敬称略雑記けいしょうりゃくざっき

狡知 23 「再びいじめ紀行を読んで 6」

5月13日加筆部分へ

そもそもなんか勘違いされてそうだから言っておくが… いや、言うまでもないか。

え、最終回って書いてたじゃんって、そもそも何が最終回なのか書いてない上に、私が一度でもこういう約定なりをまともに守った事があっただろうか。それを守るような人物と目されているとすればその誤解はぜひそのままに日々を送っていただきたい。「後編 前編」「後編 後編」など玄人はだしの延滞作戦を完遂した私だ。そもそもウンコだのオナニーだの連呼する人物がどれほどまともかについてよく考えてみては如何だろうか。などという書き出しを前回公開時点で既に書いていた訳だがこれをこのまま垂れ流したとして流石に○○の極悪人も真っ青の極悪人との誹りは免れないとも思えるので、大長編狡知「は」やはり今回で最終回だ。

で、なんかやっぱり勘違いされてそうだから言っておくが… …いや、言うまでもないか。

さて本題に入ろう。今回までの数回は昨年9月中頃、小山田圭吾の声明を受けてだったように思うが、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を読み直した際、どう読んだかを書いている。 本腰をいれて読んだと言ってもいいだろう。 あのろくでもない内容を真面目に読むなど我ながら正気を疑いたくなる凶行だ。なぜ私がこんな事をしなければならないのか。こう考えると怒りすら湧き上がってくる訳だがこれは仕方がない。私は五輪のあの当時、「小山田圭吾」という単語を何回か利用した。バッシングというものは確かにあったし、何なら私もそれに加担したと言っていいだろう。この連載はその贖罪だ。まあそれはいい。

そもそも

この連載はあることを言うために始めたものだ。

そして最終的に言いたいことが、ある。
--- 狡知 01 「はじめに」 | 敬称略雑記

―――対談してもらえませんか?
「(沈黙……お母さんの方を見る)」
―――……小山田さんとは、仲良かったですか?
「ウン」
数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 067p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

沢田(仮)はお母さんに心配をかけまいとして「ウン」と返事をしたのではないか。 友達であったか否か、という事を言いたいのではない。 この「ウン」は、あらゆる偏見や先入観を伴わず、普通に読まれなければいけないのではないかという事が言いたいのだ。

片仮名の意味

「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」において描写された「沢田(仮)」の発言はいくつかある。一部を恣意的に取り上げよう。黒板消しによるいじめにおいての「ダイジョブ…」「ヤメロヨ―」(いじめ紀行 小山田圭吾の巻 057p)、(名前や住所を沢田(仮)に聞いて)「なんとかかんとか」(同 058p)、そして「ボランティアをやりたい」(同 071p)という描写だ。

「沢田(仮)」の言葉だから片仮名にしている、というわけではないのだ。

「だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)『サワダです』とか言ってさ、『うわ、すごい!』ってなるじゃないですか。」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 055-056p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

「言語障害っぽい口調で語られた」部分を村上清が正確に再現した結果と考えるのが妥当だ。とすれば「サワダです」という発言に片仮名と平仮名が混じっている事もうなずける。

ではこの「ウン」を改めて見てみよう。「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」のあの内容を信じるならば村上清がアポなしでの最寄り駅からの電話から沢田(仮)の家へ突撃取材しくさった際の沢田(仮)の肉声だ。 村上清が口調を正確に描写したとすれば、やはりそういう口調だったのだろうか。それはそれでどうかとは思うが、今回は村上清をどうこう言うのが目的ではない。 まずは「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」のあらゆる文脈前後関係背景や誰が発言したのか等、全てを無視して、心を新たに読んでみて欲しい。

―――対談してもらえませんか?
「(沈黙……お母さんの方を見る)」
―――……小山田さんとは、仲良かったですか?
「ウン」
数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。

あらゆる前提から離れてこれを読めば、なんらかの意を含んだ「ウン」、なんらかの意を含めた片仮名による表記、という意味合いが強くなる。

仮にこの「ウン」が、こうであった場合、どうなるだろうか。

―――対談してもらえませんか?
「(沈黙……お母さんの方を見る)」
―――……小山田さんとは、仲良かったですか?
「ウン……。」
数日後、お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。

