前回、小山田圭吾による9月17日付けの声明(以下、9月声明)について、同じく小山田圭吾による7月16日付けの声明(以下、7月声明)を引き合いに出しあれこれと文句を付けた。 9月声明は、小山田圭吾炎上の渦中である7月20日から連載が始まった北尾修一による「いじめ紀行を再読して考えたこと」(以下、北尾文書)の影響を受けているように思える。 12月現在、改めて読み返してみても9月声明に対するそんな印象は変わらない。
9月声明にも見るべきところは確かにある。
しかし、7月声明にあったウンコバックドロップ(デマです)に真正面から向き合うと心に誓ったであろう小山田圭吾の覚悟の煌めきは失われ、9月声明は北尾文書と同じく「におう」内容であるとの印象が強い(犬のウンコのことではありません)。
さて北尾修一非公式ファンサイトを自他ともに認めざるを得ないほどの徳を積み腐ったこのブログであるが、今回はそこに外山恒一が加わる。
中原一歩もせっかくだ、加えておこう。
世の因業を掻き集め尽くしたかの如きなんとも崇高な顔ぶれではないか。
この(絶対に雀卓を囲みたくない)面子が9月声明にあった犬のウンコについての思い出…、もとい、9月声明にあった北尾文書的な部分とどう関わるのか。
というよりこの面子が怪文書を乱発したこの小山田圭吾問題、ただ事で済むわけがない。
北尾修一が小山田圭吾と村上清の友情を甘ったるく語った「いじめ紀行を再読して考えたこと 03 -「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」を受けて外山恒一が「小山田圭吾問題の最終的解決」にて村上清を励ます流れは末代まで語り継ぎたくなるほどの代物であった。
美しさすら垣間見えるその流れに何を隠そう私は涙した。
あれをやらざるを得なかったのは北尾修一の業である。
9月後半の記憶を手繰り寄せながら「ある事」を説明させていただこう。 今回はその前編だ。 くれぐれも断っておくがこの連載は、私が小山田圭吾問題をどう追いかけたかという話でありそれ意外の何物でもない。 あらゆる断定はしかねる、が、という類の話である。
そもそもの話が何十年前の話なのである。 あらゆる証明が出来ない。 ウンコバックドロップ(デマです)とは何だったのか、答えなど無いのかも知れない。 しかしやらなければならない。 何しろこの期に及んで北尾修一だの外山恒一だのと騒いでいるのは12月現在、最早絶滅危惧種である。
異質な「いじめ」
小山田圭吾がしたとされるいじめの中には異質な物がある。
どうせウンコバックドロップ(デマです)だろ等とドヤ顔を決め腐った浅はかなクズ共に向けてあえて言っておくと、あれはあれで有史以来如何なる余人により行われたかという点で稀有であり異質であるという事は議論の余地すらない。
それが異質であるという点において私と価値観を共有できたわけだ。
おめでとう(笑顔)
ところで少しおかしく聞こえるだろうが(というより私自身がすでに狂人の類と思われていそうな気がしないでもないが…)、ウンコバックドロップ(デマです)が喧伝されたことはむしろ、小山田圭吾にとって運が良かったと私は考えている。 その点も今回の流れの中で明らかに出来ればと思う。 ウンコがどうとかを半ば強制的に読ませる事自体が目的と思われがちであるこの連載ではあるが、実は深い意図があるのだ。 まあそれはいい。
とにかくウンコバックドロップ(デマです)ではない。
これでも私はここまで、小山田圭吾に関しては極力、小山田圭吾の声明や誌面を根拠に語って来たつもりだ。 今回もそうだ。 そしてそれはこれからも続く。
異質ないじめとはつまり、小山田圭吾が声明にて言及したいじめである。
違和感
9月声明により、小山田圭吾が「したとされていた」いじめと、小山田圭吾が「した」いじめが明らかになった。 いじめであったと認めた物に関し、まず声明を確認しておこう。
今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】
つい読み流してしまいがちだが注目すべき点がある。
小山田圭吾にしては至極真っ当な言葉しか並んでおらず寂しいとか思うようなクズはまさかいないと信じたいが、小山田圭吾を一体何だと思っているんだという意味で失礼極まりない上に、そもそもそういう話でもない。
なぜわざわざ「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかける」と、いじめの内容を描写してまで特定し、「日常の遊びという範疇を超えた」「いじめ加害」であったとの認識を明らかにする必要があったのか。
「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなど」とは言うまでもなく太鼓クラブでのいじめを意味しているのだろう。 例えばこういうのはどうだろうか。
今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、クラブ活動中の行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。
