敬称略雑記けいしょうりゃくざっき

狡知 08 「偽薬」

inception

さて前回、北尾修一からの流れがどうも変だとか書いた気がする。 読者におかれても、ただのちょっとイイ話と言い切っていいのか程度には意識が深まっている事を期待したい。 小山田圭吾炎上を受けて7月後半に連載された北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと」(以下、北尾文書、現在有料)について引き続き追いかける。

北尾修一が小山田圭吾擁護「以外」の意図を北尾文書に込めているとして、それはなぜか、なんなのか、8月初頭の時点で思っていた所を記す。

はたして北尾修一が突然エプロン姿の自撮りを得意げに投稿した真意とは。

語り尽くします。

焦燥

北尾修一は7月当時、黒歴史として忘却の地平にあるかと思われながらもふいに蘇ったウンコバックドロップ(デマです)という最悪の亡霊により小山田圭吾が無残にも炎上する中、どのような思いでいたか。

「ひとり出版社」を標榜する百万年書房、北尾修一が代表を務める株式会社である。 小回りが効くメリット、だからこその妙手、確かにあるだろう。 その実態は当然、謎である。 北尾修一は北尾文書の中で、問題の当事者ではないような事を言っているが、当時、近い位置にいた事は確かだ。 火の粉が降り掛かって来た場合、太田出版やロッキング・オン・ジャパンと比べ、法人としての体力的な問題が生じる可能性は高い。

出版側で一番焦っていたのは、案外、北尾修一だったのかもしれない。

孤軍

7月、北尾修一は苦しい立ち位置にあった。

小山田圭吾による16日の声明を受け、株式会社太田出版(Quick Japan)、株式会社ロッキング・オン・ジャパンは声明を出した。 それぞれ要点を見ていこう。

(7月16日、小山田圭吾声明) ご指摘頂いております通り、過去の雑誌インタビューにおきまして、学生時代のクラスメイトおよび近隣学校の障がいを持つ方々に対する心ない発言や行為を、当時、反省することなく語っていたことは事実であり、非難されることは当然であると真摯に受け止めております。 私の発言や行為によって傷付けてしまったクラスメイトその親御さんには心から申し訳なく、本来は楽しい思い出を作るはずである学校生活において、良い友人にならず、それどころか傷付ける立場になってしまったことに、深い後悔責任を感じております。 また、そういった過去の言動に対して、自分自身でも長らく罪悪感を抱えていたにも関わらず、これまで自らの言葉で経緯の説明や謝罪をしてこなかったことにつきましても、とても愚かな自己保身であったと思います。

(7月18日、ロッキング・オン・ジャパン94年1月号小山田圭吾インタビュー記事に関して) その時のインタビュアーは私であり編集長も担当しておりました。そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。 27年前の記事ですが、それはいつまでも読まれ続けるものであり、掲載責任者としての責任は、これからも問われ続け、それを引き受け続けなければならないものと考えています。

(7月19日、『Quick Japan 第3号』掲載の小山田圭吾氏記事についてのお詫び) 現在、この小山田圭吾氏の一連のいじめ体験についての告白が大きな批判を受けています。当時のスタッフに事実・経緯確認を行い、記事を再検討した結果、この記事が被害者の方を傷つけるだけでなく差別を助長する不適切なものであることは間違いないと判断しました。この検討は出版後26年を経てのものであり、この間、2012年にはいくつかの号が復刊される機会があり、この第3号も100部の復刊を行っています。最初の出版段階での判断のみならず、その後再検討のないまま時が過ぎたことも、出版社としてその姿勢が問われるものであると考えます。

全謝罪である。 特に小山田圭吾が自ら、友情に関する見解を述べている点に注目すべきだろう。 友人であったように思うが、良い友人ではなかった。その言葉からは深い葛藤が感じられる。こう語る姿に真摯さを感じた人は多かったのではないだろうか。 小山田圭吾による16日の声明におけるこの意向を尊重し、2社がそれに続くという形だ。

この後、同19日小山田圭吾は辞任し、同20日北尾文書の連載が始まる。

この謝罪の流れにおいてほぼ確実に行われるのは、「過去」の精算である。 小山田圭吾と続く2社はそれぞれ、過去と向き合うその覚悟を示した。 小さな炎上を繰り返しながら行われるであろう総括。

株式会社百万年書房はそれに耐えられるのか。

第二の拳

小山田圭吾に振り下ろされた拳は、小山田圭吾の辞任だけでは収まらなかった。 五輪開会式が迫っていたとは言えさすがに検証不足では、小山田圭吾が凄惨な炎上を経て辞任した経緯に対する一抹の不安、罪悪感の裏返しもあったのだろうか。 コロナ禍での五輪という熱狂の拳は様々な物を巻き込みながら、「なぜ」という形でその次の振り下ろし先を求めていた。 組織委員会、出版、小池百合子、時代、コロナ禍、ウンコバックドロップ(デマです)、糞尿トライアスロン。 振り下ろし先を上げればきりがないだろう。

