●2月22日
*14時、大田出版で『QJ』赤田・北尾両氏と会う。いじめ対談のことを話す。「面白いね、やってよ。和光中学の名簿探してみるから。」―――まず、いじめられっ子を探すことにする。
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 054p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」とは何なのか。
小山田圭吾は何と向き合い、何を謝罪しようとしているのか。
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」の冒頭にて言及されたいじめとはどうやら「愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件(愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件 - Wikipedia)」らしい。「愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件」にて自殺した大河内清輝さんの父、大河内祥晴さんはその生涯を通じ、いじめを少しでも無くす事を目指していた。 そして21年8月、大河内祥晴さんは亡くなる(「大河内祥晴さん死去 いじめ自殺、清輝さんの父:中日新聞Web」)。小山田圭吾のいじめ問題が炎上したその翌月の事だ。 小山田圭吾のいじめ問題を、大河内清輝さんのいじめ自殺事件がその発端であろう「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を、そしてそれらが小山田圭吾擁護の文脈でどう語られたかを、大河内祥晴さんは知っていただろうか。 そしてどう受け止めたか。 それは分からない。
しかし少なくとも、小山田圭吾擁護派によるものと限らず「いじめの矮小化」というものは、大河内清輝さん、そして大河内祥晴さんが行ってきたことを否定する行いだと私は考えている。
前回(「狡知 17 「再びいじめ紀行を読んで はじめに」 | 敬称略雑記」)、そんなようなことを語った。 大河内清輝さんいじめ自殺事件は20年以上前の話だ、過去をわざわざ蒸し返すな、小山田圭吾擁護派がいかにも言いそうなことをかわりに言っておいてやろう。しかし大河内清輝さんいじめ自殺事件は過去の事でもなんでも無い。
1994年11月、愛知県西尾市立東部中2年の大河内清輝さん(当時13)がいじめを苦に自殺してから25年となり、東部中でいじめを防ぐために活動する有志グループ「ハートコンタクト」に所属する生徒が28日、清輝さんの自宅を弔問した。清輝さんの父祥晴さん(73)は「嫌な思いをしている子のためには、みんなが声を上げてくれることが不可欠」と訴えた。
--- 「愛知いじめ自殺25年、生徒弔問 大河内さん父「声上げて」: 日本経済新聞」
11 月 17 日に「いじめを考える集会」を各学年で開催しました。この集会は、ハートコンタクトという自主的な組織が中心となり、企画を練ったうえで、学級と学年での話し合いに2時間をかけて、いじめについて学校全体で考えを深めていくものです。
--- 「校長室便り青空 「いじめを考える集会 その1」 №191 2021.11.19」
学級での話し合いでは「自殺の是非」にまで話題がいきました。ぽつりぽつりと手が挙がり、「自殺したいくらいの気持ちはわかるけど、でも、死んでしまったら・・・」と声を詰まらせて言う場面もありました。
昨年度までは集会のしめくくりとして清輝君の父祥晴さんに講演という形で話をしていただいていました。しかし、今夏、祥晴さんはすい臓がんのため永眠されました。
--- 「校長室便り青空 「いじめを考える集会 その2」 №192 2021.11.19」
ハートコンタクト。大河内清輝さん、そして大河内祥晴さんが残したものだ。 この尊敬に値する取り組みの横で、小山田圭吾擁護派が何をやっていたか。いい大人が雁首揃えて「遊びだった」「友情があった」「そういう時代だった」「~しただけじゃん」と喚き散らかしていたのだ。尤もらしい言葉を並べ何かをほざいたところで結局は問題を矮小化したいだけだという本質は何も変わらない。その証拠になぜ、私が、ここで、大河内清輝さん、大河内祥晴さんに言及しているのか。小山田圭吾擁護派が「愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件」を徹底的に無視した結果だ。
この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 064p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
私は小山田圭吾を良く思っていない。これは何度も繰り返している。 では当時の当事者達を私はどう思っているか。言うまでもないだろう。
3月現在、休刊を経たQuickJapanにおいて当時の反省が掲載されたそうだ。 大して話題になっていないという現状を鑑みると既存の声明の延長線上にあるという程度なのだろう。 当然、そこに「検証」という概念がありようはずもないと私には思えるが。 小山田圭吾にすべてを押し付け臭いものに蓋をした図式になってはいないだろうか。「これから」に期待しよう。
今回から数回、私は、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を悪く言う。
ところで私はこのブログ開設当初、小山田圭吾が何をやったか列挙するような事はしないなどとほざいていたようだ。 出版側が問題の検証を行うべきだと標榜し、ロッキン村を問うとしていた中原一歩がそれをやると信じ期待していたからだ(「なぜ小山田圭吾は『週刊文春』での独占インタビューに応じたのか?“音楽ロッキン村”問題を今考える | Business Insider Japan」)。
私のその妄言を反故にさせていただこう。