「ダンボールはこの中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は」を「クラブ活動中の行為は」としてみた。 まあ所詮は個人の感想ではあるのだが、私には「クラブ活動中の行為は」としたほうが相応しく思える。
そもそも太鼓クラブでのいじめとは何だったのか。
説明責任
はて太鼓クラブとは?などという素人はこのページを見ていないはずである、説明の必要は無い。 そんなふうに言えていた時期が少し前までありました。 ウンコバックドロップ(デマです)だの、調布の超万引場所カーステ窃盗証拠隠滅失敗便所(多分デマです)だの、いじめアイディア提供ドキドキ大軍師(デマです?)だのと喚き散らす私の姿へ蛇蝎への蔑みの如き視線を苦々しく顔を歪めながら投げつけるいつものクズもいれば、ただワーワー騒ぐだけの初々しいクズ?もいるようになってしまった。
これはもうどうしようもない。 太鼓クラブについて説明するしかない。 なぜこんな事に。 そもそも、ちょっとイイ話のつもりで小山田圭吾が誌面で軽々しく語らなければ、私もまたこんな所で太鼓クラブについて説明するような羽目に陥る事はなかった。 なぜ私が、これもまた因果なのだろうか。 おわかりだろうか? 我々は小山田圭吾の業に巻き込まれているに過ぎない。
太鼓クラブ
「僕とこいつ(注、沢田(仮))はクラスは違ったんですけど、小学校五年ぐらいの時に、クラブが一緒になったんですよ。土曜日に二時間ぐらい。選択でいろんなクラブ選べるとかいうので、僕、〝太鼓クラブ〟とかに入って(笑)、かなり人気のないクラブだったんですよ。
(中略)
それで太鼓クラブに入ったんですけど、するとなぜか沢田が太鼓クラブにいたんですよ(笑)。本格的な付き合いはそれからなんですけど、太鼓クラブって、もう人数五人ぐらいしかいないんですよ、学年で。野球部とかサッカー部とかがやっぱ人気で、そういうのは先生がついて指導とかするんだけど、太鼓クラブって五人しかいないから、先生とか手が回らないからさ、『五人で勝手にやってくれ』っていう感じになっちゃって。それで音楽室の横にある狭い教室においやられて、そこで二時間、五人で過ごさなきゃならなかった。五人でいても、太鼓なんか叩きゃしなくって、ただずっと遊んでるだけなんだけど。そういう時に五人の中に一人沢田っていうのがいると、やっぱりかなり実験の対象になっちゃうんですよね」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 056-057p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
説明するとか言って引用かよとか思ったヤツはクズなので自覚したほうがいい。推奨。
そしてこれを単なる煽りだと思ったヤツもクズなので自覚したほうがいい。推奨。
説明は時に引用よりクソである。
小山田圭吾について何かを語りたいならまずは引用するべきだ。
このように、だ。
その中で、小学校の帰り道、同級生が道端に落ちていた犬の糞を「食べられる」と冗談で言って、拾って口に入れ、すぐに吐き出したという話がありました。その行為をした同級生を含め、そこにいた子どもたちはみんな笑っていました。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】
そうでしたか(ニッコリ)
太鼓クラブでのいじめ
さて太鼓クラブについて大真面目に引用するなどクソ忌々しい事をして私は機嫌が悪い。
まあそれはいい。
「太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなところでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 061p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】
話を小山田圭吾の声明に戻そう。
小山田圭吾はなぜ、声明の中で「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかける」を名指ししたのか。
穏便な表現を選ぶのであれば「跳び箱の中にいれたり」を選ぶはずだ。
一番謝罪するべき部分を選ぶとすれば「ジャンピング・ニーパット」だろうか。
そもそも「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなど」とされており、太鼓クラブでのと総称して語ることも出来たはずだ。
7月の時点であれば、(これはこれで問題ではあるが)「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかける」以外はよく思い出せなかったとしてもまあ無理はないように思える。
が、これは9月の声明である。
当時の誌面を読み返していないとは思えない。
「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかける」
「黒板消しをパタパタした」と記号化して語られてるヤツだ。
そもそもどういう内容だったか。
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」原文をあたってみよう。
~続く~