この拳が出版側に振り下ろされることを回避する必要が、北尾修一にはあった。

因果

北尾修一としては本来、知らぬ存ぜぬとまでは行かないにしても、問題とは一定の距離を置きたかったはずだ。 株式会社百万年書房、その事業規模の実態は深い闇の中ではあるが、振り下ろされた拳の余波、あるいは降りかかる火の粉だとしても、かなり厳しい対応を迫られるのではないだろうか。 仮にそれを耐えたとして、待っているのは総括の流れである。 細々としかし長く続くであろう炎上、最後まで耐えられるのか、かなり分の悪い賭けに思える。

緊急回避策として何らかの手を打たねばならなかった。 小山田圭吾の声明通りにロッキンつまり出版側へ「熱心なネット民」の矛先が向いてしまっては困るのだ。 これが北尾文書が必要とされた背景にあった実情ではないだろうか。

ある意味で北尾修一は参戦を余儀なくされた被害者という側面も持つ。 赤田祐一もそうだったのだろうか。 もしかすると北尾修一が失敗した場合に備え、赤田祐一が控えていたかも知れない。

これらは全てウンコバックドロップ(デマです)が生み出した因果である。

劇薬

緊急回避策、最早説明する必要もないだろうか。

発端であるとされるTwitterでの発言が参照していたのは、幸いにもロッキン誌面のキャプチャーではなく個人のブログであった。 この点だけは、北尾修一にとって、いや、小山田圭吾含む関係者全てにとって幸運であった。

かくして北尾修一は、個人のブログを拳の前に差し出した。

(7月23日、北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?」) この「孤立無援のブログ」の「いじめ紀行」記事の紹介の仕方が、ものすごく奇妙なんです。 いわゆる普通の意味での「記事の要約」になっていない。 元記事のテキストそのものは改変していないのですが、マーカーでチェックしながら読むと、意図的にエピソードの順番を入れ替えたり、小山田さんの発言の一部を削除したり、記事本文の途中で注釈内のエピソード挿入し、それに続けてまた別の場所の記事本文につなげたり……よく言えば「繊細な編集が施されている」ですが、悪く言えば「元記事の文脈を恣意的に歪めている」。 ただ、それらのカットアップとつなぎがあまりに巧く、スムーズに読めるので、普通に読んだらまったく気にならない(私みたいにマーカーを引きながら照合しないと気付かない)。 このブログ運営者、素人じゃない私と同じ職業の人だと直感しました。

以前、言及した記事から引用しよう。

「株式会社のブログ」から「その代表が」「個人のブログ」を、「プロが」「恣意的な切り貼りを拡散しているブログ」と「名指し」している。

北尾修一は、個人のブログが恣意的なプロの手による物だと断定し、それを叩く公益性に権威のお墨付きっぽい物を与えた。 となれば、株式会社ロッキング・オン・ジャパンと比べ叩きやすいであろう個人のブログ、叩くことに社会的な意義らしきものを見出す事は容易だろう。 その上で、個人のブログの悪、北尾文書の善を際立たせるため、QJ誌面を友情に捧げた。

何のことはない、北尾修一もその個人のブログと似たような事をしたのだ。 因果応報、目クソ鼻クソではないか。 そういう見方も確かに一面の事実ではある。 問題はこれが、五輪の文脈、人権の文脈、いじめの文脈、この文脈でそれをやるかと絶句せざるを得ない場面で行われたということだ。 これに比べれば小山田圭吾擁護の文脈などは実際、些末な問題に過ぎない。 この強引なやり方は、小山田圭吾がその声明で的確に避けていたいくつかの地雷を、確実に真上から踏み抜いた。 これについては次回以降、乞うご期待。 当時から、(新たな敵を作る等の意味で)これは擁護なのかという意見が一定の数あった事を思い出していただきたい。

(7月23日、北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?」) で、ここから先に進む前に、あらためて強調しておきます。この後、読む人によっては「おまえは小山田圭吾を擁護するつもりか!」といきり立つようなことを書きますが、繰り返します。まったく擁護していません。

