敬称略雑記けいしょうりゃくざっき

狡知 11 「凶兆」

it happens

ところで私は五輪反対派である。

糞尿トライアスロンという暴虐の宴を強行開催した上級国民の力学を暴き立て搾取の輪廻を断ち切れ五輪反対!等、今でも流れるように唱えられるほどの反対派である。

五輪の前に小山田圭吾などは些事である。
2021年の夏、私は五輪に反対した。
結果、二ヶ月近いシャドウバンを得る。
悲しいね。

なぜこんな話しを唐突にと思うかも知れない。
なんと今回でようやく9月に入ったのだ。

前回、小山田圭吾による7月16日付け声明(以下、7月声明)が世論に受け入れられるであろうという当時の印象を語った。 私は11月現在もこの声明に関しては同じ印象を持つ。 過去と向き合う相応の覚悟を感じさせる内容であった。 しかし7月声明は、同月20日連載開始の北尾修一による「いじめ紀行を再読して考えたこと」(以下、北尾文書、現在有料)により上書きされ本来の機能を果たさなかった

今回、小山田圭吾による9月17日付け声明「いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明」(以下、9月声明)を当時どう読んだかを記す。 この声明は週刊文春(本誌9月23日号、電子版15日)にて掲載された中原一歩による小山田圭吾インタビューと時期を合わせ公開された。 それをもってこの声明が、文春と合わせて読まれるべきものという風潮がある。 しかしこれはこれだけで成立する声明である。 文春記事は掲載後、閲覧性が次第に悪くなっていく。 そこに配慮したところが大きいのではないか。

小山田圭吾は市民にも謝罪をしなければならない。 これは血税が使われた東京五輪2020で起こった問題なのである。 市民に対する謝罪と聞いて、そんな物は必要ないと思っただろうか。 もちろん、そんな物と無視するのもひとつの選択だ。 そもそも大半の市民にとって小山田圭吾とは「誰だよ」という存在であった。 そこにあの炎上である。 小山田圭吾は「ウンコバックドロップ(デマです)の上級国民」、もとい「過去にいじめを行っていた上級国民」と成り果てた。

懲罰的な無関心とでも言おうか。
市民の理解を得ないまま復帰を試みたとしても、貴重なご意見という市民の怒りがNHKなりへ届くだけの話だ。 こういう事を書くとお前がNHKに電凸するつもりなんだろうと言い出すクズが湧く事は目に見えているので予め釘を刺しておこう。 残念ながら私は小山田圭吾に対しそこまでの関心は持ち合わせていない。 私の関心は北尾修一である。 まあそれはいい。

まずは謝罪を通し耳を傾けて貰わなければ、それに続く贖罪も市民へは届かない。 謝罪を求める声はない、故に謝罪は必要ない、合理的に聞こえる。 しかしそれは声なき世論と相対しているということを忘れている。 小山田圭吾にとって市民への謝罪というのは絶対条件だ。

9月声明を懐疑的に受け止める声は「可視化されているだけでも」かなりの数になる。
7月声明により作られた足がかりを見事に浪費した。 私自身も9月声明に関しては強い疑問を覚えた。 正直なところをあえて言うならば「北尾修一かよ」という印象が拭えない。

どこが問題なのか、当時を思い出しながら見てみよう。

全文

※本文中、いじめについての具体的な記述があるため、お読みになる際はご注意をお願いいたします。

【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

あらためましてこの度は、私の過去のインタビュー記事が元となり、多くの方々を傷付け、不快な気持ちにさせてしまいましたことを心からお詫びいたします。誠に申し訳ございません。

今から約27年前に出版された『ROCKIN’ON JAPAN (1994年1月号)』と『QUICK JAPAN (1995年8月号)』の記事内容につきまして、これまでに説明や謝罪をしてこなかったことにつきましても、責任感のない不誠実な態度であったと思います。特に、長年に渡ってそれらが拡散されることで、倫理観に乏しい考え方や、いじめや暴力に対しての軽率な認識を助長することに繋がっていた可能性もあり、これまでそのことに真摯に向き合わず時間が経ってしまったことはとても大きな過ちでした。

今の私にできることは、過去と向き合い、事実を説明させていただくこと、そして、その反省をあらためて今後の社会生活へと活かしていくことであると考えています。 なお、事実関係をご説明するにあたり、私からの一方的な発信だけでは不十分であると考え、第三者からの厳しい質問もしっかり受け止めるべきとの思いから、先日、『週刊文春』の取材を受けました。そのうえで、海外の皆様も含めて、経緯や状況の説明をさせていただくべきと考え、あらためて認識を表明いたします。

『ROCKIN’ON JAPAN (1994年1月号)』の誌面にて見出しとして記載され、この度多く報道されていた「同級生に排泄物を食べさせた、自慰行為をさせた」といった内容については、私が行わせたり、示唆や強要をしたといった事実は一切ありません。 「排泄物を食べさせた」ということについては、小学校の帰り道に、クラスメイトの一人がふざけて道端の犬の糞を食べられると言い出し、拾って口に入れてすぐに吐き出したという出来事があり、彼本人も含めその場にいた皆で笑っていたという話が事実です。 「自慰行為をさせた」という部分については、中学校の修学旅行の際、ある先輩が、私のクラスメイトの男子に対し、自慰行為をしろと言っている場面に居合わせ、限度を超えた状況に自分は引いてしまったということが事実です。

1994年当時、半生を語るというロングインタビューのなかで、学生時代の様々な出来事を語った際、上記のような目撃談など、強く記憶に残っていたことを語ってしまいました。

