敬称略雑記けいしょうりゃくざっき

狡知 13 「深層 中編」

前回、どうも小山田圭吾による9月17日付けの声明(以下、9月声明)には7月16日付けの声明(以下、7月声明)において微塵もその影を感じさせなかった7月20日連載開始の北尾修一による○○記事(お好きな言葉を当ててください。僕は連載を当てました)「いじめ紀行を再読して考えたこと」の要素が組み込まれているようだがそれはなぜだということを説明するために9月声明にあった黒板消しのいじめが異質だのなんだのとイチャモンを付けた。 7月16日に無かった物が7月16日の物に影を落とすはずがないだろうと思った君は賢くも愚かだ。この文章はただ単に以下何々と箇条書きにする無味乾燥とした文章を読むのは辛かろうと読者に配慮した私の優しさの発露だ。ありがたく受け取っておくように。読みづらい文章を無駄に垂れ流して嫌がらせをしているなどという底意地を体現したものではないのでくれぐれも誤解しないでいただきたい。

今日はいい天気だ。窓から差し込む柔らかな冬の陽の光が私の体を優しく暖めてくれる。そんな日に顔を真っ赤にしながらウンコだのオナニーだの喚き散らかした怪文書を紡ぐ私がここにある。北尾修一の手のひらの上で踊り尽くしたお人好しのクズどもが、と私は思うのだ。何の因果だこれは。まあそれはいい。

さて今回は、「黒板消しをパタパタした」と記号化して語られる「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為」の何が問題なのかについて語らせてもらう超大作の中編だ。結論から言えば「小山田圭吾は沢田(仮)に関するいじめに言及する必要に迫られていた」という事になるのだが、そう言ったところでいまいち実感が伴わないだろう。

余計な事を書いて尺を稼ぐ嫌がらせなどやっている暇はない。 私の忍耐も寛容の心もとうの昔に消費し尽くされている。 太鼓クラブとはとかはもう自分で調べろ、素人どもが!

「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為」

太鼓クラブという毎週だろうか土曜日の二時間、生徒のみで作られる「場」にて行われていたいじめ。
小山田圭吾はこれを9月声明の中で謝罪した。

今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為」、原文を当たろう。

「段ボールとかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)。そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタってやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、『ヤバイね』『どうしようか』とか言って、『じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう』って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな……?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、『おかあさ~ん』とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)。それでみんな大爆笑とかしたりして」
「本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。ゴロゴロ転がしたりしたら、『ヤメロヨー』とか言ったけど」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 057p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

これが「黒板消しをパタパタした」と記号化して語られるいじめの実像である。 そして小山田圭吾が9月声明で「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなど」として言及したいじめの具体的内容でもある。

沢田(仮)の痛苦は沢田(仮)にしか語り得ず沢田(仮)の物である。 それくらいの良識は俺にもある、が。 「ダイジョブ…」「そんなに嫌がってなかった」という言葉を「額面通りに都合よく解釈する」クズどもがいる。
勝手に弱者扱いするな、なるほど一理ある。
勝手に強者扱いするな、クズどもに欠けている視点だ。

私にとって理解し難い事ではあるが、どうもこれを子供同士の「じゃれあい」と読むヤツがいるらしいのだ。 このいじめを「じゃれあい」つまり友情を前提とした「遊び」であると読むクズがいるようだという点を忘れないでいただきたい。

太鼓クラブには続きがある。

「太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなところでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 061p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

小山田圭吾は9月声明で、「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為」を「遊びの範疇を超えて」「いじめ加害になっていた」と強い言葉を用いて「いじめ」である事を強調した。 小山田圭吾のため、小山田圭吾の言葉を曲げてまでこれらを恣意的に曲解し、記号化し矮小化し、「遊びだった」とか「~しただけじゃん」とすら喚くヤツらがいる。

あえてもう一度言わせていただこう、お人好しのクズどもが、と。

沢田(仮)と村田(仮)

〝いじめられっ子〟は、二人いた
小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 055p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

沢田(仮)と村田(仮)だ。
小山田圭吾の声明をもう一度よく読んでみよう。

しかし、誌面にも記述がある通り、小学生の頃、転校生としてやってきた彼に対し、子どもの頃の自分やクラスメイトは、彼に障がいがあるということすら理解できておらず、それ故に遠慮のない好奇心をぶつけていたと思います。
今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

「村田は小学校の頃からいたんですよ。こいつはちょっとおかしいってのも分かってたし。だけど違うクラスだったから接触する機会がなかったんだけど、中学に入ると、同じクラスになったから。(略)」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 062p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

