敬称略雑記けいしょうりゃくざっき

狡知 19 「再びいじめ紀行を読んで 2」

前回(「狡知 18 「再びいじめ紀行を読んで 1」 | 敬称略雑記」)、どうもQuickJapan「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」で「いまは無い」とされていた施設が現存しているようだというような話をした。数十人規模の利用者がいると思われる施設になるまでどの程度の月日が必要だろうか。数年では到底効かないだろう。 「いまは無い」という誌面での言及が正しいとすれば、裏山から見ることができかつ体育としてのマラソンの圏内に、そのような施設が複数あった、ということになる。当然それは信じがたいという話だ。

「いまは無い」とする意図は何なのだろうか。

配慮したというのならば最初から言及するべきではない。そもそもあれは配慮をしてまで語るべき内容なのか。障害者をフラットに語ることで障害者差別を無くそうとしているとでもいうのならぜひ「私は過去にこういう発言をしておりました」などという文言とともに似たような文章をプロフィールに掲載して欲しい。フラットな視点とやらいう失笑物の評価を君も得られるだろうか。つまりは掲載許可など到底得られないであろうものを、それとわかりながら安全に掲載するため当該施設をなかったとしただけではないかという事だ。

執筆当時、すでに痛ましいいじめ自殺の報道が繰り返され社会問題化していましたが、それが一向にやまないどころかいじめの手口が巧妙に「進化」する様を見るにつれ、小中学校時代にいじめを受けた経験のある自分は怒りや虚しさを通り越し、一種呆気にとられるような言い難い感情に至ったことが執筆の発端にあります。
--- 村上清「1995年執筆記事「いじめ紀行」に関しまして」

村上清は手口を巧妙に進化させながらいつまでも無くならないいじめを問題視し「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」という記事をそれへの突破口と位置づけていたようだ。どこまで本気でそう思っていたのか、私が村上清のその意図に疑念を抱いている事は言うまでもない。その実際のところは当事者達にしか分からないだろう。しかし、いじめを無くすためであれば、障害者に対し何を言っても良いのかという疑問を私は持つ。そしてあの記事を、いじめを無くすためですらなく、小山田圭吾のために読ませている現状がある。私からするとあの記事は、いじめを無くすために障害者は捨て石となれと言っているに等しく、そしてこの現状は、小山田圭吾のために障害者は黙ってろと言っているに等しい。つまり「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」とは、本質的に極めて下劣な記事であると私は考えている。そしてその類の記事を、批判出来ないどころか、矮小化し美談として語らざるを得なくなっていることに何の疑問も抱かない人間が一定の数いるようだ。

さて今回も「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」についてだ。あれがどういう類の記事なのか、そして小山田圭吾は何を謝罪しようとしているのか、それを見ていこう。

地下鉄サリン事件

地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)は、1995年(平成7年)3月20日に東京都で発生した同時多発テロ事件である。警察庁による正式名称は、地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(ちかてつえきこうないどくぶつしようたすうさつじんじけん)[2]。日本国外では「英: Tokyo Sarin Attack」と呼ばれることがある[3]。世界でも稀に見る大都市圏における化学兵器を利用した無差別テロ事件であった。
宗教団体のオウム真理教によって、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)で営業運転中の地下鉄車両内で神経ガスのサリンが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。1995年当時としては、平時の大都市において無差別に化学兵器が使用されるという世界にも類例のないテロリズムであったため、世界的に大きな衝撃を与えた。毎日新聞では、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件と並んで『オウム3大事件』[4] と表現されている。
--- 地下鉄サリン事件 - Wikipedia

毎年この時期になると、地下鉄サリン事件を風化させないため特集が組まれる。

あの日、千代田線では、乗客が犠牲になることはありませんでした。自分の夫がただ殺された訳ではなく、命と引き換えに多くの人たちを救ったという思いは、悲しみに沈んでいたシズヱさんを励まし、力づけてくれました。
--- 「地下鉄サリン事件から27年 高橋シズヱさん なぜ彼女は心を燃やし続けられるのか|NHK事件記者取材note