『ROCKIN’ON JAPAN』については、発売前の原稿確認ができなかったため、自分が語った内容がどのようにピックアップされて誌面になっているかを知ったのは、発売された後でした。それを目にしたときに、事実と異なる見出しや、一連の行為を全て私が行ったとの誤解を招く誌面にショックを受けましたが、暴力行為を目にした現場で傍観者になってしまったことも加担と言えますし、その目撃談を語ってしまったことは自分にも責任があると感じ、当時は誌面の訂正を求めず、静観するという判断に至ってしまいました。 しかしその判断についても、被害者の方の気持ちや二次被害の可能性に考えが及んでいない、間違った判断であったと深く反省しています。

その後の『QUICK JAPAN (1995年8月号)』につきましても、取材依頼や企画をすべてしっかりと拒否するべきでした。出版社の方から提示された「いじめを題材とする」という企画や意図は、今の自分の認識で考えると、被害者や同じ立場の方々の気持ちに対する配慮や倫理観に欠けたものであると思いますし、先方の説得に応じて話をしてしまったことをとても後悔しています。 『ROCKIN’ON JAPAN』で誤って拡がってしまった情報を修正したいという気持ちも少なからずあったと記憶しています。とはいえ、その場の空気に流されて、訊かれるがままに様々な話をしている自分は、口調や言葉選びを含め、とても未熟で浅はかでした。また、学生時代の話を具体的に語ったことで、母校の在校生や関係者の方々にも大変なご迷惑とご心配をお掛けしてしまったことを、心から申し訳なく思います。

その後、2000年代に入って以降、『ROCKIN’ON JAPAN』の見出しや『QUICK JAPAN 』の記事を切り取った内容で書かれた一般の方のブログ記事や掲示板の書き込みなどが現れ、それらが今回の報道でニュース・ソースとされ、私が行った暴力行為として各国の報道やSNS等で拡散されている状況があります。

『QUICK JAPAN (1995年8月号)』の記事では、知的障がいを持つ生徒についての話が何度か出てきます。報道やSNS等では、私がその生徒に対し、「障がいがあることを理由に陰惨な暴力行為を長年に渡って続けた」ということになっていますが、そのような事実はありません。 しかし、誌面にも記述がある通り、小学生の頃、転校生としてやってきた彼に対し、子どもの頃の自分やクラスメイトは、彼に障がいがあるということすら理解できておらず、それ故に遠慮のない好奇心をぶつけていたと思います。 今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。子どもの頃の自分の無自覚さや、雑誌でそのことを話した20代の自分の愚かさによって、彼や同じような体験を持つ方を傷付けてしまい、大変申し訳なく思っています。その彼とは中学ではほとんど接点がなく、高校に入り同じクラスになって再会してからは、会話をする機会も増え、手紙や年賀状のやり取りをするなど、自分にとっては友人の一人でした。小学生時代の自分が彼を傷付けたことは事実ですし、雑誌であのように軽率に語っている以上、それは自分の一方的な認識ではないのかと思われても仕方がありませんが、高校生時代の実体験としての彼との日常を思い返すと、友人という言い方以外は難しいというのが正直な気持ちです。

今あらためて、27年前の自分がなぜあんなに軽率に話が出来ていたのかと思い返してみると、10歳前後の頃の行為に対する罪の意識が、非常に無責任ですが、インタビュー当時においても希薄であったのだと思います。それ以降の話は、目撃談ということもあり、それもまた他人事のように捉え、傍観者という自分の卑怯な立場を含め冗談交じりに語ってしまいました。自分が被害者やそのご家族の立場であれば、そのように無神経に語られることも、加害であることに変わりないと感じると思います。それをずっと忘れることなく、反省の気持ちを持ち続けていかねばならないと思っています。

そういったインタビューを受けていた24歳~25歳頃の私は、かつて所属していたバンドを解散して、ソロでの活動を始めた時期でした。当時は、自分に対してなんとなく定着してしまったイメージを破り、露悪的なキャラクターを演じることで世間からの見られ方を変えようとしていました。過剰で自虐的なリップサービスを必要以上に行うことで、世間との距離を取ることを意識していました。自分の作品に対する自信のなさも、そういった言動の原因になっていたと思います。

そのような未熟な自分の在り方を改めたいと思い始めたのは、1996年頃、26歳から27歳にかけてでした。深く音楽の話ができるような新しい友人や人間関係の出会いに恵まれ、コミュニケーションを取っていくうちに、それまでの自己中心的で狭い世界しか見えていない自分や、作品よりも私のキャラクターばかりが注目されるような状況がとても恥ずかしく感じ、なんとか変えていかなければいけないと強く思うようになりました。そこからは、自分を過剰に演出することをやめ、自然体で音楽制作や活動に取り組むことを意識した結果、少しずつ自分の理想とする作品や活動に繋げていくことができるようになったと感じています。

30歳になり、息子が生まれたことも、自分を大きく変えてくれるきっかけとなりました。彼を育て、一緒に過ごしていく過程で、今まで触れてこなかった社会や人々と関わることによって、人生を再学習していくような気持ちでした。

私の社会人としての成長は、ほかの多くの人たちに比べて遅く、時間が掛かってしまったのだと思います。この25年の間で、立派な人間になったとまでは言えませんが、20代当時の価値観とは遠く離れた人間になったと思っています。この件に対する罪悪感をずっと抱えてきたことが、より良い人間・音楽家になりたいという意識を強くすることにも繋がっていました。