「沢田っていう奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転校してきたんですよ、小学校二年生ぐらいのときに。それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)『サワダです』とか言ってさ、『うわ、すごい!』ってなるじゃないですか。で、転向してきた初日に、ウンコしたんだ。なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だっていうのはあるじゃないですか?で、いきなり初日にウンコするんだけどさ、便所に行く途中にズボンが落ちてるんですよ、なんか一個(笑)。そんでそれを辿って行くと、その先にパンツが落ちてるんですよ。で、最終的に辿って行くと、トイレのドアが開けっ放しで、下半身素っ裸の沢田がウンコしてたんだ(笑)」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 055-056p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

転校してきたのは沢田(仮)である。
太鼓クラブにいたのも沢田(仮)であれば便所にいたのも沢田(仮)だ。 そしてなるほど、小山田圭吾は9月声明において、沢田(仮)への黒板消しによるいじめに言及しているのだ。 同時に、小山田圭吾は9月声明において、村田(仮)へのいじめに言及しなかった。 沢田(仮)と村田(仮)、仔細については後回しにするが、いじめの内容は極めて酷似している。 7月時点であれば忘れていたとしても、まあ理解はできる。 しかしこれは9月声明の話だ。 小山田圭吾が誌面を読み返していないとは思えない。

言及しなかった事が論点ではない。
論点は、なぜ沢田(仮)に対する「黒板消しによるいじめ」に言及したのか、だ。

小山田圭吾は9月声明で、「沢田(仮)に対する」「ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為」を「遊びの範疇を超えて」「いじめ加害になっていた」と強い言葉を用いて「いじめ」である事を強調した。

村田(仮)へのいじめ

「村田は小学校の頃からいたんですよ。こいつはちょっとおかしいってのも分かってたし。だけど違うクラスだったから接触する機会がなかったんだけど、中学に入ると、同じクラスになったから。(略)」
(略)
「段ボールの中に閉じ込めることの進化形で、掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。そいつなんかはすぐ泣くからさ、『アア~!』とか言ってガンガンガンガンとかいってやるの(笑)。そうするとうるさいからさ、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばすんですよ。それはでも、小学校の時の実験精神が生かされてて。密室ものとして。あと黒板消しはやっぱ必需品として。〝毒ガスもの〟として(笑)」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 062p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

「段ボールとかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)。そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタってやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、『ヤバイね』『どうしようか』とか言って、『じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう』って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな……?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、『おかあさ~ん』とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)。それでみんな大爆笑とかしたりして」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 057p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

小学生の時の実験精神というのは言うまでもなく太鼓クラブでの経験だろう。
いじめ紀行には一定の価値がある。 しかしその大半は小山田圭吾問題を受け後天的に得た価値であり、本質的にはやはり失敗してのではないかと私は考えている。 これはまた別の機会にでも語ろう。

村田(仮)へのいじめ、沢田(仮)に対するいじめの内容と酷似してはいないだろうか。

小山田圭吾は9月声明において沢田(仮)に言及し、なぜ、村田(仮)に言及しなかったか、不思議ではないだろうか。

線引

なぜ村田(仮)ではなく沢田(仮)なのか。

被害者本人への謝罪が受け入れられたか否かだろうか。

「この件の全責任は小山田にあります。だから彼も私も、弁明も言い訳もしません」
そう語るのは、小山田圭吾(52)の所属事務所の代表取締役を務めるO氏。
(中略)
五輪開会式直前、本誌はO氏に直撃取材を試みた。
(中略)
――小山田さんは被害者に謝罪すると発表していますが?
「すでにお詫びしました。とりあえず(被害者に)小山田の反省を伝えています。ただ詳しいことは申し上げることができません」
--- 小山田圭吾「五輪に乗り気じゃなかった」事務所社長語る辞任の“言い訳”

12月現在、「被害者への謝罪」というのはこの一文を持って「なされた」と語られている節が有る。 圧倒的に情報が足りていない現状で、被害者への謝罪に関し語るのは危険である。 そして原則、謝罪しそれを受け入れるか否かというのは当事者間の問題であり、その結果をどう扱うかも当事者間の問題である。 当然、すでに和解している可能性もある。 しかしあえて、被害者に対し「もう許してやれよ」という空気を押し付けるあらゆる物はクソだと言わせていただこう。 被害者への謝罪に関し、私がここで言及している事にも当然それは当てはまる。 くれぐれもその点に留意して読んでいただきたい。