「うん」と言い切れない、という意味だ。 村上清が、この「ウン」をどう解釈するか読者を試していると考える事もできるが、それならば尚の事、この「ウン」は多彩に読まれるべきだろう。

先入観

『QUICK JAPAN (1995年8月号)』の記事では、知的障がいを持つ生徒についての話が何度か出てきます。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

しかしこの「ウン」は、知的障がいを持っていた「沢田(仮)」の発言だからとその含みを一切考慮されずに額面通りに読まれがちだ。「ウン」と言っていたのだから、当人の間でしか分からないことだから、そう割り切っても良いだろう。しかしせめて、そこに含みがあるかもしれない事を、その含みを、~だからと切り捨てず、妥当に推し量るべきなのではないか。そして、あえてそれを無視するのならば、その醜さを自覚する責任が生じるのではないか。

「沢田(仮)」に対する(あえて「いじめ」と分類させてもらうが)いじめには、ティッシュに関する物がある。

「沢田はね、あと、何だろう……〝沢田、ちょっといい話〟は結構あるんですけど……超鼻詰まってんですよ。小学校の時は垂れ放題で、中学の時も垂れ放題で、高校の時からポケットティッシュを持ち歩くようになって。進化して、鼻ふいたりするようになって(笑)、『お、こいつ、何かちょっとエチケットも気にし出したな』って僕はちょっと喜んでたんだけど、ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。で、それを何か僕は、隣の席でいつも気になってて。で、購買部で箱のティッシュが売っていて、僕は箱のティッシュを沢田にプレゼントしたという(笑)。ちょっといい話でしょ?しかも、ちゃんとビニールひもを箱に付けて、首に掛けられるようにして、『首に掛けとけ』って言って、箱には沢田って書いておきましたよ(笑)。それ以来沢田はティッシュを首に掛けて、いつも鼻かむようになったという。それで五・六時間目までは持つようになった。かなり強力になったんだけど、そしたら沢田、僕がプレゼントした後、自分で箱のティッシュを買うようになって」
---「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 059-060p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

これを「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」という前提から切り出し、まず自分がやられたらどうか、よく考えてみて欲しい。小山田圭吾にやられたのではない、ただの同級生にやられたのだとして。そして自分に「沢田(仮)」を重ねず、冷静に考えてみて欲しい。少なくとも「いい話」と言い切ることは到底出来ないだろうと思う。小山田圭吾がやったから、「沢田(仮)」がやられたから、「いい話」と言えるのだとすれば、それはあまりにもグロテスクではないだろうか。

境界にあるいじめ

このティッシュの事例は、境界にある。 それを、少なくとも「いじめ」ではないかも知れない、「いじり」や「悪ふざけ」の類かもしれないという領域に引っ張りあげるために、「友情」が必要なのだ。 そもそもが「エチケットを気にし出したようだ」と感じた上で、名前入りの箱ティッシュを首に掛けさせるというアイディアを提供するのは、眉をひそめざるをえない類の「ちょっといい話」だと私には思える。 図書館に「沢田(仮)」達を「見物」に行った事や、小山田圭吾の言う「『沢田(仮)』のファン」の解釈、そもそも「沢田(仮)」を商業誌であのように語るといった話にも同じ事が言える。

ちなみに私は北尾修一のファンだ。というこの文言を、これまで呆れかえるほど繰り返してきた。 この意味は明らかだろう。言うまでもないと言うことすら無駄に感じるほどだ。

「沢田(仮)」のその先

沢田(仮)の「ウン」に含みがあっては困る、という打算があるのだ。

私は前回(狡知 22 「再びいじめ紀行を読んで 5」 | 敬称略雑記)、当時の和光学園において、内部進学制度の中にあっても義務教育とはいえない高校への進学には、一定の学力が求められていたことを示し、沢田(仮)の障害のその程度という大変デリケートな部分へ間接的に触れた。 家族そして周囲の助けという部分もあっただろうが、やはり当人によるところが大きいだろう。 沢田(仮)は和光高校へ進学し、卒業している。

これらは当然、私の勝手な思い込みかもしれない。そして当然、あらゆる証拠なぞ無いことは言うまでもない。 沢田(仮)を過大評価しているかも知れない。そして何より、そもそも勝手に語られるべき事ではない。

