デマ
前回(「狡知 06 「腐臭」 | 敬称略雑記」)と同じく、北尾修一が小山田圭吾辞任を受け7月20日に投稿した連載記事「いじめ紀行を再読して考えたこと」(以下、北尾文書)を追いかける。
小山田圭吾問題で囁かれる「デマ」の存在。この「デマ」とは何なのか。小山田圭吾の声をかき消してまで何を求めたのか。
7月末に私が感じた強烈な違和感を少しでも共有できればと願いつつ当時を振り返ってみたい。
北尾修一好きですねって、そりゃ、ファンですからね。 当然の嗜みです。
最大のデマ
まずはっきり言おう。
小山田圭吾問題における最大のデマとは、ロッキンオンジャパン誌面だと私は考える。
ウンコバックドロップ(デマです)が掲載されたロッキン誌面が無ければ、小山田圭吾の炎上も無かった。 この点のみにおいては、広い同意が得られるはずだ。
やっかいな事にこの誌面は、インタビュー記事であり、小山田圭吾の言葉を元にしている。 小山田圭吾とロッキンオンジャパン、どちらに問題があったか。水掛け論だ。 しかし両者がこのデマを長い期間に渡り半ば放置した事で、その信憑性は逆に高まってしまった。
関係各位にとってはどう触っても厄災しか生み出さない事は分かりきっている最悪の爆弾といった所だろうか、ご愁傷さまです。
ロッキンオンジャパン
小山田圭吾問題の中で「ロッキン」「ROJ」といった表現で参照されるソースがある。 ROCKIN’ON JAPAN 1994年1月号にて掲載された、「小山田圭吾2万字インタビュー」だ。 問題を扱った記事等で、赤い字が印象的な誌面を見たことはないだろうか。 それが「ロッキン」だ。
ウンコバックドロップ(デマです)をはじめ、小山田圭吾に対する悪いイメージという物の多くが、この誌面から発生した。 調布の超万引場所カーステ窃盗証拠隠滅失敗便所(多分デマです)もこれが大元だ。
インタビューを受けた当時の小山田圭吾は、自身のそれまでのイメージを変えるため、あえて露悪的な振る舞いをするという明確な指針があったようだ。 当時の小山田圭吾とロッキン、互いに利のあるインタビューだったのだろう。
小山田圭吾の声
辞任に先立ち小山田圭吾は自身のいじめ問題について声明(東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして)を出した。 それは自らの未熟を真摯に恥じる内容だった。 現状も的確に把握しており、何が問題なのかという点を良くまとめている。 充分な時間さえおけば、真偽、余罪、対応、それらを含め、必ず受け入れられる。 そういう説得力すら伴った、なかなかの謝罪だと私には思えた。 当時のウンコバックドロップ(デマです)という糞壺の底からよくぞこれだけの声を上げたと、感動すら覚える仕上がりだった。
この声明から少し引用しよう。
記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。
学生時代、そしてインタビュー当時の私は、被害者である方々の気持ちを想像することができない、非常に未熟な人間であったと思います。
--- 7月16日 小山田圭吾 東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして
名指しされたデマ
引用した声明において、名指しされている物がある。
見るべき部分を恣意的に強調させてもらおう。 巨匠に習い蛍光ペンマーキング風だ。
記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。
--- 7月16日 小山田圭吾 東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして
発売前の原稿確認が出来ないというのは当時のロッキンオンジャパンの方針のようだ。
誤った内容や誇張を「訂正」するのではなく、「指摘」する。 大げさに話した事を是正するなら「訂正」が妥当だろう。しかし小山田圭吾は「指摘」という言葉を選んだ。 (小山田圭吾による9月17日付けの声明では、この指摘に相当する部分が訂正という表現になっている。 この微妙な表現の変化に関していつか取り上げたいと思う)
つまり小山田圭吾は、「ロッキン」が「デマ」であると言っているのではないか。
それでは困る奴らがいた
声明を出した当時の小山田圭吾は、問題に対し真正面から謝罪しようとしているように私には見えた。 7月16日の声明からは、誌面を20年以上もそのままにしてきた現実と向き合う強い覚悟が伝わってきた。
その過程で確実に語られるのは、誌面が作られた当時の経緯だろう。 どういう状況でのインタビューであったか、どういう編集がなされ、どの部分に誤認があるのか、どの部分が誇張なのか、それがなぜ、誰により行われたのか、追求されるはずだ。
これで困るのは出版側ではないか。
いじめを商業的に利用しただけでなく、編集に関しても問題があるとなればどうなるか。 小山田圭吾炎上の根本原因が出版側にあるとされれば、五輪に絡んだ今回の騒動の全ての責任を取らされかねない。
何十年前かの話である。 あらゆる証明は出来ない。 それはそれは見るも無残、凄惨なリンチになるであろう事は想像に難くない。
要は小山田圭吾と一緒にウンコバックドロップ(デマです)に巻き込まれるのは御免被りたい、そんな思惑があったのではないか。
「小山田圭吾 デマ」
7月末から8月にかけて、小山田圭吾に関する「デマ」という話題が急速に広まりだしたように記憶している。 当然、「小山田圭吾 デマ」という検索も増えたはずだ。 ではその小山田圭吾に関する「デマ」として語られていたものは何だったのか。
小山田圭吾が声明において実質的に名指ししたロッキンオンジャパン誌面だろうか。
Twitterにて「ROJ デマ」と検索してみると、7月15日(某ツイート投稿日)から10月28日現在まで検索結果はなんと15件。 「ロッキン デマ」で5件。
…ほぼ語られていない。
ロッキンを差し置いて「小山田圭吾 デマ」という検索結果に表示されていたものは何か。 某ブログ?某ツイート?某新聞社?某ジャーナリスト????