この期に及んでも未だ小山田圭吾擁護の文脈で「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」をまともに語っている論評を見たことがない。それもそうだろう。あの内容だ。言及するにしてもあのどうしようもない内容を引用しなければならない。下手に伏せ字にすれば恣意的だのなんだのと私のような人間から突っ込まれることは目に見えている。 そもそもあの内容を平然と引用できないような立ち位置からでは語り得ないのものが「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」なのではないだろうか。それを理解せずアングラがどうのと言ってみたところで表層で上滑りするのもまた目に見えている。
私は「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を極めてマズイ代物であると考えている。 あれを小山田圭吾ひとりに背負わせるのか、小山田圭吾を良く思っていない私ですらそんな同情の念を抱くほどなのだがどうもこの感覚は一般的ではないようだ。
小山田圭吾問題は多様な側面を持つ。差別的な発言という側面における問題の多くはこの「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」に由来する。 私は小山田圭吾問題における最大の「デマ」は「ロッキン」のウンコバックドロップ(デマです)だと考えている。 そして「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」には「ロッキン」での行き過ぎた言動を修正するための意味合いがあるそうだ。 「それでこれかよ」、私が小山田圭吾を良く思っていない理由のひとつだ。 商業的打算の上でいじめを利用し、それが気にくわないからとさらに別媒体で極めて差別的な表現を用いまたしても商業的にいじめを利用した。そして、大田出版、ロッキング・オン・ジャパンともに小山田圭吾とは共犯関係にある。
小山田圭吾問題に対するまっとうな姿勢での批判であればあるほど「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」の内容を問題視するはずだ。
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」は小山田圭吾問題初期において、いじめ被害者との友情や、障害者へのフラットな視線、嘘の無い正直さ等、小山田圭吾の善性を説くために使われてしまった。あえて明言しておく必要もないだろうが、私からすればそれらは失笑にすら値しないふざけた考察だ。 しかし現実に、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」はむしろ小山田圭吾を擁護するための素材となってしまった。 なぜそうなってしまったのか。 21年7月、小山田圭吾の炎上を受け公開された北尾修一による連載記事「いじめ紀行を再読して考えた事」には、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」の誌面キャプチャーが添付されていた。 ご丁寧にも「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」が作られた当時の当事者である北尾修一による読み方の指南付きで、だ(さらに謎の漫画1ページのおまけ付き。北尾修一からの読者サービスだろう。「東京五輪の〝小山田騒動〟でチラ見漫画が初書籍化 まどの一哉「夜の集い」 (よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース」)。そこには、悪意ある個人のブログによる切り貼りによって「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」は残虐なものになった、本来は小山田圭吾といじめ被害者の友情を説明するものだ、小山田圭吾と村上清の共感がどうのといった事が書いてあった。 結果として、マズイ代物である「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」をマズイと言えなくなってしまっているのだろう。それどころか美談であるかのように語らざるを得ない。または「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」から小山田圭吾の善性を曲解の上で抽出しそれ以外を他者になすりつけるような擁護をせざる得ない。あるいは単に無視を決め込むか。そのどれもが私にとって極めて醜悪な姿として映ったことは言うまでもない。そしてそのどれもが「いじめを無くすため」に「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を語るのではなく、「小山田圭吾のため」に「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を語っているに過ぎない。
ハートコンタクトという取り組みの横で、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を「小山田圭吾のため」に読み、問題を矮小化する行為の醜さに関しどれほどの自覚があるだろうか。
今回からの流れで、私が考える小山田圭吾問題の本質というところに触れる事ができればと思う。 結論から言ってしまえば、この「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」も「表現者小山田圭吾」の「表現」である可能性が高いという話なのだが、いきなりそう言ってそれが伝わるなどとは私も考えてはいない。
今少しこの北尾修一非公式ファンクラグ公式ブログにお付き合いいただこう。
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」
読む度に新たな悪意を見出す事が出来る文章、というのも珍しいものだ。 いじめ紀行は本質的には失敗しており、その価値というものは小山田圭吾問題を考える素材としての後天的な価値が大半を占めるという印象は強い。
2 猪瀬直樹・著『日本凡人伝 死を見つめる仕事』(新潮文庫)参照