しかし、だ。

お母さんに心配を掛けたくないと思うのは極めて自然な感情だ。 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」のあの内容だ。「沢田(仮)」という強烈な描写の元、その極めて自然な感情を候補に「ウン」の意味を推し量ることが出来ただろうか。学力という物をすら持ち出し説明しても、「沢田(仮)」のその先には沢田(仮)という、人格を持ったひとりの人間がいるという事実に実感が伴うかは難しいところだろう。

誰のために読むか

私は「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」が「小山田圭吾のため」に「のみ」読まれる事を問題視している。

「小山田圭吾のため」に「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」が読まれれば、友情のため、沢田(仮)は「ウン」に意を含めることすら、極めて自然な感情を持つことすら許されない。 「小山田圭吾のため」に、沢田(仮)の「ウン」に意が含まれている可能性をあえて無視し、沢田(仮)の口調や障害の問題と切り捨て、友情を肯定する以外の意味で読もうとしない有様は、無関心ですらない。 沢田(仮)は友情を肯定する以外の発言を許されていないと言っても良いだろう。 例えば、突然取材にやってきた村上清という人物への不信を「ウン」と表出することすら許されていない。

障害をもった「沢田(仮)」の発言だから「ウン」と片仮名になっているのだろう、と、そう読み流すことの意味、いい加減お気づきだろうか。

その典型

けれどもここで注目したいのはむしろ、母の言葉の前半部分だ。「沢田」の状態が卒業後に悪化したのは、小山田のような級友との交流がなくなったためだということが証言されている。今回の大炎上後、いじめ被害者がその後の人生のなかでも抱え続ける苦しみを思え、といった非難が盛んになされた。それが小山田と「沢田」の関係にまったく当てはまらないことは明らかだろう。
--- 【連載】長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす(3)|「いじめ紀行」の枠組みを解きほぐす|片岡大右|コロナの時代の想像力|note

小山田圭吾は沢田(仮)と、小学生時代の太鼓クラブと高校にて「交流」する。 高校時代の「級友との交流」を紐解こう。

「(中略)だけど、こいつチンポがデッカくてさ、小学校の時からそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増してててさ(笑)。女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。でも、もう僕、個人的には沢田のファンだから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。……って言うか、笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったって言うか、そういうのやるのは、たいがい珍しい奴って言うか、外から来た奴とかだから」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 058-059p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

片岡大右はこの描写についてどう言及しただろうか。

「〔…〕みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。でも、もう僕、個人的には沢田のファンだから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。……って言うか、笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったって言うか、そういうのやるのは、たいがい珍しい奴って言うか、外から来た奴とかだから」
『QJ』3号、太田出版、1995年(59頁)

--- 【連載】長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす(5)|匿名掲示板の正義が全国紙の正義になるまで|片岡大右|コロナの時代の想像力|note

言及こそしてはいるが、別ページの別の文脈で、だ。そして、「高校ぐらいになるともう」というくだりを省略し、さらに、「だから、みんなわざと脱がしてさ」を「みんなわざと脱がしてさ」と省略した上で、だ。

これが、小山田圭吾のために読む、その典型だ。

ストーリー

片岡大右が「【連載】長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす(3)|「いじめ紀行」の枠組みを解きほぐす|片岡大右|コロナの時代の想像力|note」の中で提供した「沢田(仮)」のストーリーはこうだ。「沢田(仮)」は、小山田圭吾に(大したいじめではないが)いじめられていた小学校時代を乗り越え和解し、高校では、外部進学生達にいじめられながらも、小山田圭吾や内部進学生達と友情を育み、その交流は沢田(仮)自身の状態を良くしていたが、卒業後はそれがなくなり状態が悪化した、というものだ。

片岡大右のこのストーリーは、小山田圭吾や内部進学生達との交流による沢田(仮)への好影響が、外部進学生達による沢田(仮)へのいじめの悪影響を上回るという前提のもとに成立する。

「ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。(中略、『だけど、こいつ~』へ続く)」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 058p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

なんのことはない。「小山田のような級友との交流がなくなったために沢田の状態は悪くなった」というストーリーのため、沢田(仮)の「ウン」を額面通りに解釈するのと同じく、「(チンポ出すことなんて)こいつにとって何でもないことだから」という話を額面通りに解釈しているだけだ。 そう、「沢田(仮)」にとっては何でも無いこと「らしい」のだから、何の痛苦も感じていないはずだ、と、勝手に決めつけているのだ。

