前回(「狡知 19 「再びいじめ紀行を読んで 2」 | 敬称略雑記」)、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」がどうも地下鉄サリン事件を意識しているようだということ、そして編集側は小山田圭吾に付き合ったという立ち場を強調したよう私には見えたと語った。 なぜそこまでして編集側は保身に走るのか。確かに「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」というのは多方面にまずい内容であり、そこには悪意が散りばめられていると少なくとも私には読めた。 まずい内容、悪意、しかし本当にそれだけなのか? あの面子だ、縦読みでも仕込んだか、この小学生ですらやるか疑わしい悪ふざけにさえも現実味が伴うから不思議なものだ。
今回はそれを追う流れの中で、小山田圭吾が何と向き合っているのかという点に触れる。 「どうせウンコバックドロップ(デマです)だろ」、そのような失笑にすら値しない下衆な論説をこの連載で私がうかつにも開陳したことがかつて一度でもあっただろうか。ところで私の崇高な下書きの中に、それが事実であるとすれば誰のウンコを食わせたのかという点について考察した物があるにはある。食糞強要はほぼ確実に脱糞強要を伴う訳だが、なぜそれは描写されなかったのかという純粋な疑問から、我ながら大変に鋭い論考を重ね小山田圭吾による9月声明にて語られた犬のウンコについての思い出話を強く補強する内容だ。同時にバックドロップをした当人のウンコを食わせたという読み方への余地を残した山崎洋一郎という人物の思惑に関し、そして小山田圭吾が7月声明においてロッキン誌面を問題視したのはまさにその点なのではないかと疑問を呈する内容だ。いつの日か公開できればと思う。…まあそれはいい。
繰り返しになるが私は小山田圭吾を良く思っていない。 こう書くと私がウンコだのオナニーだの連呼しながら小山田圭吾について書き連ねる事を、それこそが目的だろうと稚拙な邪推をするクズが一定の割合で湧くことは目に見えている。それを理由に私へどう転んでもろくでもない意味であろう視線を投げつけるのもいいだろう。しかし最初にウンコだのオナニーだのチンポがデッカいだのと言い始めたのはどこのどいつだったか。くれぐれもそれを忘れないでいただきたいものだ。
さて話がそれた。 私も読者も最早これが何の話か忘れているだろう事に配慮し、再び、今回記事の目的について確認しておこう。 小山田圭吾が向き合っているものとは一体何なのか、その正体を引き続き追う、という話だ。
田園調布の沢田(仮)
沢田さんに電話してもお母さんが出た。電話だけだとラチが開かないので、アポなしでの最寄り駅から電話。「今近くまで来てるんですが……」田園調布でも有数の邸宅で、沢田さんと直接会うことができた。お母さんによれば、〝 学習障害〟だという。
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 067p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」では「沢田君(仮名)」として語られ、月刊カドカワでは「K」として語られた人物がいるようだ。 「沢田(仮)」、「K」、どちらがより実像に近いのだろうか。「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」においてはそもそも「沢田君(仮名)」とされ、仮名であることが強調されている。あの面子の発言へ否定的ではない形で言及するのは例えそれがいかなる細部であったとしても癪に障ることこの上ないが、どうやらこう言わざるを得ないようだ。「沢田」は仮名だ、と。何を当たり前の事をとお思いだろうか。私からすればあの面子の言う事をバカ正直に受け止めるほうがどうかしている。それは平和ボケの極みでありそして何を考えているのかとか以前に何も考えてないだろうとすら思えるほど怠惰な有様だ。好意的に読むだのメディアリテラシーだの呪いだのウンコだのオナニーだの以前の問題だ。
私は、あの面子が「田園調布でも有数の邸宅」「学習障害」という個人情報を呑気に商業誌へ掲載するだろうかという疑問を持っている。繰り返そう。あの面子が、だ。 前々回(「狡知 18 「再びいじめ紀行を読んで 1」 | 敬称略雑記」)の、「いまは無いらしい」とされた施設はどうやら現存するようだぞという話を思い出していただきたい。 保身のためだろうか、安全に差別的な発言をするため繰り出されたかなり雑なその場しのぎとすら見える「いまは無いらしい」という言葉。 それを踏まえればこの「田園調布」、疑わしい事この上ない。
では単なる思いつきで「田園調布の沢田(仮)」としたのだろうか。
厄介なことに、どうやらそうでもないようなのだ。
田園コロシアム
田園コロシアム(でんえんコロシアム)は、かつて東京都大田区田園調布二丁目31番に存在した多目的屋外スタジアムである。
--- 「田園コロシアム - Wikipedia」
田園調布にはかつて田園コロシアムという施設があったようだ。 田園調布という語感からはおよそ不釣り合いな無骨さを感じるがそれも時代というものだろう。 実際、コロシアムという名に恥じない、様々なイベントが行われていたようだ。 田園調布駅下車徒歩3分という好立地、往時はさぞやという面影は現在「田コロ児童公園」に見ることができる。「田コロ児童公園」、そのネーミングから当時の田園調布民は田園コロシアムをどう思っていたのかが透けて見えるようではあるが、まあそれはいい。
沢田研二
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を読んだ誰もがほぼ確実に「沢田(仮)」と「小沢健二」から「沢田研二」を連想する。極めて自然な連想だ。そしてそれは、何の根拠も無い思いつき、あるいは偶然の産物であると誰にも語られる事無くいつのまにか忘れられる。当然の帰結だ。ちなみに私は沢田研二と小沢健二の区別がよく付いていない。
ところで沢田研二は、田園コロシアムにてライブを複数回行っていたようだ。 今回は特に78年のライブに注目する。 これという確度の高い記録は無く、当時の証言と、そのライブを収録したと思われるカセットの痕跡が今に残る。
時系列
田園コロシアムで78年、沢田研二がライブを行ったようだ。 しかしそれが小山田圭吾とどう繋がるのか。
――音楽の原体験はどんなものだったのですか?