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 052p 中段注釈 (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
小山田圭吾は五輪にこの誌面を持ち込み炎上した。 炎上と表現されてしかるべきである当時の国民感情の背景を考えると、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の名誉総裁とは誰だったか、という事情に言及せざるを得ない。 東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会招致の段階から皇室を積極的に利用しようと主導したのは猪瀬直樹だ(「『東京の敵』(角川新書)#1 なぜ五輪の問題が噴出するのか|猪瀬直樹|note」)。 そして誌面注釈にある猪瀬直樹の名前、なんとも因果なものではないか。
小山田圭吾は五輪反対派に利用された、一面の事実ではある。 そしてそれは事実の一面でしかない。 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」をどう読むか。 同じことだ。そうも読めることを承知の上で出版し、そう読むほうが悪いと開き直っているだけの話だ。
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」には悪意が散りばめられている。 少なくとも私にはそう読めた。
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」は文字起こしという意味では正確なのだろう。 どうやら小山田圭吾の言葉らしいのだ。
何が「マズイ」のか、つまりは小山田圭吾が向き合っている物の正体だ。
養護学校
「他だったら特殊学級にいるような子が普通クラスにいたし。私立だから変わってて。僕、小学校の時からダウン症って言葉、知ってたもん。学校の裏に養護学校みたいなのがあるんですよ。町田の方の田舎だから、まだ畑とか残ってて。それで、高校の時とか、休み時間にみんなで外にタバコ吸いに行ったりするじゃないですか。で、大体みんな行く裏山があって。タバコ吸ってたり、ボーッとしてたりなんかするとさ、マラソンしてるんですよ、その養護学校の人が。で、ジャージ着てさ、男は紺のジャージで、女はエンジのジャージで、なんか走ってるんですよ。で、ダウン症なんですよ。『あ、ダウン症の人が走ってんなあ』なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?『あれ? さっきあの人通ったっけ?』なんて言ってさ(笑)。ちょっとデカかったりするんですよ、さっきの奴より。次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走って行って、『あれ?これ女?』とか言ったりして(笑)。最後10人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ~って走って来て。『すっげー』なんて言っちゃって(笑)」
この養護学校も、今は無いらしい。小山田さんが話しているのは、10年近く前の話だから、そういうこともあっておかしくない。
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 065p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
22
この裏山では、死体も発見されている。発見者は小沢健二氏の兄。同じく和光出身である。現在、裏山は「○○○○幼稚園」の校舎になっている。当時タバコを吸う生徒は「裏山派」「更衣室派」「非常階段派」の三派に別れていた。
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 065p 中段注釈 ○は引用者による(村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
仔細はあえて言及を避けるが、現地には昭和35年から現在も立派に活動を続けている団体がある。 まず「今は無い」というのは間違っている可能性が高い。 しかも「らしい」、興味深い言動だ。 平成6年当該施設は児者転換を行った(知的障害児施設から知的障害者更生施設へ)。 インタビューは1995年、平成7年に行われた。 「(当時のままの学校は)今は無い」というのが実際だろうか。 言葉遊びの類と言わざるを得ない。 団体の来歴を見ても、小山田圭吾が語った高校時代(昭和60年近辺だろう)にはこれといった出来事はない。 だとすれば小山田圭吾は平成6年のこの児者転換を知っていた上でそう語ったのだろうか。 あるいは後追いの「取材」で明らかになったと考えるべきだろうか。…それとも。
当然、まったく別の施設が当時あったという可能性もある。 しかしよく考えていただきたい。 長く確かに運営されている福祉団体というのは尊敬に値する存在であり、そもそも貴重だ。 小山田圭吾自身が言うように町田は田舎だ。 現代でも神奈川県民にすら心底煙たがられているような魔境だ。 そんなところに似たような施設が複数あるなどと考えるほうが不自然だろう。
今は無い施設だといいながら、誌面には○○○○幼稚園などと現地に関する情報が添付されている。 中途半端に濁すよりも「この内容で掲載してもよろしいでしょうか」とお伺いをたてるべきだったのではないだろうか。 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」、私にとってはどうしようもない内容の記事だ。 当然、掲載許可云々など到底問題外の差別的な内容をその自覚を持ちながら安全圏から掲載するための方便として「今は無い」としているよう私には見えている。
…どうやら「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」というものの根底にある何かしらが垣間見えているようではないか。
(続く)