実際、擁護ではないと本当に言い切っている。 困ったもんである。

陰謀論

とまあ、こんな思惑があったかどうか、妄想の域を出ない事は言うまでもない。

実際の所はどうだったか。 前記事でも指摘したとおり、小山田圭吾自身によるロッキンへの名指しのデマ指摘は、小山田圭吾自身のうかつさにまとめられ、他のデマ指摘に上書きされ、結果、ほぼ無視された。 同時に、QJ誌面は感動ポルノとして消費し尽くされた。 これにより少なくとも私は、友情と真摯に向き合い葛藤し苦悩する小山田圭吾の姿に、むしろ虚しさすら感じる様になった。 小山田圭吾が言葉を尽くし伝えようとした学びを、北尾修一の手垢にまみれた感動ポルノが上書きするのか。一抹の悲しみがあった。 つまりはロッキン誌面の責任は有耶無耶になり、QJ誌面はただひたすら友情を示す機械になった。

陰謀論の類と聞こえるだろうか。

では逆に聞こう。

あの敏腕経営者北尾修一をいったい何だと思っているのか。 北尾修一に失礼ですらある。 北尾修一の能力に関し、疑う余地は寸分も無い。 平和ボケも大概にするべきだ。

と言いつつも、7月末の時点では、陰謀論だなと思う所は私自身にも確かにあった。

が、それを陰謀論と笑い飛ばせなくなる日はすぐに訪れた。

外山恒一

11月現在から当時を振り返れば、この外山恒一の記事により、私の中の疑念は確信へと変化したように思う。

8月3日、外山恒一が「小山田圭吾問題の最終的解決」(以下外山文書)、同6日「小山田圭吾の「名誉回復」運動のために」をnoteにて公開する。

ご存知の通り、外山恒一は北尾修一による株式会社百万年書房から「政治活動入門」という本を出している。 ゴリゴリの利害関係者だ。 外山文書の中ではそれに関しなにやら長大な言い訳らしいことが書かれているが、かなりド直球の利害関係者という事実は変えようがないのではないか。 難儀なものである。

さてこの外山文書、感動的な長さを誇る。 一文字いくらの世界であれば大傑作と思わず喝采したくなるほどだ。 さらには結びにある村上清へのツンデレめいた不気味な応援など、北尾文書(3)を熟読した上で読めば世紀の大珍品と唸らざるを得ない破格の仕上がりだ。

私にはどう読めたか。 北尾文書を補強するために身内が書いた、客観性を持っているように見える恣意的な文章とでも言うべきか。 個人のブログをデマとして糾弾しながら、ロッキンは小山田圭吾の発言を正確に載せたと言い、友情があったと語り、村上清頑張れと結ぶ。 言っていることはほぼ、北尾文書と同じである。 違う点は、ディティールをロッキンに寄せている点、猿に罪の概念を求めていいのか、村上清をダシに組織内の自浄作用めいた自己批判的な趣をもたせている点だろうか。

8月当時も11月現在も、中々読ませる内容ではある。

でも長すぎ。

共闘

もうとやかくと陰謀論に片足を突っ込んだような事をだらだら垂れ流してもしょうがない。 最早そういう次元ではない。 ここは恣意的な切り貼りとやらで済ますのが粋というものだ。 適当に解釈してほしい。

7月16日、小山田圭吾「東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして」) ご指摘頂いております通り、過去の雑誌インタビューにおきまして、学生時代のクラスメイトおよび近隣学校の障がいを持つ方々に対する心ない発言や行為を、当時、反省することなく語っていたことは事実であり、非難されることは当然であると真摯に受け止めております。 記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。

9月17日、小山田圭吾【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】) 『ROCKIN’ON JAPAN』については、発売前の原稿確認ができなかったため、自分が語った内容がどのようにピックアップされて誌面になっているかを知ったのは、発売された後でした。それを目にしたときに、事実と異なる見出しや、一連の行為を全て私が行ったとの誤解を招く誌面にショックを受けましたが、暴力行為を目にした現場で傍観者になってしまったことも加担と言えますし、その目撃談を語ってしまったことは自分にも責任があると感じ、当時は誌面の訂正を求めず、静観するという判断に至ってしまいました。

(7月23日、北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと 03-「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」) おそらく『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号の記事は、もっとずっとシンプルな話なんです。これは推測ですが、インタビュアーへのリップサービスで、小山田さんが学生時代の出来事を大げさに話したのではないでしょうか。そしたら、それを誌面にそのまま載せられてしまったと。現在は知りませんが、当時の『ロッキング・オン・ジャパン』がミュージシャンに原稿チェックさせなかったのは有名な話です。

(8月3日、外山恒一「小山田圭吾問題の最終的解決」) インタビューの流れ、やりとりの調子にもとくに不自然なところはなく、もちろん実際の話し言葉なんてものは文法的にムチャクチャですから、そういうのを直すとか、いろいろ脱線した部分を削除するとか、実際はこの部分にはちょっと長めの間なり沈黙なりが存在したとかいうことはあるでしょうが、内容面に関しては実際おおよそこのようなやりとりがあったのだろうと受け止め、それを前提に私は解釈を進めているわけです。

