今回は大長編「深層」シリーズの後編だ。これをさらに前後に分けようかとも思ったが、さすがにそれは人としてどうなのかという話しにすらなりかねない。私にだって最低限、人としてどうこうという部分に合意する程度の社会性はある。…とでも思ったか!
ただでさえクズかカスかあるいはゴミか、その類の物へ向ける蔑みの視線で見られているであろう私である。 これ以上の陰徳を積んでクズどもが私を呼称する際の語彙が尽き果てて、一体誰が笑うというのだろうか。
今回も小山田圭吾の7月16日付け声明(以下、7月声明)と9月17日付け声明(以下、9月声明)に齟齬があるぞなどと一見どうでもいいようなクレームを付けながら、北尾修一による「いじめ紀行を再読して考えたこと」(以下、北尾文書)が何をしたのか追いかける。
前回、小山田圭吾が9月声明で、沢田(仮)への「異質ないじめ」について言及しながら、酷似したいじめである村田(仮)へのいじめについては言及しなかった、ということを書いたように思う。 そしてその線引がどうも、謝罪が受け入れられたか否かではなさそうだという所も説明した。
ここまで書いた事も、当然ここから書く事も、全ては私にはそう見えたという推測でしかない。
くれぐれもそれを忘れないでおいて頂きたい。
「異質ないじめ」とはどういう事か。
話を進めよう。当時を思い出しながら慎重に、だ。
声明
まず7月当時の小山田圭吾と出版二社の声明を把握しておこう。
ご指摘頂いております通り、過去の雑誌インタビューにおきまして、学生時代のクラスメイトおよび近隣学校の障がいを持つ方々に対する心ない発言や行為を、当時、反省することなく語っていたことは事実であり、非難されることは当然であると真摯に受け止めております。 私の発言や行為によって傷付けてしまったクラスメイトやその親御さんには心から申し訳なく、本来は楽しい思い出を作るはずである学校生活において、良い友人にならず、それどころか傷付ける立場になってしまったことに、深い後悔と責任を感じております。 また、そういった過去の言動に対して、自分自身でも長らく罪悪感を抱えていたにも関わらず、これまで自らの言葉で経緯の説明や謝罪をしてこなかったことにつきましても、とても愚かな自己保身であったと思います。
--- 7月16日、小山田圭吾声明
その時のインタビュアーは私であり編集長も担当しておりました。そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。 27年前の記事ですが、それはいつまでも読まれ続けるものであり、掲載責任者としての責任は、これからも問われ続け、それを引き受け続けなければならないものと考えています。
--- 7月18日、ロッキング・オン・ジャパン94年1月号小山田圭吾インタビュー記事に関して
現在、この小山田圭吾氏の一連のいじめ体験についての告白が大きな批判を受けています。当時のスタッフに事実・経緯確認を行い、記事を再検討した結果、この記事が被害者の方を傷つけるだけでなく差別を助長する不適切なものであることは間違いないと判断しました。この検討は出版後26年を経てのものであり、この間、2012年にはいくつかの号が復刊される機会があり、この第3号も100部の復刊を行っています。最初の出版段階での判断のみならず、その後再検討のないまま時が過ぎたことも、出版社としてその姿勢が問われるものであると考えます。
--- 7月19日、『Quick Japan 第3号』掲載の小山田圭吾氏記事についてのお詫び
これらは炎上の渦中における声明である。
小山田圭吾と出版二社はこの「異質ないじめ」がどういう性質の物かを把握していたように思う。
それぞれに「覚悟」を感じさせる内容だ。
おさらい
「段ボールとかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)。そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタってやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、『ヤバイね』『どうしようか』とか言って、『じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう』って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな……?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、『おかあさ~ん』とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)。それでみんな大爆笑とかしたりして」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 057p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
「段ボールの中に閉じ込めることの進化形で、掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。そいつなんかはすぐ泣くからさ、『アア~!』とか言ってガンガンガンガンとかいってやるの(笑)。そうするとうるさいからさ、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばすんですよ。それはでも、小学校の時の実験精神が生かされてて。密室ものとして。あと黒板消しはやっぱ必需品として。〝毒ガスもの〟として(笑)」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 062p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
沢田(仮)に対しては小学校の太鼓クラブで、村田(仮)に関しては中学校で行ったいじめの描写だ。 まず、いじめの内容自体が酷似している。
「(略)そういう時に五人の中に一人沢田っていうのがいると、やっぱりかなり実験の対象になっちゃうんですよね」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 057p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
小学校の時に実験の対象になっていたのは沢田(仮)だ。
つまりは「小学校の時の実験精神が生かされて」とあるように沢田(仮)へのいじめと村田(仮)へのいじめには連続性がある。