この「何でもないことだから」とは、高校生当時の小山田圭吾の所感をおよそ10年後に述懐しているものだ。 私はそもそも「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」全体の信憑性を疑っており、当然この発言も疑っている。小山田圭吾が当時、この発言の通り感じていたとしても、それは一介の高校生が判断した「(『沢田(仮)』にとっては)何でもないこと」であり、あらゆる専門的な知識や経験とは無縁であることは言うまでもない。

ところで私はある素朴な疑問を持っている。一介の高校生が独断した「(『沢田(仮)』にとっては)何でもないこと」を額面通りに採用し「大したいじめではなかった」と喧伝する論説とは一体、何なのか、と。

「沢田(仮)」

「沢田は、……っていうか、こういう障害がある人とかって言うのは、なぜか図書室にたまるんですよ。図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)。(中略)そいつらの間で相撲が流行っててさ(笑)。図書館の前に、土俵みたいなのがあって、相撲してるのね。(中略)」
「その中で沢田って、その人たちからしてみれば、後輩なんだけど、体とかデカい、でも、おとなしいタイプなのね。フランケン・タイプっていうか。だけど怒らすと怖いって感じで。で、その軍団でたまに食堂で食うんですよ。(中略)沢田に対して長谷川が何かをやったかなんかで、沢田があんまり切れないんだけど、久々に切れて、お茶があるじゃない、それをかけちゃったんですよ」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 060-061p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

「沢田(仮)」にとって、中学での図書館でのコミュニティこそが友人関係というものではなかったのだろうか。 そして高校にも、それに類するコミュニティがあったのではないか。 「長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす」のもと、「小山田圭吾のため」に「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」が読まれたとして、読者の中の「沢田(仮)」が「小山田圭吾以外との交友」を語る余地が果たしてあるだろうか。

想像力

片岡大右によるこの連載は、「コロナの時代の想像力」から発信されている。 なるほど想像力。今少し沢田(仮)に想像力を働かせてみては如何だろうかという私達へのメッセージだろう。 それとも新型コロナウィルス後遺症により想像力が、という意味なのだろうか。大変含蓄のあるアカウント名だ。

ところで今回は「長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす」について喚き散らす回ではなく、実は「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」について語るその最終回だ。驚いただろうか、私も驚いた。

私はこの「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」、全てが真実とは思っていない。そして全てが嘘とも思っていない。 嘘とは言い切れないが掲載許可もまた必要のないという程度で書かれているのだろうと、私は勝手に思っている。 嘘か真か、どちらに偏りすぎてもマズい内容だ。 完全に嘘であれば、最早ただ単に、どこまで差別的な表現が出来るかを試みたかとしか思えない内容だ。 そして完全に真であれば、まさかあの面子がジャーナリズムにでも目覚め学園の実体を告発する使命感にでも駆られたかという話になる。

では沢田(仮)も実在しないのでは、当然その可能性もある。 それは村田(仮)にしても同じだ。

しかし、当然、沢田(仮)も村田(仮)も、実在するかもしれないのだ。

想像力、なんだかんだと言ったがいい言葉ではないか。 例え「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」の内容が如何に疑わしくあろうとも、想像力を伴わせ読むべきなのではないか。 それが、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を消費した全ての人間が持つべき責任だろう。

1981年

私は「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を疑っている。 無茶苦茶疑っていると言って良い。

昭和五六年年元旦
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 072p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」末尾に掲載された「年賀状」とされるものには「昭和五六年元旦」との記載がある。

その彼とは中学ではほとんど接点がなく、高校に入り同じクラスになって再会してからは、会話をする機会も増え、手紙や年賀状のやり取りをするなど、自分にとっては友人の一人でした。
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】

昭和五六年(1981年)元旦、小山田圭吾はその当時小学六年生だが…。

…なぜ昭和56年(1981年)が選ばれたのか、(コロナの時代の)想像力を持って向き合おう。

ジャニスのオープンは1981年9月21日。運営は「有限会社とちの木」で、創業者は鈴木健治氏(鈴木氏が2016年9月17日に逝去したあとは、共同オーナーの相馬博光氏が代表を務めている)。
--- 音楽好きを虜にした魔窟、ジャニスの37年の歩み(前編) | レンタルCD&DVD - 音楽ナタリー