しかしそれは、自分の中でそう感じていただけで、過去の態度や発言の責任を取っていたかというとそうではないと思います。そのことに長年、罪悪感と後ろめたさを感じていながら、どのように発信すべきか判断できないまま、ここまできてしまった自分は説得力に欠け、社会人として、とても情けなく思います。

これは過去の問題ではなく、今まで向き合ってこなかった現在進行形の自分の問題であると強く認識し、責任を感じております。そんな人間が、教育番組やオリンピック・パラリンピックの仕事に関わることを非難されるのは当然のことだと受け止めています。

NHKの「デザインあ」に関しましては、これまでに何度か、私が番組に関わることへのご批判の声もあり、その際には、「インターネット上にあるいじめに関する記事や書き込みは事実と異なる」旨や、「その原因となる発言をしてしまったことへのお詫び」、「現在の自分の倫理観は20代の頃とは大きく変わっている」といったことを番組の担当スタッフの方を通じて、その都度お伝えさせていただいておりました。しかし、それは限られた場での対応でしたので、本来であれば、もっと広く公に、謝罪や説明をするべきであったと反省しております。

10年間携わらせていただいた「デザインあ」は、自分の仕事の中でも、特に思い入れの深いものでした。番組制作に参加させていただいたことで、自分の音楽が初めて社会との繋がりを持てたような充実感があり、子どもたちの感性を刺激する手伝いをさせてもらえることに、自分の作品作りだけでは味わったことのない種類の喜びを感じておりました。番組の成長と共に、私自身も大変多くのことを学ばせていただきました。そのような機会を10年間も与えていただけたことに、すごく感謝しています。

オリンピック・パラリンピックについては、先の謝罪の際にも記載させていただきましたが、コロナ禍での開催という厳しい状況においても、少しでも良いものを作りたいと、限られたスケジュールの中で懸命に取り組まれていた制作チームの皆様のお気持ちに触れ、自分が役に立てることがあるのならばという思いでご依頼をお受けしました。制作の内容も、自分がパフォーマンスをしたり、メインの作曲をしたりするようなものではなく、開会式に使用される映像の一部にBGMを付ける裏方の作業であったため、普段やっている他の仕事と同じような感覚で引き受けてしまいました。 しかしその判断は、今にして思えば間違っていたと思います。 五輪の仕事に携わることの責任の重さを、十分に認識できていませんでした。そのことを深く反省しています。

今回、誤った情報の拡散や報道もありましたが、元はといえば、自分の過ちが招いたことだと思いますし、それを放置してきてしまったことへの責任を痛感しております。 ファンの皆様にも、長い間、事実関係の説明などをしてこなかったことで心配と不信感を与えてしまい、本当に申し訳ありませんでした。今後の活動や作品の発表などについては何も決まっておらず完全に白紙の状態です。しかしこのような状況の中でも、あたたかいお手紙や励ましの言葉をかけてくださったり、様々なかたちで応援してくださるファンの方々の存在は、とても大きな支えになっています。心から感謝しています。

長い時間が掛かってしまいましたが、あらためてこれから、自分の過去の言動やこれまでの態度を反省すると共に、社会に対してどのようなかたちで関わり、貢献していくべきかを個人としても音楽家としても、今まで以上に視野と意識を広げて考え、行動に移していきたいと思っています。

小山田 圭吾

2021年9月17日

--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

デマ

『ROCKIN’ON JAPAN (1994年1月号)』の誌面にて見出しとして記載され、この度多く報道されていた「同級生に排泄物を食べさせた、自慰行為をさせた」といった内容については、私が行わせたり、示唆や強要をしたといった事実は一切ありません。
「排泄物を食べさせた」ということについては、小学校の帰り道に、クラスメイトの一人がふざけて道端の犬の糞を食べられると言い出し、拾って口に入れてすぐに吐き出したという出来事があり、彼本人も含めその場にいた皆で笑っていたという話が事実です。
「自慰行為をさせた」という部分については、中学校の修学旅行の際、ある先輩が、私のクラスメイトの男子に対し、自慰行為をしろと言っている場面に居合わせ、限度を超えた状況に自分は引いてしまったということが事実です。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

食糞強要と自慰強要はデマであると小山田圭吾が明言した。
ついでに調布の超万引場所カーステ窃盗証拠隠滅失敗便所(多分デマです)もデマだと明言して良かったのではないか。

問題は、これが市民にどう受け入れられるだろうかという点だろう。 残念ながら小山田圭吾は上級国民性を獲得している。 さらには五輪の文脈である。 7月声明において小山田圭吾が自身で言及したとおり、参加を辞退しなかったことに問題があった。 結果としてそれは「全く反省していないのでは」「言われて渋々反省したのでは」といった空気を醸成した。 そのような状況で果たしてどれだけ聞き入れられるだろうか。 何十年前の話しであり、あらゆる証明は最早叶わない。 当然これは、単なる釈明である。 妥当な贖罪が伴ってようやく真実味を持ち始める話だ。
小山田圭吾がそう言ったから、それで納得するほど市民は牧歌的ではない。

それでも、小山田圭吾自身から何がデマなのかという点が説明された意味は大きい。
人類史的に見ても極めて稀有な弁明と言えるのではないだろうか。

その後の『QUICK JAPAN (1995年8月号)』につきましても、取材依頼や企画をすべてしっかりと拒否するべきでした。出版社の方から提示された「いじめを題材とする」という企画や意図は、今の自分の認識で考えると、被害者や同じ立場の方々の気持ちに対する配慮や倫理観に欠けたものであると思いますし、先方の説得に応じて話をしてしまったことをとても後悔しています。
『ROCKIN’ON JAPAN』で誤って拡がってしまった情報を修正したいという気持ちも少なからずあったと記憶しています。とはいえ、その場の空気に流されて、訊かれるがままに様々な話をしている自分は、口調や言葉選びを含め、とても未熟で浅はかでした。また、学生時代の話を具体的に語ったことで、母校の在校生や関係者の方々にも大変なご迷惑とご心配をお掛けしてしまったことを、心から申し訳なく思います。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