…「デマ」が上書きされている。
上書き
小山田圭吾が7月16日に声明を公開し、7月19日辞任に関する声明を公開し、翌7月20日に北尾修一が連載1回目である「いじめ紀行を再読して考えたこと 01-イントロダクション」を公開する。
記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。
--- 7月16日 小山田圭吾「東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして」
おそらく『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号の記事は、もっとずっとシンプルな話なんです。これは推測ですが、インタビュアーへのリップサービスで、小山田さんが学生時代の出来事を大げさに話したのではないでしょうか。そしたら、それを誌面にそのまま載せられてしまったと。現在は知りませんが、当時の『ロッキング・オン・ジャパン』がミュージシャンに原稿チェックさせなかったのは有名な話です。
--- 7月23日 北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと 03-「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」
さらに、7月末を思い出すという趣旨から外れてはいるが、小山田圭吾が9月に公開した声明からも少し引用しよう。
『ROCKIN’ON JAPAN』については、発売前の原稿確認ができなかったため、自分が語った内容がどのようにピックアップされて誌面になっているかを知ったのは、発売された後でした。それを目にしたときに、事実と異なる見出しや、一連の行為を全て私が行ったとの誤解を招く誌面にショックを受けましたが、暴力行為を目にした現場で傍観者になってしまったことも加担と言えますし、その目撃談を語ってしまったことは自分にも責任があると感じ、当時は誌面の訂正を求めず、静観するという判断に至ってしまいました。
--- 9月17日「いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明」
北尾文書
出版側には、ロッキンオンジャパン誌面というデマに対し世論の拳が振り下ろされる前に、何かしらの手を打つに足る動機があったように思う。 北尾文書において北尾修一は、個人のブログを名指しした。 あくまで私個人の解釈であるという前提を忘れないでいただきたいが、私には、その個人のブログがデマの発信源だと断定しているかのように読めた。 これについては前回(「狡知 07 「デマ」 | 敬称略雑記」)も言及したので参照していただきたい。
小山田圭吾はロッキンオンジャパンを名指しし、北尾修一は個人のブログを名指しした。
北尾文書は、小山田圭吾といじめ被害者の友情を強力に説く内容だ。 そこで示されたデマを是正すれば、小山田圭吾のためになるかも知れない。 あるいは、小山田圭吾のために書かれたはずだ、小山田圭吾と同じ方向を向いているに違いない。 そういう勘違いがあったのだろうか。
結果だけを見れば、ロッキンオンジャパンのデマについて語られることはほぼ無かった。
ものの見事に踊らされた「お人好し」達を北尾修一はどういう表情で見ていたか。 まあ読者の皆様でそれぞれ適当にご想像いただければと思います。
そもそも北尾文書は誰のために書かれたものなのか。 当時の当事者が平然と小山田圭吾の声明を上書きする姿に私は強烈な違和感を覚えた。
そういえば北尾修一は北尾文書の冒頭でこう述べている。
で、ここから先に進む前に、あらためて強調しておきます。この後、読む人によっては「おまえは小山田圭吾を擁護するつもりか!」といきり立つようなことを書きますが、繰り返します。まったく擁護していません。
「※本原稿は、小山田圭吾氏が過去に行ったとされるいじめ暴力行為を擁護するものではありません。」この文章を再度ご確認の上、先へお進みください。
--- 北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?」
まあ間違っちゃあいないな、うん。