特に1990年代に“渋谷系”と呼ばれることになるバンドのメンバーたちが、ジャニスに通っていたのは有名な話である。1987年頃、当時高校生だった小沢健二と小山田圭吾の2人が、毎週末にジャニスに行って30枚ほど借り、土日をかけてカセットテープにダビングして、月曜日に返しに行っていた、という話は2人が何度か語っているエピソードだ(ジャニスは2泊3日が基本だが金曜だけ3泊4日で借りられるようになった)。1989年にデビューし、豊富な音楽知識とセンスで一世風靡したフリッパーズ・ギターの背景にジャニスのマニアックな品揃えが貢献したのは間違いない。
--- 音楽好きを虜にした魔窟、ジャニスの37年の歩み(中編) | レンタルCD&DVD - 音楽ナタリー

ジャニス、1981年オープンのそれは、小山田圭吾にとっての原体験とも言える存在だろう。 「田園コロシアムの沢田研二」と同じく、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」のあの内容の中で語ってしまった、ということになるだろうか。ばるぼらによる記事というところがまた涙を誘う。ところで記者プロフィールにて紹介されていた「「20世紀エディトリアル・オデッセイ」(赤田祐一と共著)」、なかなか面白そうな内容ではないか。

魔界転生と根本敬

(5月13日加筆~)

昭和五六年、1981年には何があったのか。

私がこの記事を公開したのが22年4月15日、続く4月18日、あの「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」のあのインタビューのあの当時のあのコーネリアスがあの小脇に抱えながら現れたというあの夕刊フジにて興味深い記事が掲載される。

生誕100年を迎えた娯楽小説の大家、山田風太郎。奇想天外なアイデアと強烈なキャラクターが登場する作品は、数多く映像化されてきた。
その代表作といえば、「魔界転生」だ。1981年の深作欣二監督作では、島原の乱で蜂起した民とともに虐殺された天草四郎(沢田研二)が悪魔の力を借りて蘇り、細川ガラシャ(佳那晃子)、伊賀の霧丸(真田広之)、宮本武蔵(緒形拳)ら、生前やり残したことのある者たちの霊を呼び出し復活させる。
--- 【妖気!怪奇!山田風太郎 怪異の世界】沢田研二の天草四郎に女性ファン殺到、奇想天外なアイデアと強烈なキャラクターが登場する 「魔界転生」 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

「田園調布の沢田研二」と同じく、年賀状にある「昭和五六年」には「魔界転生の沢田研二」という意味が込められていたのだろうか。

何かしらの因果を想像してしまう絶妙なタイミングだ。ところで1981年にはこんな事も起こっている。

『月刊漫画ガロ』1981年9月号掲載「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。
根本敬 - Wikipedia

ここで特別インタビュー
「あいつは日本一の馬鹿だ!!」
あの駕籠町の不良老人室田さんに聞く……聞き手/『駕籠町喜劇』編集部
(中略、焼き豆腐がどうとかの大変心温まるちょっといい話)
1981年6月12日(金)巣鴨駅横「白樺」にて収録>
--- 根本敬「因果鉄道の旅」内田研究とビッグバンより

…なぜ私がこんな事を指摘しなければならないのか。これは一体何の、そして誰の因果なのだろうか。 少なくともズルムケだのながしま食堂だのサヨーナラーだの内田だのウンコだのオナニーだの好意的に読むだのメディアリテラシーだの呪いだのは私の因果ではないはずだ。 そもそも私は「根本敬」と「杉山知之」の区別がよく付いていない。 んな馬鹿なと思うだろうか。ではぜひ「根本敬」「杉山知之」で画像検索でもしてみてほしい。 そんな程度の認識しか持っていない人間がなぜこれを指摘しているのか。小山田圭吾が「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」であのろくでもない内容を語らなければ私もまた、こんなところでこんな事を懇切丁寧に指摘するなどというこれは一体何の慈善事業かといった風情をすら醸し出す陰徳を積むことも無かったはずだ。 でもやるんだよどころの話ではない。最悪のババを掴まさせられた気分だ。

…でもやるんだよ!!