7月声明では言及されていなかった『QUICK JAPAN (1995年8月号)』誌面についての経緯が説明される。 もとより『QUICK JAPAN (1995年8月号)』では、バックドロップとオナニーについては訂正を意図してか詳細が語られていた。 ウンコの話もあるにはあるが、あれはウンコを漏らしたという話であって、ウンコを食わせたという話ではない。 そこに今回声明で小山田圭吾が懇切丁寧に説明したウンコ(犬)の真実が加わる。
30年近くをかけようやくウンコバックドロップ(デマです)の全容が明らかになったわけだ。 感慨深いというのはこういうことを言うのだろう。 感動巨編である。

この9月声明は実際、大雑把に言えば良くも悪くも小山田圭吾が当時の背景を説明しているだけに過ぎない。
あるいは小山田圭吾はウンコが好きなのかという非常にセンシティブな天秤の片側に自身で犬のウンコを乗せただけのちょっとイイ話に過ぎない。

しかしそれがなぜ反感を持たれるのだろうか。

友情

私の発言や行為によって傷付けてしまったクラスメイトやその親御さんには心から申し訳なく、本来は楽しい思い出を作るはずである学校生活において、良い友人にならず、それどころか傷付ける立場になってしまったことに、深い後悔責任を感じております。
--- 7月16日 小山田圭吾 「東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして」

今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。子どもの頃の自分の無自覚さや、雑誌でそのことを話した20代の自分の愚かさによって、彼や同じような体験を持つ方を傷付けてしまい、大変申し訳なく思っています。その彼とは中学ではほとんど接点がなく、高校に入り同じクラスになって再会してからは、会話をする機会も増え、手紙や年賀状のやり取りをするなど、自分にとっては友人の一人でした。小学生時代の自分が彼を傷付けたことは事実ですし、雑誌であのように軽率に語っている以上、それは自分の一方的な認識ではないのかと思われても仕方がありませんが、高校生時代の実体験としての彼との日常を思い返すと、友人という言い方以外は難しいというのが正直な気持ちです。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

7月声明にて的確に回避され、北尾文書にて踏み抜かれた地雷が再び踏み抜かれている。

小山田圭吾が語る被害者との友情、7月声明と9月声明を比べて見よう。
7月声明の良い友人ではなかったという表現には長い葛藤を経たであろう説得力がある。
対し、9月声明はどうだろうか。
一方的な認識と思われても仕方がない、つまり、お互いに友人と認識しあっていたと言いたいのだろう。 この僅かな期間でやはり友人だったと言い切る事が出来るようになったと言うことか。 30年近くも悩んで来た事に決着が付いたわけだ、大したものではないか。 7月声明に見えたあの葛藤、あれは一体なんだったのか。 「いじめ」を「いじり」「じゃれあい」に上書きするため友情を語るのか。

何十年前かの話しである、あらゆる証明は出来ない。 私を含めた市民にも、この程度の良識はある。 しかしそれは、小山田圭吾が真摯に問題と向き合い贖罪をするという前提に暗黙の合意があった上での話しだ。 あらゆる証明が出来ないことを盾に、都合よく過去を修正しているのではないか。

どちらが正しいのか、それは問題ではない。
どちらかが正しくない、それが問題なのだ。
それが誠実さからは程遠い所にあるのは言うまでもない。

理解し難い断絶である。
7月声明から9月声明の間になんらかの「動き」があったのだろう。

…何が起こった?

拡散

今から約27年前に出版された『ROCKIN’ON JAPAN (1994年1月号)』と『QUICK JAPAN (1995年8月号)』の記事内容につきまして、これまでに説明や謝罪をしてこなかったことにつきましても、責任感のない不誠実な態度であったと思います。特に、長年に渡ってそれらが拡散されることで、倫理観に乏しい考え方や、いじめや暴力に対しての軽率な認識を助長することに繋がっていた可能性もあり、これまでそのことに真摯に向き合わず時間が経ってしまったことはとても大きな過ちでした。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

全裸でグルグル巻にしてウンコ食わせてバックドロップして……ごめんなさい
--- 『ROCKIN’ON JAPAN (1994年1月号)』

まず前提として、『ROCKIN’ON JAPAN (1994年1月号)』が無ければ「ウンコバックドロップ(デマです)」は生まれなかった。 『ROCKIN’ON JAPAN (1994年1月号)』がなければ『QUICK JAPAN (1995年8月号)』が問題となるだろう。 では『QUICK JAPAN (1995年8月号)』も無かったとしたらどうだろう。
両誌面が無ければ、そもそも小山田圭吾は炎上しない。

また、炎上の発端とされる7月15日の発言が個人のブログを参照するのではなく、両誌面のキャプチャーを直接掲載していたらどうなっていただろうか。
単純である。
同等以上に炎上する。

ここまでは広く共有できる認識であるはずだ。

引用した声明にある「拡散」という言葉に注目していただきたい。 同じことである。 拡散されたから、いじめを助長する可能性がある、のではない。 拡散されなくても、誌面が存在する時点で、いじめを助長する可能性があるのだ。