小さいころはテレビっ子だったので、最初に親しんだのは、子ども番組やコマーシャルで流れていた音楽だったと思います。小学生になると「ザ・ベストテン」に夢中になりました。セットが凝っていたり地方や海外との中継をつないだり、それを生放送でやっていたのって、今考えるとすごいなぁ、と。
ほかにも「夜のヒットスタジオ」とか「紅白歌のベストテン」とか、歌番組は画面にかじりついて視ていました。抜群にかっこよかったのはジュリー(沢田研二さん)。歌はもちろん、あの時代に派手なファッションやメイクで、リアルタイムの洋楽のスタイルを取り入れていた。子どもの僕の目にも別格の存在として映っていましたね。
小学5年のころから、よく一緒に遊んでいた年上のいとこの影響で洋楽を聴くようになりました。そのいとこからもらった『ミュージックライフ』の古雑誌で、クイーン、キッス、ジャパンといったバンドを知りました。ちょうど「黎紅堂」や「You & I」といった貸しレコード屋ができ始めたころで、せっせと借りに通ったものです。
--- 「フリッパーズもそのあとも「流れ」だった コーネリアス 小山田圭吾(前編) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]」
小山田圭吾の誕生日は「1969年1月27日」だそうだ。 1969年早生まれは1975年4月に小学校入学、小学5年生になるのは79年だ。 つまり小学5年で洋楽を聞き始めたというその前年、田園コロシアムにて、自らの原体験として語る沢田研二のライブがあった、ということになる。 小学4年生が世田谷(出身地、また月刊カドカワ91年9月号)から田園調布でのライブへ、親と同伴であればなんらの不思議は無い。
そしてその十数年後、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」にて「田園調布の沢田(仮)」という人物を語る。
そして更に二十年後、朝日新聞デジタルマガジンにて、自らの音楽的な原体験として沢田研二を語る。
「田園調布の沢田(仮)」、おぼろげながらもその形と意味が見えてきただろうか。
露悪
小山田圭吾は自身の原体験を織り交ぜながら、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」にて「田園調布の沢田(仮)」を語ったのではないか。 一応の可能性として、「田園調布の沢田(仮)」としたのは、小山田圭吾から沢田研二のエピソードを聞いた編集側によるものだという線もあるがさすがにそこまで行くと(あの面子だやりかねないなどと煽り倒したくもなるが)考えづらい。北尾修一のファンが言うのだから間違いはないなどと打っているそばからいやまてよという気分になって来る辺り、私があの面子をどう思っているかを知る一助にでもなればと願う。
自らの原体験を「あの内容」に乗せるというのはどういう意図だろうか、何かしら深い意図があった上での事と思いたい気持ちは分からないでもない。 しかし現実には、なんのことはない、明確な意図などなかったのではないか、私はそう考えている。
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」「ロッキン」、「露悪的」な語りと評されることがある。 この露悪的という表現には「悪ふざけ」「悪ノリ」といったニュアンスが含まれている事は言うまでもない。 「暴走の結果」、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」は確かにそのような側面を持っている節がある。
「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」当時の小山田圭吾は、後に自身の原体験であったと語る部分に関し、今ほどの自覚を持っていなかったのではないだろうか。 その自覚があればそもそも、ウンコ漏らしただのチンポがデッカいだのチンポ丸出しでウロウロしていただのと描写される人物に「沢田」という名前を当てはしないはずだ。
沢田研二を原体験として語るに至る今においてこそ、「田園調布の沢田(仮)」を用いあの内容を語ってしまったという過去は、到底贖いきれない焦燥と化して小山田圭吾のその内面を焦がしているはずだ。私などは小山田圭吾を良く思っていないと公言しているわけだが、その私ですらああこれはとドン引きする類のやらかしだ。
原体験を語るというのは表現者にとってどういう意味を持つのだろうか。 少なくともそれが、 盛ったか否かとか、創作か否か、嘘か誠かという単純な話ではないことは最早おわかりいただけただろうと思いたい。
小山田圭吾が向き合っているもの、様々にあるだろう。 これはその一端だ。 そしてなぜ、小山田圭吾が向き合っているものを尊重し、共に向き合うということが出来ないのか。