「一連のいじめ」と言えなくもない。 そう、小学生時代の沢田(仮)への黒板消しによるいじめは、村田(仮)に対する物と同じく密室もの、毒ガスものとして語られていた可能性があるのだ。
ガス室
村田(仮)に対するいじめの描写は「ある読み方」をすることが出来る。
「密室ものとして。あと黒板消しはやっぱ必需品として。〝毒ガスもの〟として(笑)」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 062p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
20分後、『夕刊フジ』の地下鉄サリン事件増刊号を小脇にかかえながら、コーネリアスはいきなり目の前に現れた。
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 055p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
これはこれでどうなのかとは思う、が、今回扱うのはこの読み方ではない。
ここから少し、この「一連のいじめ」をどう要約することが「出来るか」について検証を行う。
「一連のいじめ」を少し恣意的に要約させてもらおう。
同級生に対し小学校から中学校にかけて行ったいじめを毒ガスものや密室ものとして語っていた(デマです?)。
さらに恣意的に要約してみよう。
同級生に対し長期に渡り行ったいじめを毒ガス密室ものとして笑いながら語っていた(デマです)。
さらに恣意的な要約を重ねる。
障がいを持った同級生に対し長期に渡り行ったいじめをガス室ものとして笑いながら語っていた(デマです)。
問題は、「どう読まれうるか」であり「どう書かれうるか」でもある。
ホロコースト
ナチスは1939年後半に大量殺戮を目的とした有毒ガスの実験を開始しました。「安楽死」の名のもとに、精神病患者が殺害されたのです。 ナチスの婉曲表現であった「安楽死」とは、ナチスが精神病や身体障害があるという理由から「生きるに値しない」としたドイツ人を組織的に殺害することを意味しました。
アインザッツグルッペン(移動虐殺部隊)は、数十万人もの人々をガスで殺害しました。
--- ガス室の使用 ホロコースト百科事典
今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】
小山田圭吾が声明にて「いじめ加害」であったと強調し言及した意味、薄っすらとでも見えて来ただろうか。
これを「異質ないじめ」と表現した訳、そして私が当時の出版側の責任がとか騒いでいる(「週刊文春は小山田圭吾問題の「裏」を把握しているのか」)訳が、少しはおわかりいただけただろうか。
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」は北尾文書により美談化され、友情物語として読まれた。 元から友情物語として読める、理解し難い所ではあるが、それをとやかく言うつもりはない。 どう読むかは個人の自由だ。 しかし「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を美談として読む事は無意識にこの問題に加担してしまっている。
どういうことか。
友情
炎上当時、この「異質ないじめ」が含まれた「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を、障がい者と対等に付き合う小山田圭吾という美談であるかのように語る流れがあった。 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」が北尾文書とセットで読まれた結果である。 その世界観では沢田(仮)への黒板消しによるいじめは明らかに子供同士のじゃれあいだ。
「遊びだった」「~しただけじゃん」
何を言っているのか、もう一度冷静に考えたほうがいい。
ホロコースト問題に絡んでいるとも取れるいじめを「遊びだった」「~しただけじゃん」と言っている訳だが。 そして言うまでもなく、その世界観は容易に理解されない。 ちなみに私はその世界観に関し、「は?」という感想しか持っていない。
つまりはこの「異質ないじめ」を「黒板消しをパタパタする」と記号化し、矮小化し、上書きしようとしているのだ。 さてこれがどう見られうるだろうか。
小山田圭吾の声明を読んでよく考えるべきだろう。
9月声明
今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】
いじめではない。 いじめとはいえない。 それを言うのは自由だ。 しかしそれで何が起こりうるのか、よく考えたほうがいい。 子供時代の事を後悔の文脈で語ったものならばまだしもこれは「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」だ。 そして「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」は商業誌に掲載された記事だ。 いじめを商業的に極めて軽率に使った結果、それが五輪の文脈で問題になった。
小山田圭吾問題は本来、言及すら難しい。 9月声明で小山田圭吾はこの「異質ないじめ」について「いじめ加害」と強調しながらも「友情」を語らざるを得なかった。 歯切れが悪い、しかし、そうせざるを得なかったのだろう。
繰り返そう。小山田圭吾問題は本来、言及すら難しい。 そしてこの「異質ないじめ」だ。 9月当時も12月現在も、「黒板消しをパタパタした」と記号化され語られ、盛んに上書きされている。
小山田圭吾はいつの間にか、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を批判することが出来なくなっているのではないか。
下手に触れれば、自らの善性の根拠であるところの沢田(仮)との友情が崩れさり、友情があったとして見逃されていた部分が問われ始める。
しかしこの「異質ないじめ」が上書きされ語られる事には釘を差しておかねばならない。
そんなところではないだろうか、まあ小山田圭吾が何を考えていようが私には興味が無い。
私はそもそも北尾修一のファンだ。
ところで大前提として、いじめの文脈において友情を安易に語ることは危険だ。
その上でこれだ。私にどう見えていたかは言うまでもないだろう。
何を言っているんだこのお人好しのクズどもは、だ。
ところでこの友情、誰が言い出した事だったか。
~次回、後編 後編に続く~