さらに「(ウンコバックドロップ(デマです)の)上級国民小山田圭吾」は市民から疑いの目で見られている。 この「拡散」という言葉はどう解釈されるだろうか。 額面通りほうほうなるほどと呑気に読み流されるか。 あるいは拡散されなければ問題はなかったという恨み節と読まれるか。 または拡散したほうが悪いと責任転嫁を図っていると取られるか。

7月声明の品質で考えれば、誤解を生むこの表現は確実に避けられていたはずだ。

…何かがおかしい。

いじめの理由

『QUICK JAPAN (1995年8月号)』の記事では、知的障がいを持つ生徒についての話が何度か出てきます。報道やSNS等では、私がその生徒に対し、「障がいがあることを理由に陰惨な暴力行為を長年に渡って続けた」ということになっていますが、そのような事実はありません。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

この言い回しは誤解を生む。
暴力行為を行っていないなら単純に「暴力行為は行っていない」と言えばいい。
そう言い切れないのであれば「長年に渡る暴力行為は行っていない」と言えばいい。
そうも言い切れないのであれば「障がいがあることを理由に長年に渡る暴力行為は行っていない」と言えばいい。
つまり、障がいがあることが理由ではないが、長年に渡る暴力行為は行った、と「読める」のだ。
繰り返そう、小山田圭吾は市民から疑いの目で見られている。
「暴力行為」に条件を付ければ付けるほど、むしろ疑惑は深まる。

そもそも「障がいがあることを理由に」とは何処から出てきたのか。

報道側の視点で考えてみよう。 いじめ加害の根拠は簡単である。 『ROCKIN’ON JAPAN (1994年1月号)』にそう書いてある。 では「障がいがあることを理由にいじめていた」の根拠はどこにあるのか。 「障がい者をいじめていた」ではない。 「障がいがあることを理由にいじめていた」である。 大手報道が何らの根拠無く、推測で記事を出すだろうか。

「障がいがあることを理由にいじめていた」という町田の超極悪人的な人物像を喜んで受け入れるクズも市民の中には一定の割合でいるだろう。 それを得意げに開陳するクズも確かにいるはずだ。 クズはその行いがクズであると理解できないからクズなのだ。
「SNS等」の部分に関しては間違っていないかもしれない。 しかし声明で言及するほど広く流布された説だったのだろうか。 少なくとも私はそういう説を見た記憶がない。 この声明は市民に向けた物であるはずだ。 他意を感じさせる事は避けねばならない。 せめて「ウンコ漏らしたことを理由に」とでもすればまだマシだったかもしれない。

7月声明の品質を思い出していただきたい。
この誤解を生む表現が看過されるだろうか。

暗雲

その後、2000年代に入って以降、『ROCKIN’ON JAPAN』の見出しや『QUICK JAPAN 』の記事を切り取った内容で書かれた一般の方のブログ記事や掲示板の書き込みなどが現れ、それらが今回の報道でニュース・ソースとされ、私が行った暴力行為として各国の報道やSNS等で拡散されている状況があります。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

まずは「それら」が何を指しているか、引用文をよく読んで頂きたい。

「それら」とは、「『ROCKIN’ON JAPAN』の見出しや『QUICK JAPAN』の記事を切り取った内容で書かれた一般の方のブログ記事」、「(同)掲示板の書き込みなど」、を指している。

『ROCKIN’ON JAPAN』の見出し」、「『QUICK JAPAN』の記事」、「『ROCKIN’ON JAPAN』の見出しや『QUICK JAPAN』の記事を切り取った内容で書かれた一般の方のブログ記事」、「(同)掲示板の書き込みなど」、ではないのだ。

報道がソースとしていたのは何だっただろうか。 「ブログで指摘されている」「発言によると」と丸投げした記事があった事は確かだ。 しかし大半以上は初期報道から誌面を入手し、それを元に書いていたのではないか。 引用した声明から読み取れるのは、「多くの」報道が個人のブログや掲示板をソースとしていたという主張だ。 「多くの」という表現が恣意的と感じるだろうか。 少数の報道がそれらをソースとしていたとして、その影響力は微々たるものだろう。 声明であえて言及する必要が無い事は言うまでもない。

これを好意的に解釈するのは小山田圭吾ファンだけである。 私も北尾修一のファンなのでその気持ちは良くわかる。 では「上級国民小山田圭吾」という認識の市民はどう読むだろうか。

個人のブログや2chの書き込みをソースとして垂れ流していたのは「まとめサイト」である。 まとめサイトは報道と言えるのか、その議論は不毛だ。 報道とは言えないとするならば、まとめサイトを報道として扱った小山田圭吾の言い分がおかしいことになる。 まずは「小山田圭吾」の言う通り「まとめサイト」を「報道」として扱って話を進めよう。

「報道」は「誌面を切り取った内容で書かれた個人のブログ」や「掲示板の書き込み」をソースとしていたと「コーネリアスの公式サイト」から「小山田圭吾本人」が「声明」で「名指し」し糾弾した。

さて多くの報道がソースとしていたはずの両誌面はどこへ消えたのか。 あるいは両誌面をソースとしていたはずの多くの報道はどこへ消えたのか。

多くの市民が目にしたはずの大手新聞社による報道。 誌面コピーの写真が掲載されていなかっただろうか。 その事実を覆し、両誌面の存在を有耶無耶にするのは到底無理な話である。

では何のためにそんな事を。 そもそも大半の市民は個人のブログなど読んでいない。 北尾文書どころか両誌面本文さえも読んでいない。 それを巧みに利用し、両紙面の責任を有耶無耶にしようとしたのか。 あるいはそもそも市民に向けて書かれた声明ではないのだろうか。