恐らく小山田圭吾は(全てが事実であるとすれば)少なくとも3人に謝罪を行ったはずだ。 沢田(仮)、村田(仮)、西河原法夫(仮)だ。 西河原法夫(仮)に関して謝罪が必要か、と、思うだろうか。 小山田圭吾にとって、謝る事が出来る所は謝ったほうが良いのは明らかだ。 下手な謝罪をすれば問題への無理解が指摘され再炎上しかねない中で平謝り出来る貴重な相手が西河原法夫(仮)だ。 西河原法夫(仮)って誰だよなどとかったるい事をほざく素人はこのページを見ていないはずだ。出直してこい。
西河原法夫(仮)とは「いじめ紀行」の前半で村上清がヨタネタを掴まされ勘違いしたまま取材したちょっとイイ話しに出てくる人物だ。

いじめられてた人の名前まで判明した。西河原法夫さん(仮名)といい、「学年を超えて有名」だったとか。対談依頼の手紙を書く。
(中略)
よくよく西河原さんと話してみると、「自分は消しゴムを隠される程度のいじめしか受けていない。(前出のように)ハードにいじめられてたのは別の人ではないか」とのこと。
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 054p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

とのこと。

個人的には調布のヘンなショッピングセンターみたいな超万引き場所とやらにも謝罪したほうがいいと思うが、まあそれはいい。

西河原法夫(仮)は高い確率で謝罪を受け入れるだろう。 小山田圭吾にとって強力な材料である。 謝罪が受け入れられたいじめについて9月声明で言及したとすれば、西河原法夫(仮)が声明に組み込まれていないことは不自然に思える。 小山田圭吾問題は本質的に謝罪すら難しい。 その中で西河原法夫(仮)への謝罪というのは大変に貴重なのだ。 当事者である小山田圭吾自身がこの事実に気づかないとは思えない。 そして西河原法夫(仮)が謝罪を受け入れなかったとも思えない。 謝罪を受け入れたか否かが線引であるとすれば、村田(仮)、西河原法夫(仮)は謝罪を受け入れなかったことになる。

声明で沢田(仮)に言及し、村田(仮)に言及しなかった理由は、謝罪が受け入れられたか否かではなさそうだ。 沢田(仮)、村田(仮)、いじめの内容自体は酷似している。 一体何が違うのか。

語るべきは「友情」だ。

北尾文書

さて思い出していただきたいのは北尾文書である。 さすが我らが北尾修一、問題のあらゆる所に彼の顔がチラつくではないか。 北尾修一非公式ファンサイトを運営する私であっても最早うんざりするほどの頻度である。

北尾文書とは何だったのかをおさらいしておこう。 北尾文書とは小山田圭吾炎上の渦中であった7月20日より北尾修一により連載が開始された「いじめ紀行を再読して考えたこと」を指す。

 以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 064p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

北尾修一とは小山田圭吾問題においてソースとして扱われる「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」インタビューに同席していた人物だ。 小山田圭吾の辞任は7月19日である。 当事者の中でも極めて早い段階で声を上げた人物、ということになる。 12月現在、読もうと思えば読めるが、という類の文章になっている。 北尾文書が果たした役割を恣意的かつ雑にまとめておこう。

  1. 小山田圭吾擁護の立ち位置を得る
  2. 個人のブログをデマと糾弾し、出版側の責任を有耶無耶にする
  3. いじめ紀行原文をあえて公開し、小山田圭吾擁護の文脈で読ませる
  4. いじめ被害者であるところの沢田(仮)と小山田圭吾の友情を説明する

もちろんこれは私の色眼鏡(何色かはご想像にお任せ致します)からの偏見と誤解と一抹の同情を伴いつつ見た物である。 少なくとも「沢田(仮)との友情を説明する」という役割に関しては広く共有できるはずだ。 では村田(仮)との友情に関してはどう書かれていただろうか。 なんと大したことは書かれていない。 がっかりだな。

「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」で描写された沢田(仮)への黒板消しの件を、もとより遊びとして読むクズがいるらしいと指摘したことを思い出していただきたい。 そこに北尾文書である。 「黒板消しでのいじめ」は「じゃれあい」の延長線上にある「遊び」であるという認識を助長したことは言うまでもない。

北尾文書は小山田圭吾と沢田(仮)の友情を強烈に語った。

次回後編、これの何がまずいのかを語らせてもらおう。

私から見た小山田圭吾問題の核心、その一端に触れる。


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