早期の対処でさらなる惨事を防いだ形だが、サリンの影響で瞳が小さくなる「縮瞳」に悩まされることになった。14人が死亡、6千人以上が重軽症を負った事件から27年。既に“教祖”らが死刑に処された今もトラウマが残り、オウムがばらまいた「闇」への嫌悪感は消えない。
--- 「地下鉄でサリンが入った袋7つを回収した元警察官の述懐 あれから27年、今も手に残る「ぬるっとした感触」(47NEWS) - Yahoo!ニュース

 神保監督も「今日はちょうど事件から27年。後遺症がある方もたくさんいらっしゃいます。事件が続いていることを伝えたい。特に若い人にこの事件があったことを知ってほしい」と力を込めた。
--- 「地下鉄サリン被害者家族のドキュメンタリー映画上映「事件が続いていることを伝えたい」

「選挙は私の最終テストだった。この世の中はもはや救済できない。これからは武力でいく」
選挙で権力を握ろうとして失敗したこと、支持を得られなかったことを社会からの否定、裏切りと受けとめた教祖が、武装化を宣言した瞬間だった。
--- 「地下鉄サリン 未曽有のテロの背後にあった「日本征服計画」とは:時事ドットコム

そして小山田圭吾擁護派が今も大きな感心を寄せているであろう毎日新聞からは一足先に記事が出ている。

 14人が死亡、6000人以上が重軽症を負った1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件から3月で27年となる。被害者の1人、千葉県八千代市の会社員、町田聖治さん(44)は、両親の他界により18歳まで児童養護施設で過ごし、進学のため上京した直後に巻き込まれた。
--- 地下鉄サリン27年 事件、風化させぬ 「苦労多いが自分の宿命」 千葉の会社員、今も後遺症 /東京 | 毎日新聞

地下鉄サリン事件は未だ続く問題だ。

『夕刊フジ』の地下鉄サリン事件増刊号

●4月2日
とにかく事務所に乗り込む。『QJ』赤田氏と僕とで、まずマネージャー岡氏を説得しなければならない。と思っていたら、「本人きますよ」
20分後、『夕刊フジ』の地下鉄サリン事件増刊号を小脇にかかえながら、コーネリアスはいきなり目の前に現れた。
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 055p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

「段ボールとかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)。そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタってやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、『ヤバイね』『どうしようか』とか言って、『じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう』って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな……?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、『おかあさ~ん』とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)。それでみんな大爆笑とかしたりして」
「本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。ゴロゴロ転がしたりしたら、『ヤメロヨー』とか言ったけど」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 057p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」のインタビューは95年4月2日に行われたらしい。 「『夕刊フジ』の地下鉄サリン事件増刊号」とは「サリン事件 緊急 全報告 夕刊フジ緊急増刊 1995年4月6日号」を指すのだろう。これは95年4月1日発行だ。「夕刊フジ」の「増刊号」とは新聞なのか雑誌なのか、発行日に関するややこしい慣習を加味しても一応の辻褄はあっている。

これが地下鉄サリン事件と同年、商業誌に掲載されたというのだから驚きだ。 恐らくはただ単に、このいじめ描写が地下鉄サリン事件を踏まえていると読まれてこなかっただけなのだろう。 そういう時代だったという事を加味しても明らかに一線を超えている内容だ。 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」は小山田圭吾がその学生時代、約10年前を述懐した内容だ。 当然、地下鉄サリン事件は小山田圭吾の学生時代に起こった事件ではない。