読点の問題等、単純なミスの類と思いたい。 が、信じ難いミスであると言わざるを得ない。 両声明が小山田圭吾本人の肉声そのままである等とは誰も思っていないし、期待してもいない。 何かしらのプロが関与しているのだろう。 それにしてはあまりにミスが重なるではないか。

さてこの両誌面を個人のブログとすげ替えるやり方、何かを思い出さないだろうか。

そう、我らが北尾修一による北尾文書である。

マジかよ。

裏方

7月、9月の両声明、小山田圭吾が一人で書いたものだろうか。 当然そんな訳はないだろうし、一人で書いていないから不誠実だなどと言うのは難癖というものである。 ウンコバックドロップ(デマです)により奈落の底へ叩き落されたとは言え五輪という国家事業に関連した声明である。 むしろ一人で書くなとすら言いたい。

7月声明に関しては思うところがある。
くれぐれもこれは、私の勘であることを忘れないで頂きたい。

この度は、東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への私の参加につきまして、多くの方々を大変不快なお気持ちにさせることとなり、誠に申し訳ございません。
心よりお詫び申し上げます。
--- 7月16日 小山田圭吾 「東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして」

傷つけてしまった被害者の方およびご家族の皆様、記事を目にされて不快な思いをされた方々に深くお詫び申し上げます。
--- ロッキング・オン・ジャパン94年1月号小山田圭吾インタビュー記事に関して 山崎洋一郎

真相はどこにあるのか。
すべてはウンコバックドロップ(デマです)のその先に、ウンコ色の靄に霞む旅路のその終点にこそあるのだ。

7月声明は妥当な現状把握と自己批判、無駄の無い文章、多方面への的確な配慮を特徴としていた。
全体を貫く一貫性と整合性は誠実さを生み真摯さとして結実した。

対し、9月声明はどうだろうか。
ここまで、これはどうなのかという点をいくつかあげてきた。 そのどれもが校閲の段階で弾かれるべき内容であった。

この度は、東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への私の参加につきまして、多くの方々大変不快なお気持ちにさせることとなり、誠に申し訳ございません心よりお詫び申し上げます
--- 7月16日 小山田圭吾 「東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして」

あらためましてこの度は、私の過去のインタビュー記事が元となり、多くの方々傷付け不快な気持ちにさせてしまいましたことを心からお詫びいたします誠に申し訳ございません
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

両声明冒頭の共通部分を強調した。 9月声明の冒頭は明らかに7月声明を踏まえたものだ。 踏まえたとか参考にしたとか言えば聞こえはいい。 が、これは模倣あるいは流用に属する物ではないか。

冒頭とは言うまでもなく大事な物である。 実際私も書き出しはすべてウンコバックドロップ(デマです)でという抗いがたい欲望と対峙しながらこれまで生きてきた。 冒頭とはそれほどの思いを込めて然るべきなのだ。
7月のあの声明を小山田圭吾と共に書き切った人格が、冒頭をかように粗雑に扱うだろうか。
どうも不自然な感じしかしない。

7月声明と9月声明の裏方は同じ人物なのか?

…別人物だとしてなぜ交代した?

交代したとして誰が…

この雑な感じいやまさか…

真相は闇の中である。

文春

今の私にできることは、過去と向き合い、事実を説明させていただくこと、そして、その反省をあらためて今後の社会生活へと活かしていくことであると考えています。 なお、事実関係をご説明するにあたり、私からの一方的な発信だけでは不十分であると考え、第三者からの厳しい質問もしっかり受け止めるべきとの思いから、先日、『週刊文春』の取材を受けました。そのうえで、海外の皆様も含めて、経緯や状況の説明をさせていただくべきと考え、あらためて認識を表明いたします。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

ご存知の通り、国民的とは言え文春は有料の雑誌である。 当時、文春本誌から小山田圭吾についての記事が出ると聞いて、どう思っただろうか。 私にはとても意外に感じられた。
「ご説明するにあたり、文春で」
「ご説明するにあたり、有料で」
これが好ましく評価されるか否かは非常に分の悪い賭けだと言わざるを得ない。 小山田圭吾は世論に対し真摯な姿を見せ、信頼を勝ち取る必要があった。 それに配慮してのこの声明なのだろう、が、しかし。

文春は何が起こっているか理解しているのだろうか。
というより、文春は一連の流れを把握しているのだろうか。

そもそも小山田圭吾問題とは何なのだろうか。 小山田圭吾はいじめ加害者だったか否かを問われているように見える。 しかし実際には、それと同等以上に、いじめを商業的に利用した事が問題視されている。 いじめを助長する可能性に目を背けつつ、小山田圭吾と両誌面は極めて軽率にいじめを商業的に利用した。

「……え。こんな酷い内容の記事だったっけ?」
この「孤立無援のブログ」の「いじめ紀行」記事の紹介の仕方が、ものすごく奇妙なんです。
元記事のテキストそのものは改変していないのですが、マーカーでチェックしながら読むと、意図的にエピソードの順番を入れ替えたり、小山田さんの発言の一部を削除したり、記事本文の途中で注釈内のエピソード挿入し、それに続けてまた別の場所の記事本文につなげたり……よく言えば「繊細な編集が施されている」ですが、悪く言えば「元記事の文脈を恣意的に歪めている」。
--- いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?