(7月23日、北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?」) この「孤立無援のブログ」の「いじめ紀行」記事の紹介の仕方が、ものすごく奇妙なんです。 いわゆる普通の意味での「記事の要約」になっていない。 元記事のテキストそのものは改変していないのですが、マーカーでチェックしながら読むと、意図的にエピソードの順番を入れ替えたり、小山田さんの発言の一部を削除したり、記事本文の途中で注釈内のエピソード挿入し、それに続けてまた別の場所の記事本文につなげたり……よく言えば「繊細な編集が施されている」ですが、悪く言えば「元記事の文脈を恣意的に歪めている」。

(8月3日、外山恒一「小山田圭吾問題の最終的解決」) 北尾修一氏による勇気ある告発によって、〝コーネリアス〟こと小山田圭吾氏への今回の壮絶なバッシングの火元となったブログ記事が、文章能力の不足といった不可抗力の類ではなく、明白なる悪意に基づいて巧妙に構成されたデマ、要するにいわゆる〝フェイク・ニュース〟の類であることはすでに明らかとなりました。

(7月23日、北尾修一「いじめ紀行を再読して考えたこと 02-90年代には許されていた?」) 「それで、年賀状とか来たんですよ、毎年。あんまりこいつ(筆者注:沢田君)、人に年賀状とか出さないんだけど。僕の所には何か出すんですよ(笑)。」 ここで、沢田君が小山田さんに年賀状を毎年出していた(沢田君は小山田さんを友達だと思っていた)ことが分かります。

(8月3日、外山恒一「小山田圭吾問題の最終的解決」)  記事の最終ページに掲載された「沢田君」からの小学生時代の年賀状の意味も、〝今にして思えば〟イジメでしかなかった当時の関係を小山田氏なりに反省していて、今でも年賀状をちゃんと取ってあるように主観的にはこの頃からずっと「友達」のつもりでいたんだけど、そう受け取ってはもらえなかったかもしれん、すまん、の意味でしょう。もちろんそれがほとんど伝わらないわけですが、村上氏の地の文のせいで。

前回記事を既に読んでいる大変に志の高い読者におかれては、強烈な既視感を覚えたことだろうと思う。

そう、北尾修一と外山恒一はほぼ同じ事を言っているのだ。

当然、小山田圭吾に対しても同じことを言っている。

ロッキン編集に問題はない、と。

何があるのか

ウンコバックドロップ(デマです)により炎上のどん底に落ち果てクソにまみれながらも小山田圭吾は小山田圭吾という人間の魂の残滓を必死にかき集めながら咆哮を放ちかろうじて生き残った。(7月16日の声明のことです)

人間小山田圭吾のあのリアル、魂の慟哭でもある16日の声明をなぜこうも平然と無視し、上書きする事が出来るのか。 単純に人として、これはどういう仕打ちなのかと問いたくなるほどである。

クソにまみれ果てながら放たれた小山田圭吾の原初の叫び、それを超える「何か」が有るとでもいうのか。

…何かがおかしい。

「身内」

(8月3日、外山恒一「小山田圭吾問題の最終的解決」)  たしかに私がこの事件に深く興味をそそられたきっかけは、〝身内〟たる北尾氏の告発記事です。しかしそれは、〝身内〟の書いたものは目に入りやすいということ以上ではありません。仮に北尾氏ではなく、もちろん〝身内〟でも何でもない、誰か私のまったく知らない人物がこの告発記事を書いたのだとしても、何かの拍子にたまたま私の目に留まったとすれば、やはり私は今こうしているのとまったく同じように、やむにやまれぬ情熱に突き動かされ、事件解決のために奔走したことでしょう。

なるほど「身内」。 いい言葉である。 優しさがある。

この身内という言葉。 誌面が作られた当時を思いながら想像していただきたい。 インタビューに参加した当事者、それを聞いていた人物、編集、等々。 そう当然、「身内」の中には小山田圭吾も含まれていたはずだ。 私達はその前提のまま北尾文書を読み、外山文書を読んでいた。

では改めて今、その「身内」を再びご想像いただきたい。

そこに小山田圭吾は含まれているだろうか。

偽薬

8月の前半、小山田圭吾擁護運動とは、個人のブログとそこから派生したと思われるデマを訂正すること、小山田圭吾といじめ被害者とされる人たちの間にあるとされる友情を広めること、この2つを武器として始まったのではないだろうか。

実際そのふたつで、全てをひっくり返せるように見えなくもない。 絶望の底で与えられた全てを癒す薬、とでもいうべきか。 それはそれは甘く光り輝き魅力的に見えただろう。 友情を説かれどれほどの安寧を得たか。

さてその薬、小山田圭吾ファン以外への効き目はどうだっただろうか?

次回も引き続きウンコバックドロップ(デマです)と北尾文書を追いかける。


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