地下鉄サリン事件といじめの描写を結びつけたのは10年後の小山田圭吾、インタビューに答えている小山田圭吾だ。

安楽死プログラム

ところでこの地下鉄サリン事件の文脈を無視した場合の読み方はこうなる。

「安楽死」プログラムは多くのドイツ人医師の協力を必要としました。どの身体障害者や精神障害者を殺害するかを決めるために、彼らは施設で患者のカルテを調べました。医師たちは実際の殺害も監督しました。宣告を受けた患者たちはドイツとオーストリアの6か所の施設に移送され、特別に設置されたガス室で殺害されました。
--- 「障害者の殺害 | ホロコースト百科事典

サリン事件のくだりを「あえて無視する」だけで「そう読める」事を把握していたはずだ。「そう読める」と問題を突きつけられ、それに反論したとしても、相手方には最低限、サリン事件に絡んでいるという逃げ道がある。
--- 「狡知 16 「キャンセルカルチャー」 | 敬称略雑記

ガス室は障害者を「安楽死」させるためにも用いられた。 小山田圭吾問題はホロコースト問題に触れうると指摘する論説は少ない。 なぜだろうか。 単純に問題として大きすぎるからだろう。 小林賢太郎はホロコーストを軽率に扱ったとして問題視された。 しかし小林賢太郎の場合は否定的な文脈でホロコーストを用いていた。 では「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」の場合はどうだろうか。 あの内容でホロコーストを否定的に扱っておりますなどと言ってみたところでむしろ何かしらの逆鱗に触れてしまうのは目に見えている。

「太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなところでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 061p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

沢田(仮)へのいじめ描写に私は死を強く意識した。 そもそもが地下鉄サリン事件を踏まえながらなされた描写だ。 さらに密室や毒ガスという言葉から容易に連想されるホロコースト。 海外への第一報がウンコバックドロップ(デマです)であった事は小山田圭吾にとって幸運であったと私が考える理由は、この死をすらにおわせる描写による部分が大きい。

極めて陰惨な差別的発言、小山田圭吾が謝罪し向き合っているものの正体だ。 この先、何十年という視点でこれが問題視されないかというのはかなり分の悪い賭けと言わざるを得ない。 本来であれば、問題の大きさから、大田出版と小山田圭吾が然るべき態勢の上で事に当たるべき問題だ。 しかし現実には小山田圭吾にすべてを丸投げし、大田出版はどうやらこのまま有耶無耶にするつもりだろうか、大変考えさせられる流れだ。

副題

 毒ガス攻撃
「村田は、小学校の頃からいたんですよ。こいつはちょっとおかしいってのも分かってたし。(中略)」
(中略)
「段ボールの中に閉じ込めることの進化形で、掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。そいつなんかはすぐ泣くからさ、『アア~!』とか言ってガンガンガンガンとかいってやるの(笑)。そうするとうるさいからさ、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばすんですよ。それはでも、小学校の時の実験精神が生かされてて。密室ものとして。あと黒板消しはやっぱ必需品として。〝毒ガスもの〟として(笑)」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 062p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

村田(仮)への掃除ロッカーを使ったいじめについて注目してみよう。 小山田圭吾は「あと黒板消しはやっぱ必需品として。〝毒ガスもの〟として(笑)」と言及しているが、村田(仮)へ黒板消しによる毒ガス攻撃が行われたという具体的な描写はない。小山田圭吾がなんとも意味ありげに言及したのみだ。にも関わらず062pの副題は「毒ガス攻撃」となっている。「毒ガス攻撃」は沢田(仮)対して行われたものだ。057pでの描写を062pへわざわざ引っ張ってきてまで「毒ガス攻撃」と強調したのは編集側だろう。

村上清

くわえて、談話者である小山田さんにこの内容を公の場で語ってもらうことになる以上、聞き手(書き手)も同等に「悪質」でなければ不誠実だという意識もあり、通常の意味でのバランスを取った記述はしない、という選択を意図的にしました。これは今振り返れば皮肉と反語を掛け合わせたような意識、記述形態なのですが、読む側にしてみれば意味不明、と言われれば返す言葉はございません。
--- 村上清「1995年執筆記事「いじめ紀行」に関しまして」