北尾文書は炎上の渦中である7月20日に連載が開始され、個人のブログをデマと糾弾した。 曰く、個人のブログでの恣意的な編集により、誌面(QUICK JAPAN 3 (1995年8月)「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」)は残虐な物となった。
果たしてそうだろうか。
ちなみに私は、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を暗い内容と読んだ。 同時に、残虐な内容であるとも読んだ。 では私はいつ個人のブログを見たか。 北尾文書に添付されていた「いじめ紀行」掲載誌面を読んだ後である。
元より「いじめ紀行」は残虐なものとしても読めるのだ。 個人のブログが無かったとしてもほぼ確実に炎上は起こっただろう。 小林賢太郎とあえて言わずとも当時、五輪関係者がどれほど厳しい目に晒されていたか。
両誌面が無ければ、炎上も無かった。 小山田圭吾による7月声明は冷静な現状把握を特徴としていた。 その中に個人のブログを問題視する箇所が微塵でもあっただろうか。

結果として、小山田圭吾が7月16日付けの声明で糾弾した誌面のデマは有耶無耶になり、個人のブログが槍玉として挙げられた。

検証すべきは、記事を出した雑誌だ

中原一歩がここを問題視するのは慧眼と喝采したくなる。
そしてこれは、小山田圭吾が7月声明で既に指摘し、北尾文書にて上書きされたことでもある。

中原一歩の発言には興味深い点がある。

それともう一つ、違和感があったんです。あの騒動の発端となったブログ記事です。
問題となっている『クイック・ジャパン』『ロッキング・オン』の原文を読むとわかるんですが、ブログの書き方は非常に恣意的で、原典となる2つの記事を正確に引用したとはとても言えないものだった。小山田氏が辞任した時の謝罪文にも、「事実と異なるところがある」と書いてありました。
--- なぜ小山田圭吾は『週刊文春』での独占インタビューに応じたのか?“音楽ロッキン村”問題を今考える

記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。
--- 7月16日 小山田圭吾 「東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして」

小山田圭吾が7月16日付けの声明において「事実と異なるところがある」と指摘したのは「発売前の原稿確認ができなかった記事」である。 しかし中原一歩は、小山田圭吾が7月16日付けの声明において「事実と異なるところがある」と指摘したのはブログであると言っている。 個人のブログが無ければ両誌面に問題はなかった、と言いたいのだろうか。

なんとも不思議な物である。
なぜ小山田圭吾を取材している記者が小山田圭吾の言葉を歪めるのか。 そしてなぜ小山田圭吾にさしたる思い入れも無い一市民がこうしてそれを指摘しているのか。

北尾文書は炎上当時、7月16日付け声明での小山田圭吾による『ROCKIN’ON JAPAN (1994年1月号)』への名指しのデマ指摘を、個人のブログのデマ指摘で上書きし出版側の責任を有耶無耶にした

何のことは無い。 中原一歩も北尾文書と同じく小山田圭吾の7月16日付け声明を上書きしているのだ。 中原一歩は北尾文書とどう向き合ったのか。 あえて触れずに同じ事を言う、それもひとつの答えである。 偶然同じ答えに至るなどは極めて自然な事だ。

『ロッキング・オン』は今や大規模な音楽フェスを運営する会社でもあり、音楽業界では非常に力を持っている。いわば業界に「ロッキン村」を作ってきました。
--- なぜ小山田圭吾は『週刊文春』での独占インタビューに応じたのか?“音楽ロッキン村”問題を今考える

中原一歩は「ロッキン村」を糾弾する姿勢を見せた。 本来ならば少なくとも小山田圭吾によるロッキンへのデマ指摘を尊重し、それを上書きした北尾文書を問題視するべき立場であるはずだ。 それがあろうことか、北尾文書と同じく、7月16日付け声明での小山田圭吾によるロッキンへのデマ指摘を、個人のブログへのデマ指摘と上書きしているではないか。 北尾修一はそれでも、ここまで露骨に上書きはしなかった。

これが何を意味するか、あるいは意味など本当は無いのかも知れない。

しかし小山田圭吾が何を問われていたかを思い出していただきたい。
いじめを助長する可能性に目を背けつつ、小山田圭吾と両誌面が極めて軽率にいじめを商業的に利用した事を問われてはいなかったか。
個人のブログを矢面に出し、両誌面を巧みに庇いながら、両誌面を検証するという。
文春記事は「小山田圭吾の禊の場」では無いかも知れないが「『ROCKIN’ON JAPAN』『QUICK JAPAN』の禊の場」ではあるという事だろうか。

さて文春、事の経緯を把握しているだろうか。

時系列

これはもう読者各位でご判断いただきたい。
北尾修一、赤田祐一、村上清、小山田圭吾は当時の誌面関係者、外山恒一は利害関係者である。

元記事のテキストそのものは改変していないのですが、マーカーでチェックしながら読むと、意図的にエピソードの順番を入れ替えたり、小山田さんの発言の一部を削除したり、記事本文の途中で注釈内のエピソード挿入し、それに続けてまた別の場所の記事本文につなげたり……よく言えば「繊細な編集が施されている」ですが、悪く言えば「元記事の文脈を恣意的に歪めている」。
このブログ運営者、素人じゃない。
私と同じ職業の人だと直感しました。
「それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ(筆者注:沢田君)、人に年賀状とか出さないんだけど。僕の所には何か出すんですよ(笑)。」
ここで、沢田君が小山田さんに年賀状を毎年出していた(沢田君は小山田さんを友達だと思っていた)ことが分かります。
--- 7月23日 北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?」