(~5月13日加筆)

どこまで本当か

「(中略)、たいがい、ウンコ漏らしたトイレに行ってさ、先生が全部、パンツとかズボンを脱がして、ホースで水かけてさ、ジャーッとかやってるんですよ(笑)。」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 058p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

…刑務所ですらもうちょっとマシな対応をするのではないだろうか。

そもそも、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」のいじめ描写には教師が介入した形跡がない。 どうも不自然だ。

牛乳瓶

「(中略、ロボパーがどうとか)やっぱ会話とか通じなかったりするんですよ。おまけにこいつは、体がでかいんですよ。それで癇癪持ちっていうか、凶暴性があって……牛乳瓶とか持ち出してさ、追っかけて来たりとかするんですよ。(略)」
--- 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」 056p (村上清、『Quick Japan 第3号』1995年 太田出版)

如何にろくでもない内容であろうとも、想像力を持って読まなければならない。それこそがコロナの時代の想像力というものだろう。岩波書店がそう言っていたかは知らないが。

小学生の時に「沢田(仮)」が牛乳瓶で人を殴るという描写は、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」「カドカワ」に共通して見られる。 一回限りの話だったとして、両誌面を通じことさらに強調することだろうか。 「沢田(仮)」は複数回、牛乳瓶で殴る事があったのだろうか。 「牛乳瓶を持ち出して」、持ち出す、だ。「凶器としての牛乳瓶を確保していた」という事なのか。 私はテトラパック世代なので、牛乳瓶の凶器性以前にその入手性をまず疑問視した。 しかし事は随分と昔だ、牛乳瓶が教室にありふれていたというのも全く不自然ではない、が。

牛乳瓶、これには当然、意味がある。

時計じかけのオレンジ

「時計じかけのオレンジ」のあるシーンを思い出さないだろうか。

smash hit

smash hit

『時計じかけのオレンジ』(とけいじかけのオレンジ、A Clockwork Orange)は、アンソニー・バージェスが1962年に発表した同名の小説を原作とする1971年公開の映画。スタンリー・キューブリック監督。
--- 時計じかけのオレンジ - Wikipedia

簡単に言えば、凶暴な極悪人である主人公が、その仲間に裏切られ、牛乳瓶で殴られた結果、警察に捕まり人格矯正(ルドヴィコ療法)の被験者へと至る、物語の転機となる場面だ。 この映画に於ける「ミルク」というのは解釈が様々にあるだろうが、今回重要なのは、牛乳瓶で殴られた結果、警察のご厄介になり人格矯正される、ということだ。 この文脈で、小山田圭吾が牛乳瓶で殴られたと見なせば、何が見えてくるだろうか。 警察のご厄介になったかだの人格矯正されたかだのと言いたい訳では無い。

小学生当時の小山田圭吾が沢田(仮)との何かしらでこっぴどく叱られでもしたか、それを牛乳瓶で殴られたとして「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」で回想しているのではないかということだ。そう、警察に捕まったのではなく、教師なりに怒られたという意味ではないのだろうか。

「牛乳瓶で殴られたりするとめちゃめちゃ痛いじゃないですか」(「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」056p)あらゆる方向からのあらゆる同意が期待できないであろう事に共感を求め、ことさらに牛乳瓶で殴られた事を強調するのはそういうことだろう。普通は牛乳瓶で殴られたりしない。ご愁傷さまです。

接点

すこしややこしい話になる。まず周辺を整理しよう。

『猿の惑星』(さるのわくせい、Planet of the Apes)は、1968年のアメリカ合衆国の映画。
--- 猿の惑星 (映画) - Wikipedia

『2001年宇宙の旅』(にせんいちねんうちゅうのたび、原題:2001: A Space Odyssey)は、スタンリー・キューブリックが製作・監督した、1968年の叙事詩的SF映画である。
--- 2001年宇宙の旅 - Wikipedia

コーネリアスという名前の由来となったキャラクターが登場する「猿の惑星」と同年、「2001年宇宙の旅」(キューブリック)が公開される。 小山田圭吾にとって言うまでもなく猿の惑星は大きな意味を持つはずだ。 では、「2001年宇宙の旅」はどうだろうか。

『POINT』(ポイント)は、Corneliusが2001年に発表した4枚目のスタジオ・アルバムである。
--- POINT - Wikipedia

「2001年宇宙の旅」(キューブリック)もまた、小山田圭吾にとって一定の意味を持ちそうだ。 では同監督作品という接点を持つ「時計じかけのオレンジ」(キューブリック)はどうだろうか。 そもそも小山田圭吾含むあの面子が「時計じかけのオレンジ」を見てないとは考えづらい。

