北尾文書が書かれていたならば、「個人のブログ」への言及は不要ではないか。 どう罵られようが淡々と事実関係を説明すればいい。 辣腕編集者である北尾修一にそれが出来ないはずがない。 小山田圭吾による7月16日の声明と、7月19日の声明、ロッキンオンジャパンの声明、太田出版の声明が重なった時期だ。 皮肉抜きに本当にそう思う。 しかし北尾修一はそうしなかった。当時の編集側の配慮が足りなかった等の批判をかわすため、恣意的な切り貼りによるデマが流布されていたという物語が必要だったのではないか。
拳の振り下ろし先として、恣意的な切り貼りによるデマを流布したとされる「個人のブログ」がむしろ必要だったのではないか。
リスク
株式会社の代表が株式会社の公式ブログから個人のブログを糾弾するような乱暴なやり方は、後々問題視される可能性が高い。 10月現在、小山田圭吾辞任から三ヶ月たった今、実際に私が問題視している。 小山田圭吾炎上とは何だったのか、という検証の中で、繰り返し蒸し返されるであろう禍根である。
「なぜあえてリスクを取る必要があったのか」
北尾修一という人物が、株式会社百万年書房をかけてまで、無駄なリスクを取るだろうか。 ついうっかり、思い至らず、そもそも気にしてない、実は個人ブログの持ち主、考えればきりはない。 しかしどれにも共通するのは、辣腕で知られる北尾修一が、不覚にも無駄なリスクを取るだろうかという疑問である。
この個人のブログへの攻撃性は、計算し尽くされた物に見えてならない。
…まあなにしろ僕はもう北尾修一のファンですからね。
こんな妄想はお手の物ですよ。
コントロールされた誌面の頒布
7月後半、ソースとして参照できる当時の誌面というのは貴重だったように覚えている。 大手新聞社の記事には、(中身は読めないが)誌面の写真等が掲載され、それが大元なのだなという認識はあった。 しかし実際に参照できるものは、断片的な写真、表紙のみ、部分的な文字起こし、不完全な物がほとんどだった。 当時の誌面というのは潜在的にかなりの需要があったはずだ。
北尾修一が巧みだったのは当時のQuick Japan誌面を、あえて出版側から公開したことだ。 いずれ誰かの手によって著作権等を無視してでも頒布されるのは確実であった。 あるいは当時、既にされていたかもしれない。
どこかの誰かが、「この編集には問題が有る」なんて発言とともに、誌面を公開し、それがバズりでもすれば目も当てられないとはまさにこの事、関係者にとって悪夢の始まりだ。
北尾修一が最も避けたかったのは、出版側の責任を問うために誌面が読まれる事だろう。
少なくともそれを避けるにはどうすればいいか。
簡単である。
出版側からさっさと誌面を公開してしまえばいい。
さらには出版側にとって都合のいい「読まれ方」の指南付きで公開できればなおのこと良い。 出版側にとって都合の悪い「読まれ方」への対策があれば完璧だ。
北尾修一による至れり尽くせりの「おもてなし」、僕はこういうの、けっこう好きですよ。
かように技術的な感動ポルノ
北尾文書が、「ただの」感動ポルノだとか、「ただの」ちょっとイイ話だとか、到底言い切れない事はおわかりいただけただろうと願いたい。
今回の記事の目的は、小山田圭吾といじめ被害者の「友情」を醸成するため書かれた北尾文書が、果たして牧歌的で素朴な純粋でキラキラした清廉な思いから清く正しく美しく誠実に真摯に愛を込めて書かれたものか、という点に関する少しの疑念を共有することにある。
あるいは北尾修一がニヤつきながら極悪人さながらの顔芸で垂れ流したすわ稀代の怪文書かという所まで勝手に深化していただけたらこれは筆者冥利に尽きるというものだ。
個人的には、北尾修一の技術を高く評価している。 同時に、今回の件に関し、それ故に危険さも伴うな、と、一種の懸念もある。
そして如何だろうか。 当時私が覚えた違和感を少しでも共有できただろうか。 正直に言えば当時、一読した時点で「これは何かやっている」という確信めいた物を私は感じた。
次回も同じく、北尾文章を追いかけたい。