7月30日 それは、小山田さんが同級生(文中に仮名で登場するSさん、Mさん、Oさんなど)を〝見えない人間〟として無視するのでなく、人間として〝じゃれあう〟ことで学友、すなわち仲間として付き合っていた。そこに、仲間に対する彼なりの意識や心配りが感じられたからです。(たしかに一部〝じゃれあい〟では済まない粗暴なふるまいもあったわけで、そこは、けして賞賛される点ではありませんが)
最後になりましたが、「いじめ紀行」を謗る人は、拾い読みではなく、全文を読んでから、批判などして頂きたいものです。本稿は一本の作品です。恣意的に切り取られた断片を元に述べられた憶測が真実のように重ねられていくことに、居心地悪さを感じて仕方がありません。
--- 7月30日 赤田祐一 spectatorweb.com

北尾修一氏による勇気ある告発によって、〝コーネリアス〟こと小山田圭吾氏への今回の壮絶なバッシングの火元となったブログ記事が、文章能力の不足といった不可抗力の類ではなく、明白なる悪意に基づいて巧妙に構成されたデマ、要するにいわゆる〝フェイク・ニュース〟の類であることはすでに明らかとなりました。
記事の最終ページに掲載された「沢田君」からの小学生時代の年賀状の意味も、〝今にして思えば〟イジメでしかなかった当時の関係を小山田氏なりに反省していて、今でも年賀状をちゃんと取ってあるように主観的にはこの頃からずっと「友達」のつもりでいたんだけど、そう受け取ってはもらえなかったかもしれん、すまん、の意味でしょう。もちろんそれがほとんど伝わらないわけですが、村上氏の地の文のせいで。
--- 8月3日 外山恒一 「小山田圭吾問題の最終的解決」

9月6日、東京2020オリンピック・パラリンピック全日程が終了する。

9月15日、文春電子版にて「小山田圭吾 懺悔告白「僕はなぜ“障がい者イジメ”を得意げに語ったのか」が公開される。

小山田氏をめぐる過去の雑誌での発言のソースは、Twitter上で拡散された「孤立無援のブログ」という小山田氏の発言のまとめサイトです。当該雑誌を入手し点検すると端々の文言が勝手に書き換えられている実に恣意的な編集だと私は思いました。
--- 9月15日 中原一歩 @ipponakahara 午後8:37 2021年9月15日

今回、本記事の「原文」としてネット上で最も参照されたであろうブログの記事が必ずしも元記事原文のままではなく、少なからず削除・切り取りされたものであったことは、今夏のオリンピックのタイミングで知りました。いち執筆者として率直に申し上げれば、センシティブなテーマを扱ううえで当時の自分としてぎりぎりの神経を使って言葉を配した箇所ほど狙ったようにカットされていたことは確かです。前述の皮肉や反語という文脈、そして談話者の取材現場での語り口にあった一種の諦念、自虐といったニュアンスが削ぎ落とされたテキストが、今回多くのケースで「原文」として参照されたということは、記事の取材・執筆者としてここに記させて下さい。現場での小山田さんの語り口は、自慢や武勇伝などとは程遠いものでした。また原文記事の最終頁に小山田さんの同級生だったSさん(仮名)の年賀状が掲載されていますが、これも当初から「晒して馬鹿にする」という意図は全くなく、元記事全文の様々な文脈を経て終盤で語られる、Sさんと小山田さんの間にあった不思議な交流友情の挿話に即して掲載されたものです。
--- 9月16日 村上清 1995年執筆記事「いじめ紀行」に関しまして

その後、2000年代に入って以降、『ROCKIN’ON JAPAN』の見出しや『QUICK JAPAN 』の記事を切り取った内容で書かれた一般の方のブログ記事掲示板の書き込みなどが現れ、それらが今回の報道でニュース・ソースとされ、私が行った暴力行為として各国の報道やSNS等で拡散されている状況があります。
その彼とは中学ではほとんど接点がなく、高校に入り同じクラスになって再会してからは、会話をする機会も増え、手紙や年賀状のやり取りをするなど、自分にとっては友人の一人でした。小学生時代の自分が彼を傷付けたことは事実ですし、雑誌であのように軽率に語っている以上、それは自分の一方的な認識ではないのかと思われても仕方がありませんが、高校生時代の実体験としての彼との日常を思い返すと、友人という言い方以外は難しいというのが正直な気持ちです。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

総評

7月声明を踏まえ、同じく真摯な物になるはずであった9月声明。 しかし実際には、その真摯さには陰りが見えた。 読む者の問題なのだろうか。 今回の問題と、両誌面と、つまりは過去と真正面から向き合うという小山田圭吾の強い覚悟は最早、感じられなかった。

9月声明は何かがおかしいと言わざるを得ない。 両誌面をかばう事は小山田圭吾の本心なのだろうか。 あるいは「小山田圭吾」によるものなのか。

9月声明において友情は疑う余地も無く友情であった。 それを主張すること自体に問題は無い。 しかし、7月声明との間にある落差は、そのどちらが本心であり真実なのかと疑念を生んだ。 その下地には誤解を生む表現が平然と並ぶ9月声明の品質的な問題があった。

私は7月声明を信じたい。
9月声明は正直、におう。
別に犬のウンコがどうとか言っているわけではない。
キナ臭すぎるのだ。

中原一歩によりインタビューが行われたのは8月半ばであるらしい。
炎上から8月半ばにかけ、北尾文書を採用し誌面を庇う必要に小山田圭吾は迫られたのではないか。
私はそう考えている。

そして、それについて、ちょっとした心当たりがある。

気になる続きはまた次回!


  1. 小山田圭吾
  2. 狡知

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