ところで私としては調布のヘンなショッピングセンターみたいな超万引場所とやらにも向き合うべきなのではないかと思うのだが、まあそれはいい。
でもそれって
しかしこれらはあくまで、小山田圭吾当人の問題だ。
共に向き合うという選択をしなかったとしても、小山田圭吾の言ったことに付き合っただけと遠回しに言うほどのことだろうか。
編集側にとっての決定打とはなんだったのか。
ヤマト
ところで田園コロシアムでの沢田研二のライブを収録したカセットには、「ヤマトより愛をこめて」という楽曲が収録されているようだ。 これは劇場用アニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のエンディングテーマであるらしい。
小山田圭吾が、さくらももこへ送ったと思われる例の手紙(?)、さくらももこに「小山田圭吾はヤマトが一番うまい」などと言わしめるほどの画伯ぶりを示したのはなるほどこういう背景からだろうか。沢田研二を原体験として語る小山田圭吾、そして田園コロシアムで「ヤマトより愛をこめて」を聴いたか少年小山田圭吾、俄然リアリティを持ち始めたではないか。ちなみに私は「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」に掲載されたロボパーの挿絵における奔放な筆使いを彷彿とさせるブ―太郎があの中では一番うまいのではと考えているが、まあそれはいい。
ヤマトが、さくらももこが、と言ってみたところでこれはやはり小山田圭吾の問題だろう。
フェンダー
「田園調布の沢田(仮)」のくだりにはある注釈が付けられている。
26
和光には裕福な父兄も多く、ある和光出身者によれば、肢体が不自由で物を持てない子供にフェンダー・ストラトキャスターとかを買い与える親がいたという。
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 067p 中段注釈 (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
これはどういう意味だろうか。そして、「ある和光出身者」とは誰だろうか。 「ある和光出身者」が小山田圭吾ではないことをこれでも私は心から祈っている。 大田出版としては編集側によると思われる注釈に、誤解を招く表現とでも言うべき内容と共にフェンダーという具体的な名前が出てくるのは確かに厄介な問題と言えるだろう。 ある和光出身者と濁すわりにフェンダーに関しては伏せる気を微塵も感じさせない辺り雑としか言いようがない。
UNBOX THE FUTURE第一弾アーティストの小山田圭吾
--- フェンダー発のオウンドメディア「#FenderNews」の新企画シリーズ「UNBOX THE FUTURE」がスタート。第一弾アーティストは小山田圭吾|フェンダーミュージックのプレスリリース
小山田圭吾としてもフェンダー経由の露出を行っている以上、何らかの形で対処したいのは確かだろう。しかし下手に謝罪でもすれば「ある和光出身者」が小山田圭吾だと自ら述べているに等しく、これもまた厄介な問題といえる。 小山田圭吾の声明の中に「どう対応していいか分からなかった」とあったように思うが、むしろこれのことを言っているのではとすら思えるほどだ。
しかしこれが決定打かと問われればいまいちパンチが足りないように思える。
愛光学園
14
名簿暗記少年は、昔、愛媛の進学校として名高い愛光中にもいたことが確認されている。
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 058p 中段注釈 (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)
菅首相の周辺人脈には、愛光学園の卒業生の人脈が多数登場するのだ。
--- 菅首相の周辺人脈に多い「愛光学園」OBたち。谷脇氏の検証委員会も後輩が担当 | 日刊SPA!
菅首相は『辞めさせろ!』と激怒したといいます。
--- 「イジメ自慢」小山田圭吾の急転辞任に菅官邸“介入” 五輪開幕直前スキャンダルに場当たり対応
なるほどこういう事だろうか。 一定の説得力はある。
ウンコもらしただのチンポがデッカいだのチンポ丸出しでウロウロしてただのといった描写が鎮座する誌面から愛光中がどうとか言及していても当然、関係者以外は気にもとめないだろう。では、菅義偉、そして菅義偉に連なる人脈はどうだろうか。
第99代内閣総理大臣を激怒させた「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」
いい線行ってはいるが、どうもこれも違いそうだ。
編集側が保身に走る理由、次回いよいよ解決編?!
(続く)