私はこれを、小山田圭吾がまずいことを言ったから出版側もそれに付き合った、という程度にしか読んでいない。 「毒ガス攻撃」を副題としたのも小山田圭吾の悪質な語りに編集側が付き合ってやったからだ、とでも言うつもりなのだろうか。

 以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 064p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

これも、小山田圭吾の悪質な語りに付き合った結果ということになるのだろうか。

数十年前の事とはいえ、なんとも薄情な話ではないか。

共犯関係

「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」は当時の当事者達による共同作業の成果物であると私は考えている。 村上清が声明で、小山田圭吾がそういったからそれに付き合っただけだとそれとなく言った事も単なる水掛け論でしかない。そして当然、どちらが盛ったのかなどと白黒付けられる話でもない。 「狡知 18 「再びいじめ紀行を読んで 1」 | 敬称略雑記」にて言及した施設に関し編集側が「いまは無い」という小山田圭吾の発言の裏を取らなかったわけがない。有ると分かったものをあえて無いとしたならばそれは、小山田圭吾と、小山田圭吾の話に乗った編集側によるまさしく共同作業だろう。

私はこれまで「最大のデマはロッキン(小山田圭吾2万字インタビュー)だ」と繰り返してきた。 これを私が「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」はデマじゃなくていいんだな、という意味を込めて使っているのはもはや明らかだろう。

問題初期におけるミスリード

ところで忘れられがちだが私のこのブログは北尾修一非公式ファンクラブ公式サイトだ。

記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。
--- 小山田圭吾「東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして

おそらく『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号の記事は、もっとずっとシンプルな話なんです。これは推測ですが、インタビュアーへのリップサービスで、小山田さんが学生時代の出来事を大げさに話したのではないでしょうか。そしたら、それを誌面にそのまま載せられてしまったと。現在は知りませんが、当時の『ロッキング・オン・ジャパン』がミュージシャンに原稿チェックさせなかったのは有名な話です。
だから、なぜあのような記事が出てしまったかは、ある意味想像がつきやすい。小山田さんにしたら災難ですが、自業自得みたいな側面もあるわけです。
ただ、この「いじめ紀行」は違います。企画書に「『いじめ紀行』という連載を始めます、いじめ自慢を聞いて回る企画なんですけど出てもらえませんか?」と書かれていたら、本人や事務所から許可が下りるわけがないんです。
--- 北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと 03-「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」

ところでこの「ただ、この『いじめ紀行』は違います」という北尾修一の発言。なんだか結構凄まじい事を言っているよう私には思えるが、まあそれはいい。

北尾修一は、小山田圭吾による「発売前の原稿内容確認にができなかったこともあり」との声明へ「当時の『ロッキング・オン・ジャパン』がミュージシャンに原稿チェックさせなかったのは有名な話です」と被せた。

我らが北尾修一もこう言っている。 (ということはQJも原稿チェックさせなかったのだろうか? )
--- 「狡知 10 「謝罪」 | 敬称略雑記

私が北尾修一の発言をどう解釈しているか、ご想像におまかせしよう。

「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」自体のあの内容を差し置き、本質的ではない部分を用い問題を煙に巻きつつ結局は小山田圭吾がそう言ったからというような事を言ったのが北尾修一による「いじめ紀行を再読して考えたこと」、そして村上清による声明ではないだろうか。

北尾修一が最も避けたかったのは、出版側の責任を問うために誌面が読まれる事だろう。
--- 「狡知 06 「腐臭」 | 敬称略雑記

村上清はなぜ、小山田圭吾に編集側が付き合ったというような事を声明にて述べる必要があったのか。 場当たり的な保身にしては随分と強い拒絶だ。村上清もまた、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」をそう読まれては困るという事なのだろうか。

「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」まだ何かあるんじゃあないのか。

(続く)


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