「時計じかけのオレンジ」において、牛乳瓶で殴られるシーンというのは、主人公が人格矯正を受ける直接の契機となる象徴的シーンだ。 その象徴的シーンを失念するとも考えづらい。

時計じかけのいじめ紀行

「時計じかけのオレンジ」の関連するあらすじを改めて記載しておこう。 このサイトは北尾修一非公式ファンクラブ公式サイトであり映画サイトではないので極めて雑にまとめる。

凶暴な極悪人である主人公が、(その仲間に裏切られ)牛乳瓶で殴られ、(警察に捕まり)服役中に人格矯正(ルドヴィコ療法、凶暴性を懲罰的に抑圧する)を受け、出所し、過去のしがらみから自死を試みるも、政治的思惑の元に人格矯正を解除され、凶暴性を取り戻す。

これを「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」に当てはめてみよう。

まず、小山田圭吾は「沢田(仮)」に牛乳瓶で殴られた。 これは裏切り、つまり「沢田(仮)」がチクったという恨み節とも取れるが、「沢田(仮)」の件で怒られたと考えるのが自然だ。
服役中に人格矯正を受け、和光学園での生活を指すと考えるのが妥当だろう。字面が相当ヤバいが私のせいではない。
出所は当然、卒業を意味する。
過去のしがらみから自死を試みるも、ご想像におまかせします。
政治的思惑の元に人格矯正を解除され、「小山田圭吾2万字インタビュー」。
凶暴性を取り戻す、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」。

さてわかりにくかったと思うが、ここは映画専門サイトではない。 最低限言いたいことのふいんきが掴めればそれでいいのだ。

牛乳瓶で殴られた事を「時計じかけのオレンジ」と絡め咀嚼すれば、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」で用いられる差別的な表現やいじめの描写というのは、学校教育の中で矯正されていた何かしらのタガが外れた結果だとして読むことも出来る。これは、学校教育で道徳などを重んじようとも、人の本質は容易には変わらないという事を言いたいのだろう。 村上清は、「『いじめはいけない』『いじめはやめよう』といった、正しいけれど素朴な言葉をどれだけ重ねても現実のいじめはなくならないのでは、という苛立ちが募った末」と「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」を述懐した。 正しいけれど素朴な言葉というのは道徳教育として包括的に語られるものをも指しているのだろう。 なるほど一応の辻褄は合う。

しかしなぜ、当然の疑問だ。

完璧に予想の域を出ないが、この「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」が問題になったとして、そして現実に問題になっているわけだが。 牛乳瓶で殴られる描写をあえて組み込み強調することで、「時計じかけのオレンジ」をメタにもつ創作物であると暗に示しているのではないかという可能性だ。 「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」は実際、話半分という塩梅ではないかと私は睨んでいる。 反面教師としてあえてあの内容を語るにしても、これはフィクションですと書いて、誰があれをまともに読むだろうか。 「あの内容を」「フィクションではないと思わせながら」「安全に」「商業的に成立させるため」に必要だったという話なのではないだろうか。

仮にこれがある程度、背景を正しく推測出来ていたとして、根本的問題はその反面教師とやらで描こうとした人物像がかなり微妙だった点だろうと私は考えるが、まあそれはいい。

さてこれが、「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」は小山田圭吾の表現である可能性が大きいと私が考える理由だ。

そして、私が考える「いじめ紀行 小山田圭吾の巻」の正体だ。

心暖まる話かもしれないが、あまり真に受けないように。

道端の犬の糞を食べられると言い出し、拾って口に入れてすぐに吐き出した
--- 9月17日 小山田圭吾 【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明

…ん?


  1. 小山田圭吾
  2. 狡知
  3. いじめ紀行

Loading Comments...

Profile picture

ヤマタカシ
小山田圭吾問題に関心があります
Twitter, yymtks.com

小山田圭吾(30)北尾修一(4)外山恒一(2)いじめ問題(1)上級国民(1)愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件(1)

狡知(23)東京2020(4)DOMMUNE(1)キャンセルカルチャー(1)中原一歩(1)時計じかけのオレンジ(1)

いじめ紀行(15)ロッキンオンジャパン(2)GENAU(1)デマ(1)山崎洋一郎(1)村上清(1)

Copyright 2021 Yamatakashi